斬声の姫御前
死刑囚y15番と斬声の姫御前

死刑囚y15番

「y一五番! 典獄室へ出頭せよ」

 死刑囚y一五番は、ゆっくりと顔を上げた。朝の食事が済んで、さて食後のやすらかなひと眠りを楽しもうとしていた彼は、まどろみつつ、その官吏らしい硬質な冷たさを帯びた、事務的な口調に、ふんと鼻を鳴らした。

(お迎えかな)

 用もないのに出頭させるほど、A級死刑囚収監獄は暇ではない。とすると、刑執行のお達しか。執行の前は、必ず司法相からの通達が囚人の目の前で読み上げられることになっている。y一五番は、きっとその「儀式」の時が来たのだと確信した。そして、昨日虫が知らせたのか、遺書を再読して、したため直し、少しばかりの遺産を弟に譲ると書き直したのはよいことだったと思った。

 「開錠! 歩け! 」

 既に顔なじみとなった刑務官サライが、仲間一人と独房の鍵を開け、y一五番に手錠をかけると、そのまま自分が先頭に、仲間の刑務官は列の最後について、銃をかまえて歩いた。

 いくつもの死刑囚たちの独房を通り過ぎ、彼らの、次は自分ではないかという恐怖や、y一五番への同情、お上への反感のこもった視線を受けて、y一五番は胸を張って堂々と歩いた。彼は、最近発生した爆弾による国王弑逆事件のリーダーで、裁判は形ばかり、お上の息がかかった国選弁護人しか雇えず、たった一度の公判で、死刑が確定、控訴も即時棄却された。そして、この重罪を犯した死刑囚ばかりが収監される牢獄に入れられたのだ。だが、その威風さえ漂う堂々とした態度に、彼を蔑む者はなく、刑務官さえも一目置いていた。

y一五番は、外見から見ると四十に手の届きそうな年頃であった。生活苦のため、少し深いしわも刻まれた顔は、常にまっすぐ前を向き、自分の犯したことも誇りに思っている様子がうかがわれた。彼のこだわりは、一日の始まりに、必ず髪に弟が差し入れてくれた櫛を入れて、身だしなみを整えることであった。死ぬ未来しか待ち受けていなくとも、人間らしく生き抜く。それが彼の矜持であった。そのことが、獄中でも一目置かれる、若さと落ち着きの混在した、独特の雰囲気を醸し出していた。

刑務官の中で、彼にいくらか同情的だったのが、サライであった。彼はy一五番と同郷であり、彼と同様貧しい家に生まれて、貧困から抜け出すためにたたき上げの刑務官となった。A級死刑囚収監獄刑務官は、激務でありながら、「不浄の重罪人」と接するために、世間から蔑まれている。そして、彼の担当する囚人は、恐れ多いことに、国王の命を狙った、最も憎まれるべき重罪人で、彼の担当刑務官サライもまた、罪の不浄さを被る存在である。そのような視線を受け、お上の側の人間でありながら疎まれる彼は、y一五番にどことなく優しい父親のような視線を向け、何かと便宜を図っていた。立場が違えば、貧困脱出のため、自分もy一五番と同じ状況に陥っていたかもしれない、とサライは考えたのかもしれなかった。

「止まれ! 」

号令をかけられ、y一五番は足を止めた。典獄室のドアの前まで来たのだ。緊張の面持ちで、サライがノックする。室内から、間延びした男の声が聞こえ、さっとドアが開いた。三人は、足並みをそろえて、入室する。
ドアを開けたのは、秘書だった。秘書は彼らが入るとすぐにまたドアを閉め、部屋の片隅のデスクについた。これから始まるやりとりを記録するのだ。

典獄は、白髪の混じった薄い髪をたくわえた六十がらみの男だった。三人が直立不動の姿勢を取ると、太鼓腹を揺らし、大きな樫の木でできたデスクの上から、一枚の紙を取り上げると、押し頂いて、文言を読み上げ始めた。

「y一五番に命ず。『斬声の血族』の娘から、声を奪うべし。声を奪いてなお生き延びた場合、刑を特に免じ、恩赦を賜る」

命じられた内容をよく理解できず、首をかしげたy一五番に説明すべく、典獄はだるそうな声で伝えた。

「お前は、これから『斬声の血族』の王族の娘と共に過ごすことになる。この娘は、古代の特殊な種族の生き残りだ。その声は、『斬声』といい、口から発せられれば刃と変じ、語る相手を傷つけ、場合によっては殺める。こやつは、我々が捕えたが、どうしても声を出そうとせぬ。声を枯らせば、危険はもうない。声は戻らないのだ。声帯が特殊で手術もできぬ以上、王に危険が及ばないためには、声を枯らすしかないのだ。娘は、王の後宮に入れて、宮仕えさせる。王が、その容姿に惚れこまれたのだ。この任務を果たすべく選ばれたのが、お前だ。娘の声を出させ、刃と変じた声を受け止めよ。娘の声が枯れてなお、生き延びていれば、お前は赦免されると約束しよう。失敗すれば、娘とお前の命はない。法が定める刑以外の刑を執行できるのは、国王暗殺未遂という極悪犯のお前が適任だからな。もっとも、あまり期待せぬがよいが。ふ、ふ、では、これで用件は済んだ。独房へ帰れ。後で、娘を送る」

サライは、その節くれだった手で、自分より少し背の高いy一五番の頭を押し付け、典獄に礼を強いた。そして、三人はまた独房へ向かって歩き出した。

(変な命令だな。私の刑を免ずるというからには、よほど危険な娘に違いない。用心するか。だが、うまくいけば、娑婆に出られる……)

y一五番は、独房に帰ってから、そんな考えをもてあそびながら、食後の眠りについた。

 「開錠! 入房! 」

サライの声で、y一五番は目が覚めた。夢うつつではあったが、誰かが入って来る気配だけ感じた。

「入れ! 入らんか! 」

y一五番が、まどろみの中の視線を入り口に向けると、ぼんやり女が立ちすくんでいるのに気が付いた。サライが、その後ろからぐいぐいと中へ押しやっている。

(娘か)

y一五番は、ぱっと目が覚め、サライに声を上げた。

「手荒な真似はするな。娘さん、怖がらなくていい。おいで」

若い女は、押されてうつむいていた顔をふっと上げた。彼らの視線が合った。

娘は、目と鼻を残して口を含む顔の下半分を厳重にふさがれていた。そのため表情はうかがえないが、目もとには恐怖を浮かべながらも、可憐なひかりをたたえた黒い瞳が揺れた。

「y一五番、娘の口元の覆いは、我々が立ち去ってから取ってやれ。ただし、声を出させるときだけだ。危険だからな。食事については、あとでわかるだろうが、娘は特殊な『口』を持っている。心配せずともよい。それから、娘を手荒に扱うなよ。まあ、『紳士』なお前なら、大丈夫だろうが。では、健闘を祈る」

サライは、少し同情の色を示した瞳を、独房の管理窓からのぞかせて、去っていった。刑務官たちの、金属に近い硬質な素材を使った制服と靴が、遠くで監獄の鍵をかける時に、共鳴してちりんと鳴った。その音を合図に、監獄は静けさを取り戻した。

「娘さん」

y一五番は、やさしく声をかけた。娘は、無理に独房に入れられ、誰とも知らぬ「罪人」のもとへ送られて、絶望しきっているのであろう、y一五番の顔を見ようともしなかった。彼女は、ただ、独房の低い天井下の壁に取り付けられた、鉄格子付きの小さな窓の外を、遠い目をして見つめていた。

「娘さん、あなたは、その……『斬声』とかいう能力を持っているんだってね。それで、誰も傷つけたくなくて、一言も口を利かないんだろう? 」

娘は、驚いたように視線をy一五番に向けた。黒い花の花芯のような虹彩がきらめいた。そして、その目には涙がたまっていた。

「私は、この監獄の中でも一、二を争うくらい危険な囚人だ。なにしろ国王の暗殺未遂犯だからな。私は、死を覚悟していたものの、残した弟が心配で脱獄も考えていた。だが、チャンスはお上のほうからくれた。あんたの声を出させて絞って枯れさせて、それで生き延びれば、また娑婆に出られる。病気がちな弟のもとで、暮らせる。そのための願ってもないチャンスなんだ。頼む。私に向かって声を出してくれ。私は、受け止める。たとえ、ぼろぼろになっても、必ずだ。頼む。恐れないでくれ。それに、あなたも、後宮に入れば、命はとられずとも済むのだ」

娘は、じっとy一五番の話を聞いていたが、やがて悲しそうに首を振った。涙は、ぽろりと花露のようにほおから零れ落ちた。

「娘さん……いや、姫御前。お願いだ……」

y一五番は、語り続けた。二十五年前、弟と二人きりで、この世に遺され、両親は戦死したこと。戦争を道楽のように考える現国王の覇権のもとでは、近隣諸国も朝貢を強いられ、ひそかに国王暗殺の機運が高まった時に、自分もまた犯人の一員として、爆破暗殺事件に加わったこと。自分の命は惜しくはない。だが、この世でたった一人の、血のつながった弟が、病弱で自分がいなくなって生きていけるかわからず、心配だ。だから、事件の前に、できるだけ多くの仕事をこなして、少ないながら財産を築いた。死刑囚の権利として与えられる遺書には、弟に全ての遺産を遺すと書いた。もし、姫の声を受け止めてなお生きられたら、もう一度暗殺者になることはしない。病弱な弟のそばで、静かに生きる。助かるかはわからない。だが、楽しい想像だ。夢を抱くことを忘れていた。あなたのおかげだ、姫御前。ありがとう……。

そこまでy一五番が語った時、娘――姫は、かすかに笑った。感謝されたのが、嬉しかったのかもしれない。この姫の能力、そして一族とはどんな者たちなのか。y一五番は知りたいと思った。だが、あせってはいけない。若い娘の心を開かせるには、信用を得て、それから、少々自分のことをさらけだし、相手のことに興味を持つ態度を見せ、ほめあげる。それがいちばんだ。ある程度の人生経験を積んできたy一五番は、確信していた。そして、今日のところは彼女との会話の試みは終わりにした。
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