どうしてほしいの、この僕に
 彼の言うとおりだと思った。どうして涙が出るのか自分でもよくわからない。
 優輝が私の頭を撫で、それからこぼれた涙をそっと拭った。その指が今度は頬を撫でる。
 次第にこわばっていた身体の力が抜けていく。ホッとして深呼吸をすると、優輝が私の鼻先でクスッと笑った。
「これくらいのことで泣いていたら、女優なんか務まらないぞ」
「カメラの前でこんなこと、いつもするわけじゃないし。それとも優輝は私にそっちの女優になれと言いたいのですか?」
 そっちというのはつまり男性が隠れて見るような映像のことを指して言ったのだけど、優輝は即座に嘲るような表情で私を見下ろした。
「何も知らないくせに」
「なんですと!? ていうか、いきなり変なことしないでください」
 私も調子が戻ってきたので勢いよく言い返した。
 ふとんをはねのけながら上半身を起こした優輝は、嫌味なほど艶やかな笑みを浮かべる。
「嫌じゃなかったくせに」
 くぅ。それは確かに。しかもバレているというのがなんとも悔しい。
「な、なんでこんなことするんですか」
「だから未莉はお子さまなんだよ。そんな野暮なこと、口にするヤツいない」
 野暮? どういうこと?
 舐められた耳たぶを隠すようにしながら考え込んでいる私に、優輝はもう一度顔を近づけた。
「俺は誰にでも優しいわけじゃない」
「え?」
「それに、誰にでもこんなことすると思うか?」
「は? 知りませんよ、優輝のことなんか」
 急に優輝の顔が遠ざかった。彼は面倒くさそうな動作でベッドからおりると、私に鋭い視線を突きつけた。
「遅刻するぞ」
「う、ひゃー!」
 私は飛び起き、出勤の準備を始めた。

 朝食らしきものを作り、急いで食べてマンションを出た。その間、優輝はシャワーを浴びていたので、ついでに作っておいた彼のぶんを食べたかどうかはわからない。
 わからないことは他にもある。
 会社に着いて、まず自分のデスクに座った。向かい側から「おはようございます」という声がした。友広くんだ。
「おはようございます」
「今日は寝坊でもしたんですか?」
 友広くんが微笑みながら首を傾げる。
「え?」
「襟、直したほうがいいですよ」
 慌てて襟に手をやると、シャツの襟が乱れていた。
「あ、本当だ。ありがとう」
「ちょっと待って」
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