プリーズ・ミスター・ポストマン

「決闘」

次の日の放課後、運動場で「決闘」が執り行われた。恭一側の介添え人は私、一ノ瀬さん側は親衛隊の女子が一人。お互いに、恭一と一ノ瀬さんが三十二メートル離れて立つように、きちんと距離を測って確認した。ちなみに、この三十二メートルというのは、出典があって、一ノ瀬さんが愛読する「「エフゲーニイ・オネーギン」に出てくる決闘場面の三十二歩というのにならったらしい。ただ、今回は危険がないようにもっとお互いを離して、三十二メートルにしたというわけだ。
一ノ瀬さんは、ショートカットの髪に、眼鏡をかけ、細身の体に男子の制服をまとっている。どこか愁いを秘めたまなざしが印象的な人だ。背は高めで、それも男装の麗人にぴったりだ。
そして、摸擬銃が真ん中に置かれた。この銃の中に、既に赤いインクが仕込まれた弾が装填済みだ。一ノ瀬さんと恭一は、互いに歩み寄って、銃を手にした。
恭一は、顔色が悪い。「今日の準備をする」と言っていたのに、体調を整えられなかったのではないだろうか、と危ぶまれるほどである。そして、一ノ瀬さんをちらっと見るその目が痛々しかった。どうしたのだろう、恭一は。
「結城殿。よろしいか。私が勝ったら、そちらは廃部ですからね」
一ノ瀬さんの少し低めだがやわらかい声が響く。そして、やっぱり時代がかった言い回しは、恭一と同じ趣味なのか。恭一は力なく応じる。
「今日は、恨みを晴らすのか」
「まあ、そういうわけでないといえば嘘になろうか」
一ノ瀬さんは、不気味に微笑む。そして、銃を抱えて、重さを確かめ、誰もいないほうへ構えてみたりしている。
恭一は、銃を構えるわけでもなく、ただ胸に抱えているだけだった。目は伏せられていて、感情を読み取ることができない。
そして、先攻後攻のコイントスをした。先攻は一ノ瀬さん、後攻は恭一に決まった。
「では、お二人とも構えて」
介添人の私たちが、声をかける。周囲は、人気者の一ノ瀬さんの決闘、ということで既に人だかりがしている。ベンゼン先生も、自転車で悠長に走り回っていたが、やがて停車してオペラグラスでことのなりゆきを観察しだした。山崎先生は、美術部員と一緒に観戦だ。美術部員からすれば、「接待」の行方が気になるところであろう。
「まず一ノ瀬さんから、次に結城君からどうぞ。どちらかが命中させるまで続きます」
そこまで言って、私ともう一人の女子は引き下がった。一ノ瀬さんは、自信たっぷりの余裕の表情で、銃を構えた。
パン!
彼女が撃った弾は、外れることなく恭一の胸に命中した。赤いインクが、恭一のシャツににじんで、血のようだ。素晴らしい腕前だ。弓道三段の腕が活かされているのだろうか。
「では、結城君」
親衛隊女子が声をかける。私は、心配になって恭一を目で励まそうと彼を見つめた。
恭一は、ぐっと目を閉じていた。そして、しとしとと小雨が降ってきた中、そのまま天をあおいだ。私は息を吞んだ。そこには、なにか私の知らない、崇高な感情をまとった恭一がいたからだ。
彼は、天をあおいだまま、かすかに唇を動かした。そこから読み取れた言葉は、
「すまん」
だった……。
恭一は、元通り顔を一ノ瀬さんの方へ向けると、銃を構えたが、それも一瞬のこと、やがて銃を天に向けて撃った。
「で、では……一ノ瀬真生さんの不戦勝ということで、この決闘は終わりということにいたします」
思ってもいなかった展開に、介添人の私たちもうろたえた。だが、一ノ瀬さんは喜ぶ様子もなく、強い言葉を叩きつけた。
「結城殿、それで私が許すとでもお思いか? 茶番を! 」
「茶番でもなんでも、俺には、あんたを撃つことはできない……。命を取る方法に準じるこのようなやり方で、あんたを負かそうなんて思っちゃいないさ。廃部の件、好きにしてくれ。ただ、明日までは続けさせてくれ。今日の仕分け分があるからな」
一ノ瀬さんは、大きく目を見開いた。そして、ふっとまつ毛を伏せた。男装の麗人が、少女らしく見えた刹那だった。
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