派遣OLの愛沢蜜希さんが、ヤサぐれ社員の久保田昇に神様を見るお話
落ちる所まで落ちた男……それが久保田昇だった。
そう言えば朝から1度も顔を見ていない。アイツは休みか?ひょっとしたらクビになったのか?勝手に期待していた女性社員も居たかもしれない。
「テーマなんか、何でも適当にくっつけりゃいいだろ!」
ばん!と資料を机に叩きつけた。その破裂音がフロア全体によく響く。
今日も営業にダメ出しされたのか機嫌が悪い。荒れている。すさんでいる。
それが、クリエイター3課の久保田昇(32)だった。
今日は明るめの紺青スーツでキメている……と本人は思っている。
その鮮やか過ぎる色合いは、よっぽど仕事の出来るエグゼクティブならいざ知らず、久保田昇のような、どこかうだつの上がらない中堅社員には、身の丈に合わない活きった印象を無駄に見せつけている……としか思えない。
スーツがそれだけ鮮やかなのに、どこかしら淫靡な模様のネクタイが、これまた失笑モノだった。ゲ○で汚れたのかと陰口を叩かれているその斑模様。本人は気付いているのか、いないのか。
「んだよっ」と、今はスマホに八つ当たりしているが、そのヤサぐれは長続きしない。すぐパソコンを立ち上げて、何をしているかと思いきや、エロサイトを閲覧。右手はペンで奇妙な模様を描く。……なるほど。ああしていれば一見、何か調べ物をしている体だ。だが見ていると、そんな気まぐれも長続きしない。
「あと1時間か。今夜は、どこでどうする?」と、たまたまやって来た管理課の女性社員に早速ちょっかいを出した。
システム課。管理課。このクリエイター課。久保田昇は、まるでチンピラのように目に付いた女性に向かってナンパを繰り返す。そして、どれも撃沈。
誰かの企画を盗んだとかで営業職からも睨まれているとか居ないとか。
クズと呼ばれ、落ちる所まで落ちた男……それが久保田昇だった。 
「その……俺達付き合ってますの体、辞めてもらえません?」と、周りを気にして不快感を露わにする女性社員をモノともせず、
「そう言わず、俺といっぺん付き合ってみろって。そしたら分かるから」
彼女は途端に顔をしかめた。それでも久保田は一向に諦めない。彼女の胸元を狙って、ペン先をくるくると回す。
久保田昇だからセクハラなのだ。
これがディーン・フジオカだったら……と、私は思い描いた。俺サマに、うっとり?そんな妄想の中、たまたま通り掛った中堅の女性社員が割って入る。
「久保田ぁ、1度付き合えって、それ1回こっきりでヤリ投げって事でしょ」
「俺はヤリ投げした事なんか無ぇよ」
「あ、そっか。いつもヤる前に逃げられてるもんね」
散々な言われようだった。それでも久保田は止めない。背中を向ける女性に向かって、「ヤリたきゃいつでも来いよぉ」と、いつまでも両手をふわふわとイヤらしく動かしていた。
今の所、私は直球のセクハラからは逃れていた。席が、久保田の斜め後ろだからという事もあるだろう。そして久保田が言う所の、〝24歳以上の女は女にあらず。話かけんじゃねぇ〟というポリシーが功を奏していた。
そこに、営業から久保田へ内線が入る。最初は言われるままにメモに書き留めていた久保田だったが、「は?明日まで?喧嘩売ってんのか」と営業に向けて喧嘩を売り始めた。久保田は、まくしたてる相手にもイライラしてきて、
「簡潔にまとめろとか言ってんじゃねぇよ。おまえを聞いてるだけで鬼だワ」
電話をブチ切ってからは、今日は帰れないと、そこら中に当たり散らした。
余裕で傍若無人をしていられるのも社員の特権なのか。
「いいですよね。久保田さんって」
つい声に出てしまった。
「何だババァ」と久保田は邪魔者を見る目で突き放す。
「ほんと羨ましいです。言いたい事言って、暴れて、それでも給料貰って会社に居られるんですから。来月はボーナスも出るんですよね」
久保田は、椅子をくるりと回転させて、引き摺って、すぐ横にやって来た。
「クソこら、やんのか」
絶対そうはならないと確信しているからそんな事が言える。
「ちょっと大人しくした方が良くないですか。せめて、ほとぼりが冷めるまで」
〝ほとぼり〟
その言葉に反応して、久保田は表情を硬くした。
とはいえ、このまま黙る事には納得いかないのか、
「確かに、俺は底辺の女にちょっかいを出した。冷や水浴びせてやれと思って企んだ事もある。少々、下手こいたけど」と、この期に及んで言い訳がましい。
〝ほとぼり〟とは、この春の久保田昇による〝企画パクリ疑惑〟であった。
本人は、ちょっと驚かしてやれという程度の軽いノリだったようだが、その底辺の女はその後、営業職のキレ者男性上司とめでたくまとまり、まさか営業にまでガチで睨まれる事になるとは思ってもみなかった、という所だろう。
「今はこんなに大人しいもんだ」
「そんなハサミ突き立てながら言われても」
ヤサぐれ社員が一丁出来上がり、である。
「まさか、まだ未練あるんですか。その、林檎さん……」
「2度と具体的な名前を出すな。その女は俺の黒歴史だ」
痛い事実を受け止められない。反省もしていない。やれやれ。いい大人が。
まるで世間に諦めを突き付けるみたいに、私は首を左右に振った。
愛沢蜜希……ふと耳元で呼ばれた気がして、振り返る。
「淋しいのか?」
久保田の顔が真正面、これほど間近にあるのは初めての事だった。
「アラサーが無駄に意地張るなよ。乾いてんだろ?いくら金持ってるからってハゲには飽きる。たまには俺が遊んでやろうか。さぁ、足を開け」
これほど真正面に久保田のセクハラを受け止める事も初めてだった。
妄想力を、ここで発揮せずして何時やるの。
ディーン・フジオカ。
ディーン・フジオカ。
ディーン・フジオカ。
「やだぁ。もう、久保田さんったら」
棒読みで久保田を煙に巻いた。これは聞き耳を立てている周囲も煙に巻いたかもしれない。いくらなんでも、喜んでる!と誤解されたくはありません。
こんなピンクな台詞、今まで出した事なんか1度もありませんが、何か?
ウケたと勘違いしたのか、久保田から飴を貰った。やれやれ。いい大人が。
それを「あら、いただきます」と気持ちよく受け取る(振りぐらいする)。
だが、それを口に放り込んだ途端、
「そこから俺に返して来いよ。そのお口で。いつもハゲにやってるように」
久保田が、距離10センチの所まで迫って来て、口を開けた。
これは犯罪レベルじゃないか。みんなは良く我慢してるな。
私は偶然を装って、飴を口から床に落っことした。
「すみません。驚いてうっかり。それでも良ければどうぞ」
驚かせた久保田が悪い。「冗談通じねー。萎えたワ」と久保田は作業に戻ったが、5分もしないうちに「休憩」と勝手に消える。
やれやれ。
ここは……社員の誰もが長く居着かないというクリエイター3課。久保田昇のいる課。まるで猛獣使いになったみたいに、ヤサぐれ社員を適当にあしらう。
近日中より、これが……派遣OL、愛沢蜜希の日常になる。
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