派遣OLの愛沢蜜希さんが、ヤサぐれ社員の久保田昇に神様を見るお話
西の愛沢、東の久保田。
「愛沢さん、また役員に迫られてたよ。いやぁ~ん、とか言ってさ」
「愛人査定が臨界点を突破。お手当急上昇じゃん」
……それが本当なら言う事無いの。
確かに、今日は朝1で役員室に呼び出された。何て事無い、お茶出しと簡単な書類整理。パソコン操作を教えてくれと頼まれて「では、ご説明致します」と始めたものの、最初から最後までセクハラ満々。その居心地の悪さより何より、今時アプリのインストールも独りで出来ないのかと高齢者の現代適応能力に軽いショックを覚えた。「先生ぇ、明日も来てよぉ」と送り出されて解放されたのは、昼休みをかなり割り込んだ、12:40。これもいつか社員登用のためと思えば……そして、我慢たまらず化粧室に入ると、またしても自分が噂されている所に遭遇する。またしても個室に隠れて聞いているのだ。
「今日の久保田!またまたシステム課のユキさんに迫ったってさ」
「新婚さんだっちゅーの!」
「久保田といい、愛人といい、2人共、会社を何だと思ってんだ?」
私が久保田と同等に並べられている。それには脳ミソが縮む思いだ。
「気のせいかな。4階のお茶っぱ、無くなるの早くない?」
「そういや珈琲も。ロールペーパーも」
「愛沢さんが、お持ち帰りだったりして」
やだもう~、と女子郡は嬌声を上げた。いつの時代も、都合の悪い事は何でも派遣のせいになる。1度位やるのも有りかな?ちょっと私も考えた。
「西の愛沢、東の久保田か」
1人が意味ありげに呟くと、「え?なにそれ」と、もう一人が反応する。
うんうん。私も聞きたいな。
「千葉出身の久保田昇。埼玉出身の愛沢蜜希」
それだけの事だった。横綱みたいな言い方してくれる。
「千葉のおかげで東京は生きてる、みたいなこと言ってたよ。久保田の奴」
「千葉の分際で」
「いっそのこと埼玉と合併して、ダメ同士で仲良くすりゃいいのにね」
「ね、久保田の雑用さ。全部、愛沢さんに振っちゃわない?」
「いいね、それ!」
きゃははは!
悪寒がするのは風邪を引いたのかと思っていた。オフィスに戻るまでは。
……私のデスクが、久保田の隣に移っている!
……そして自動的に、久保田の雑用担当になってしまう!
「宇佐美くんのフォローは2課の子にやらせるから、愛沢さん、それお願い」
それ、とか言われている久保田だった。物扱いにも程がある。
久保田と目が合った。よろしく、とか言われるのかと思っていたら、
「しっかり腰動かせよ。ハゲ」
何故、周囲は笑うのか。私はハゲてなどいない。でも、いつかハゲるかも。
次の日より、その猛獣との戦いが本格的に始まった。
久保田は営業から受けたダメ出しを、まず私に愚痴る。それを聞き流す所から、私の仕事は始まるらしい。そう言えば私って、かなりの確率、聞き役だな。
「結果を決め付けんなとかってさ。決め付けなきゃ終わらねぇよ。馬鹿ばっかりなんだから。クレーム対応の充実が優先なのか。クレームされない接客能力を上げる事が優先なのか。顧客を説得して営業がはっきり決めろっつうんだ。卵が先かニワトリが先かって、いつまでもくだらねぇな」
ところで肝心の作業は?と言うと、「直せってさ。データ寄越せってさ。明日は3人集めて連れてこいってさ」と、これまた漠然としている。話が見えない。
後でこっそり営業さんに確認しよう。
「これ10部コピー。2時に会議室に持って来い」
昼を挟んですぐ、会議開始1時間前にそれを言われた。余裕で準備しておいた所がギリギリで修正が入る。慌ててコピーを回し、急いで届けると、「遅ぇよ!」と久保田に上から怒鳴られた。
まるで全ての遅延の原因が私にあるみたいな言い方である。こういう扱いには慣れている、とはいえ理不尽を受け流すまでには少々時間が掛った。
「申し訳ございません」
会議室の皆様に、資料が私のせいで遅れた事を詫びた。そのお詫びは久保田にだけは背中を向ける。私の、せめてもの抵抗だ。派遣は、何があっても逆らわない。これを会社に訴えるとするなら、それは首を懸けてやる事。
「赤いとこ、直して配りなおし」
会議から戻った久保田から、書類をドンと渡される。
……これがニノだったら。「はい。承知いたしました」
そこへ営業から担当の女の子がやってた。「愛沢さん、データをさっきの一覧に反映した結果なんですけど。どうでしょう?」と何やら頼ってやって来る。
すかさず、久保田のアンテナが鋭い反応を見せた。
「俺が見てやる。こっちに来い。オプションでオッパイDにしてやろうか」
彼女は込み上げた嫌悪感を自分で処理できず、私をすがるように見つめた。
今は発言権を持たぬ彼女も3年立てば会社の中心。派遣の曲がり角に差し掛かった私の味方になってくれるかもしれない。ここは……恩を売る。
「久保田さん」
僭越ながら……と、私はおもむろに立ちあがった。
「私の胸を貸しましょう」
良かったらどうぞ、と、わざわざ作業の手を止めて胸を張る。
久保田は、私の胸と顔を、かわるがわる見て、
「貧乳が過ぎる。愛沢はハゲにイジられて出るもん無いだろ」
「そうかもしれません。久保田さんの力で大きくして下さい」
ほら。
久保田は目的を見失ったみたいに、目が泳いだ。意外と意気地なし。もう1つ意外な事に、この公開処刑は久保田ではなく、女の子が怯えてしまった。
「ババァはどけ。女はとりあえずこのファイルを探せ」と久保田は何やらメモを彼女に渡した。「私がやります」と、そのメモをひったくると案の定、〝7時にエントランス横。からの、今夜〟と走り書きがある。
「何すんだよっ」
奪おうとする久保田よりも、避ける私の方が早かった。
「ファイルは、私が探して彼女に渡します。今夜もお付き合いしましょうか」
久保田はチッと舌打ち、机に八つ当たりをして、オフィスを出て行く。
愛沢さぁん!と女の子は肩から崩れて、私に抱き付いてきた。お互いの境遇を思って、しばらくの間、温め合う事になる。
そこから、今日の会議の議事録の書き方。明日からの準備。新しい案件チェックへと仕事を進めた。久保田が居ないと、はかどる。はかどる。
「明日3人集めるというのは?」
「これは第1営業部が関わるコンサル研修なんですけど、ロールプレイングに人数が足らなくて。出来れば参加して欲しいと」
「まずフロアに声かけてみます。派遣の仲間辺りにも聞いてみますね」
概要を記した書類を貰って、私は頷いた。久保田の居ないオフィスでコーヒーを片手に、私は至福の時を味わう。その久保田はまだ戻って来ない。
「よかったぁ、愛沢さんが居てくれて」
「私も助かりました。ちゃんと説明してくれる社員さんが居てくれて」
笑顔で帰って行く彼女を見送った。
今日は今年1番、充実している。そんな気がする。
午後8時、そろそろ帰ろうかと言う頃になって久保田がデスクに戻ってきた。
「どこ行ってたんですか」
「ババァの居ない所」
久保田は意外に上機嫌で、「どうだよ?たまには俺とメシぐらい行くか」と真正面から誘ってきた。どれだけフラれて、私に回って来たのだろう。
「いいんですか?ババァですけど」
「ババァだから、飲み屋でいいだろ?」
居酒屋で。
2人きりで。
向かい合って。
「何だよ?その目は」と、久保田は怪訝そうに私の様子を眺めている。
「今、私の頭の中で、桜井翔とデータのすり替えを行っていますが」
「は?」
「セットアップ完了です。行きましょうか」
久保田は「おまえ、クソか?それとも変種のアッパー系か」と苦虫を味わい尽くしたみたいな表情で私の後を付いて来た。本気でオゴってくれるのか。まさか姑息にその先を狙ったりしてないか。ババァですけど。
エントランス前のゲートで、1度久保田を振り返る。……僭越ながら。
「その趣味の悪いネクタイ、どうにかなりません?」
いつも妄想を邪魔する。そして、一緒に歩きたくない理由その1だ。
「これかよ」
久保田はネクタイを裏返し、ブランド名をドヤ顔で見せてきた。
「不愉快です。似合いません。変えた方が絶対いいと思います」
「何で俺がおまえの好みに寄せなきゃなんだ?あ?」
「アドバイス、と思って頂ければと……失礼致しました」
「もういい。萎えた。メシが不味くなる。独りで食う」
久保田は舌打ちをした。
この程度で逃げ出すとは……久保田昇、口ほどにも無い男である。
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