小倉ひとつ。
ほんとうは、ちがう。寂しいなんてわがままだ。


瀧川さんに会えるのも、稲やさんで働けているのも、ただの偶然なのに。


瀧川さんが続けてくれているだけで、絶対に来てくれると約束しているわけではないから、来られないのも、来ないのも当たり前で。

当然、なんだけれど。


ただいつもよりひとつ多く店頭に並べただけなのに、胸が痛む。


私の勤務日は瀧川さんの勤務日とおおよそ重なっているので、大抵、平日は特に、瀧川さんが最初のお客さんになる。


朝一番に注文を受けるのが、あまりに当たり前すぎて。

行ってらっしゃいませって今日もうまく言えるかなあって悩むのが、あまりに日常すぎて。


生地が焼けるいい匂いが漂う度に、扉がからりと開く度に、穏やかな微笑みを扉の向こうに探してしまう。


……いつか、秋が一番好きだと笑っていた。


目が覚めるような鮮やかな紅葉が、一番綺麗で好きな、稲やさんの景色だと。


だから、お座敷のお気に入りの席は、一番お庭が美しく見える、真ん中、大きな丸窓の正面の席。


いつか、稲やさんのたい焼きが好きなのだと笑っていた。


皮がサクサクしていて、あんがほっくり優しい甘さだから、と。


焼きたてのたい焼きを熱いうちに食べるのが美味しい食べ方だそうで、時間を作ってはお座敷でできたてを食べていく。
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