貴方が手をつないでくれるなら
・すべてが攻防戦

「はぁ、はぁ…、こんばんは。すみません、こちらからお願いしておきながら遅れました。柏木悠志です。大変申し訳ありません」

やはり俺の思っていた通りの感じという事かな。柏木という男、俺の前に立ち、息を調えると姿勢を正すように背筋を伸ばし、頭を下げた。

「いいえ、連絡を頂ければ、今日は無しにして頂いても良かったのですよ?お忙しいようだ。改めても良かった」

「いいえ、大事な事を忙しい事を理由に疎かには出来ません。それにドタキャンになってしまいます。仕事を理由に一度延期してしまっては、また次も、となりますから。しかし、連絡も出来ないまま遅れました、申し訳ありません。あの…、妹さんには以前、初対面にも拘わらず、大変失礼な事を言ってしまいました。申し訳ありませんでした」

「取り敢えず座って話しませんか?さあ、どうぞ掛けてください」

ハハ。笑う場面ではないが、これではまるで俺が上司で、何か報告を受けている気分だな。…実直だな。日向の兄だからといっても、俺は特別偉い訳じゃない。人としては対等なはずだ。

「はい。では、失礼します」

人の出入りの少ない奥の席だ。着席と同時に店員が注文を取りにやって来た。水の入ったグラスを置く間も与えない程、注文は早かった。

「珈琲、ブラックでお願いします。ミルクや砂糖は付けなくていいです」

…律儀に…親切だな。

「あー、お食事は済んでますか?まだなら何か一緒に召し上がられてはどうですか?」

夕食はきっとまだだろう。いつもこんな感じなのかもしれない。とにかく出先から急いで来たというところだろう。

「いいえ、大丈夫です」

今日に限っては何かを食べられる状況では無い。形ばかりの珈琲だけでいいというところか。そうかもしれないが、それなら尚のこと、この時間を有効に利用すればいい。

「すみません、サンドイッチを追加でお願い出来ますか?ミックスの。それと珈琲も、もうひとつ」

「…畏まりました」


珈琲とサンドイッチが運ばれて来て、空いたカップを引き、一礼すると店員は下がって行った。

「どうぞ、食べてください」

「あ、え?」

「遠慮などせず、どうぞ。私も一つ頂きますから、どうぞ?ハムチーズ、私が頂いても構わないですか?」

「はい、私に構わずどうぞ」

「好き嫌いがあるんですか?」

「え?いいえ。特にはありません」

「だったら食べましょう。気を遣って遠慮されるような物ではありません。あ、それとも、実はこれが一番好きな物でしたか?」

「いいえ、そういう事では…」

「では遠慮なさらずどうぞ。…ここにパンを買いに来た時だったんですよ?貴方が刺されたと日向が連絡を受けたのは。日向は買うべき物も買わず、頼んだ昼用のサンドイッチも、これとは違う物を買って帰って来ました。
あの日、日向の頭から何もかも全く抜け落ちてしまったんですよ、用件が。とにかく、それ程貴方の怪我にショックだった訳です」

「え?」

「確かに大変な怪我でしたでしょう。よくなられて本当に良かった。…さあ、どうぞ、遠慮せず。日向とは、よく分け合ったり、奪い合ったりと、いつまでも子供のようにして物を食べるんですよ」

兄妹でもあり、二人きりの家族でもある…。絆は深いに違いない。

「そうですか…では、頂きます」

おしぼりで手を拭き、まず珈琲を一口飲んだ。手前にあったから、トマトとチーズとレタスが挟まれた物を手に取った。

「それ、日向が居たら半分こって言われてます。日向はそれが好きだから」

「あ、は、い。そうなんですね」

「…ずっと家族なんです。うちの事は、日向から聞きましたか?」

「はい。ご両親を事故で亡くされた事は伺いました」

咀嚼しながら頷いていた。

「それからずっと、あの店で日向と二人です。元々は、こっちに越して来て、親が始めた文房具店でした。今も文房具は置いてますが、昔程は置いてないんです。文房具は数が膨大にありますしね。身の回りの物からお洒落な小物とか、そういった物がメインなんですよ、今は」

「…そうですか」

あの事があったから、引っ越しをして来たって事だろうか。多分、そうだよな。

「…誘拐された事は、日向は話しましたか?」

…。

「はい」
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