カノジョの彼の、冷めたキス

口止め料



それから会社で渡瀬くんと顔を合わすことはあったけど、非常階段でのことについて特に触れられることはなかった。

やっぱり気付かれてなかったんだと安心した。

あたしと渡瀬くんは同じ営業部にいるけれど、仕事上関わることがほとんどない。

だからそのうちに、非常階段での出来事自体を忘れてしまっていた。


「こんにちは」

会社に渡瀬くんの来客があったのはそんなときだった。

デザイン性の強い高そうなスーツを身に纏った男性が、愛想のいい笑みを浮かべながらオフィスのドアから入ってくる。

たまたま入口の近くにある棚の資料を取りに来ていたあたしが顔をあげると、目が合ったその人がやけに親しげに笑いかけてきた。


「こんにちは。渡瀬さん、いますか?」

「えぇっと……」

振り返ってあたりを見回すけれど、そこに渡瀬くんの姿は見当たらなかった。




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