あの夜、退屈で仕方のなかった仮面舞踏会に、ダンスのひとつもまっとうに踊れない不器用な女性が現れて、ルーファスの常識を粉々に打ち砕いた。

ステップを間違えた彼女は、真っ赤になってうつむくと、か細い声で『ごめんなさい』と呟いてルーファスの腕の中から逃げ出した。

豊満な身体を押しつけてくる高飛車な女たちを相手にしてきたルーファスは、謙虚な態度を取る彼女が、見たことのない生き物のように思えた。

『ダンスはお嫌いですか?』と問うと、自分にダンスは向いていないと答える。
ではなぜこの仮面舞踏会にいるのか。この自己主張の強い男女の巣窟に。

ああ、自分と同じなのだ、とルーファスは気づいた。
彼女もここから、逃げ出したがっている。
与えられた運命に抗いたくて、けれどそれもままならなくて、仕方なく時間を潰しているうちのひとりだ。

そんな出会いを口実に、ルーファスは彼女を連れ舞踏会場を抜け出して、ひと気のない庭園へと足を延ばした。

しばらく時間をともにしてわかったのは、花を見て表情を緩める、そんな奥ゆかしい女性だということ。
それから、手を握れば頬を赤く染め、体を寄せればしどろもどろになる。そんな彼女は、ルーファスにとって新鮮でおもしろかった。

もう一度会おうと約束したのは、彼女に対する興味から。

口づけたのは、その素顔が予想以上に美しかったから。


漆黒の髪に同じ色の瞳、そして予期せず聞いてしまった『セシル』という名。

ルーファスはすぐにその正体に思い当たった。
フランドル自治領からいくつか領地を跨いで西に広がる土地を統べるローズベリー伯爵家に、けっして社交界には姿をあらわさない、病弱な、それはそれは美しい『セシル』という名の娘がいるという話。