季節は三月上旬。春と呼ぶにはいささか寒い朝だった。


「――ちゃ……ん」


 唇がわななくと同時に、目の端から溢れた涙がこめかみを伝い落ちる。

 ざわりと耳の側で不愉快な音がして、栫澄花(かこいすみか)はゆっくりと瞼を開け、指で目元をぬぐった。
 濃くて長いまつ毛の先になみだがひっかかったせいで、視界がおぼろげだ。

 だが、今自分が何を見たのか、澄花は理解していた。


(こっちが現実……)


 時折、自分の涙で目が覚めることがある。

 夢を見たのだ。

 だが目を開けた瞬間、淡い蜃気楼のようなそれらの夢は影も形もなく消えてしまう。繰り返し見続け過ぎて、記憶が擦り切れ始めているのかもしれない。

 けれどいくら夢が淡く色あせるようになったとしても、澄花はその夢の正体がはっきりとよくわかっている。この涙は置いていかれた者の悔し涙なのだ。


「ふぅ……」


 深い気を吐き、手の甲で涙をぬぐい枕元のスマホを手に取る。時間は目覚ましタイマーより三十分早い朝の五時半で、カーテンの外は当然真っ暗だった。寝直そうにも頭の芯が重い。二度寝したところで気分は晴れそうにない。