幽霊と私の年の差恋愛







「……で、ここ何件目だっけ?」


「……二十五件目です……」


真糸の笑みを含んだ問いに、美波は最初の威勢はどこへやら、力なくそう答えた。

美波は真糸を連れ、様々なお寺や神社を訪れた。それこそ街中にある小さな鳥居から、世界でも名だたる観光スポットになっている場所まで、電車を乗り継ぎ回れる場所は網羅した。


「しかーし! 最初の目論みは外れて、僕は全然成仏する気配がないねぇ」


「うう…すみません……」


有難いお経や御札の類も資金ある限り試したが、真糸に何ら影響を及ぼさなかった。

それどころか、鬼気迫る表情で事情を説明する美波は、住職や神主たちから、まるで危ない人物を見るような視線を向けられることすらあった。

いくつかの霊媒師を訪ねてみたが、どこも料金が高額すぎて美波には払うことが出来なかった。

重い足取りで最初の駅に戻ってくると、美波は溜息を吐きながらコインロッカーの荷物を取り出した。

辺りはいつの間にか夕暮れになっている。日中よりも、少しだけ肌寒い。

今日はもう諦めて、美波が一人暮らしをするアパートへと向かうことにした。


「君が謝ることはないさ。誰だって幽霊が成仏する方法なんて知らないよ」


どんよりしている美波とは対照的に、真糸はこの状況を楽しむかのように笑った。


「良い方法だと思ったんだけどなぁ……」


下唇を噛むのは、考え事をしている時の美波の癖だ。ふと思い付いたことを、真糸に尋ねてみる。


「真糸さん、真糸さんの思い残したことって何ですか?」


よく漫画やドラマの世界で言われているのは、この世に未練があると幽霊になるというもの。


(それが分かれば、もしかしたら成仏できるんじゃ……)


期待を込めた美波の視線を受け、けれど真糸はあっさりとこう答える。


「特にないよ?」


「ええ〜……」


真糸の答えに、美波はがっくりと項垂れる。


「まぁ強いていえば研究が途中段階だから気になるといえばなるけど……でも僕が研究してたのって、単に他に興味を持てるものもなくて、大学からそのまま院に行って成り行きで〜って感じだしねぇ。続きは研究室の子達がやってくれるだろうし」


「そのモチベーションで准教授って……真糸さん凄すぎですよ……」


真糸の勤める有名私大には遠く及ばないレベルだが、美波も一応国立四大卒だから分かる。

真糸ほどの年齢で、准教授に就任するというのは並大抵のことではない。

ポストが空くか否かという運もあるが、一番は研究論文が学会に認められる必要がある。

頭が良くてこの容姿、加えて人好きしそうな性格となれば、私生活もさぞ充実していそうだ。


「か、彼女とか、いなかったんですか?」


何故かどもってしまう美波に、真糸は苦笑しながら答える。


「……それがねぇ。悲しいことに今日の僕の恋人は、研究だけなんだなぁ」


「そ、そうなんですか……」


その答えに、美波は不謹慎と思いつつもほっとした。


(いやでもっ……このルックスで彼女なしって、実はとんでもない性癖の持ち主だったりしてっ……)


心の中で失礼なことを考えている美波に構わず、真糸は何か考えごとをするように眉間を揉んでいる。

他にも生前の未練について考えあぐねているうちに、やがて美波のアパートに着いた。







「え……君、こんなところに一人で住んでるの?」


信じられない、というような真糸の反応も致し方ない。

アパートは木造の二階建てで、上下合わせて全八戸の古めかしい建物だった。おそらく真糸よりも年上の物件で、およそ若い女性が住んでいる雰囲気は皆無。人通りの少ないところにぽつんと建っており、防犯上も好ましくない。


「仕方ないです。都心で一人暮らししようと思ったら、けっこうお金かかっちゃうし。どうせ寝るためだけの部屋ですから」


「そうは言っても、最寄り駅から徒歩15分だよ? もうちょっと良いところあったんじゃぁないの?」


錆び付いた外階段を上りながら恥ずかしそうに告げる美波に、真糸は呆れた顔で返す。


「先月色々あって引っ越したんです。仕事も忙しくて選んでる暇がなくて」


やがて一番奥の部屋の前まで来ると、鍵を差し込んでドアノブを回す。


「狭い部屋ですけど、どうぞ」


「おっ邪魔しまーす」


アパートの外観とは違い、室内は思いのほか綺麗にリノベーションされていて、さらにはしっかりと女子らしい内装になっていた。

まず手前にキッチンがある1Kタイプだ。水道の上に取り付けられた棚にはカラフルな鍋や調味料のボトルが並んでおり、自炊していることが窺える。シンクの向かいにある2枚のドアは、おそらく風呂とトイレだろう。

奥のドアを開けると、八畳ほどの空間に置かれたピンクのラグに、ガラスの小さなテーブル。

壁際には雑誌置き場と化しているローボードと、そこに乗せられた小さめの液晶テレビ。

一番奥の窓際には足の細いセミダブルのベッドが置かれ、清潔そうなアイボリーの掛け布団が几帳面に整えられていた。その下のスペースに収納ボックスが仕舞われており、空間が無駄なく使われている。


「へぇ〜。見た目通り、綺麗で女の子らしい部屋に住んでるじゃなぁい? 外観を見た時はちょっと心配したけど」


真糸は物珍しそうにキョロキョロと部屋を見回す。美波は自分の部屋にも関わらず、居心地の悪さを感じていた。

物理的干渉は出来ないものの、知り合って一週間しか経っていない男性を部屋に上げたうえ、部屋中を物色されたのでは致し方ない。

壁をすり抜けながら風呂やトイレも見て回っている真糸を横目に、美波はベッドとテーブルの隙間にちょこんと座る。

ここが美波の定位置だった。


「ねぇ君、隣の住人と会ったことあるかい? おっさんの僕が言うのもなんだけど、すっごく小汚いおっさんが住んでたよ。もうおっさんオブおっさんって感じ」


隣と空間を隔てる壁から真糸が現れたかと思うと、開口一番こう宣った。真糸は、自身が美波にしか見えないことを楽しんでいる様子だ。


「どうせなら美女と一緒に住みたかったけど、まぁかえって後ろめたさもないし気が楽だねぇ。あ、何か用があったら呼んでね」


「え、ちょ、ちょっと!」


戻ってきた途端、片手を上げて再び壁に吸い込まれようとする真糸に、美波は慌てて声をかけた。


「す、住むって、まさか隣の人の部屋に…ですか?」


美波が窺うように尋ねると、真糸はきょとんとした顔で頷く。


「うん。まぁ申し訳ないとは思うけど、相手には僕の姿が見えてないわけだし?」


当然のようにそう言ってのける真糸に、美波は軽く下唇を噛んだ。

おそらく真糸は、一人暮らしでまだ若い美波に気を使ったのだ。1Kの家では、どうしたって顔を合わせないわけにはいかない。

美波はぎゅっと拳を握ると、意を決したように彼に告げる。


「あ、あのっ。良かったら私の部屋で、一緒に住みませんか?」


「……へ?」


その問いに、真糸がリアクションするまで数秒かかった。頭の処理速度が早い真糸にとって、レスポンスに時間を要するのは珍しいことだ。


「せめてものお詫び……にはならないと思いますが……。私まだ、真糸さんに成仏してもらえる方法を探したいんです……。駄目、ですか……?」


上目遣いで真糸の返事を待つ美波は、まるで捕食される寸前の小動物のようだった。


「ぷっ……。君がそれで良いなら、僕はここに居候させてもらうよ。よろしくね、美波ちゃん」


真糸は堪えきれない笑みを漏らしながら、首を縦に振った。









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