しあわせ食堂の異世界ご飯
 夜になり、しあわせ食堂の厨房にトントンと野菜を切る包丁の軽やかな音が響く。
 アリアが一人、明日使う食材の準備をしているのだ。
 シャルルは部屋で夜のストレッチ、エマは足の療養のため休み、カミルは食材の購入のため店と市場を往復している最中だ。

「でも、カレー作戦がこんなに上手くいくとは思わなかったよ」

 お客さんがたくさん来てくれたことを思い出して、アリアはにんまり笑う。

「明日はもっとたくさんカレーを作るし、いっぱいお客さんが来てくれるといいなぁ」

 鼻歌を歌いながら野菜の準備を終えたところで、外から小さな物音がした。
 食材を買ったカミルが帰ってきたのかもしれないと思い、アリアは店のドアを開けて――「えっ」と驚く。
 てっきり仕入れをして荷物を抱えたカミルが立っているのものだと思ったが、そこにいたのはジェーロへ来る途中の森で出会ったリントだった。

「え? リントさんじゃないですか!」
「アリアさんか……? どうしてここに?」

 思わず二人同時に声がもれる。

「それはこっちの台詞ですよ。私は今、住み込みでここ【しあわせ食堂】で雇ってもらってるんです」
「……そうだったのか。俺は、ここで『カレー』という不思議なものが食べられると言う噂を聞いて来たんだが……」
「ああ、カレー!」

 リントがカレーを食べに来てくれたのはとても嬉しいが、残念なことに品切れだ。
 とはいえ、森でお世話になったリントには何かおもてなしをしたいなと思う。ほかの料理でもいいけれど、それじゃあリントの要望には応えられていない。

 ――そういえば、ほんの少しだけカレーが残ってたっけ。

「ちょっとアレンジした『カレー』を、食べていきませんか?」
「アレンジ?」

 そう言って、アリアは戸惑うリントを店内へ招き入れる。
 ちょうどクローズの札が目に入り、リントは慌ててその招待に待ったをかけた。

「……さすがに、閉店したのに食事を貰うのは気が引ける」
「大丈夫です。今日は早々に品切れたので、いつもよりずっと早く閉店したんです。いつもだったら、今も営業してる時間なんですよ」
「そうなのか?」

 だから遠慮しないでくださいと、アリアはリントを招き入れた。

 テーブル席についてもらい、お茶を出してからさっそく料理に取りかかる。今から作るのは、昼間に残ったカレーを使った『スープカレー』だ。
 残ったカレーに水を加えて、甘味を出すために少しはちみつを入れる。

「んー、野菜は追加で入れてもいいかな。あとはトッピングで、ゆで卵とか」

 チーズを載せてもいいかもしれないが、あいにく厨房にチーズはない。
 多少割高になってしまうので、もう少しお店が潤ってからチーズを使ったメニューを考えるのもありだろう。

 ささっと仕上げて、アリアはリントの下へスープカレーを持っていく。

「お待たせしました。昼間の『カレー』を、『スープカレー』にリメイクしたものです」
「……ありがとう」

 食べ始めたリントを見て、アリアはゆっくり向かい側に腰かける。

「リントさんは、この街にお住まいなんですか?」
「……ああ」
「ええと、ローレンツさんは、今日はご一緒じゃないんですか?」
「……別件の仕事だ」
「そうなんですね」
「…………」

 ――会話が続かない。

 項垂れたいが、そうはいかない。
 食に興味がないであろうリントが、こうして噂を聞き小さな定食屋に来てくれたことを奇跡だと思っていた方がずっといいだろう。

「ええと、味はいかがですか?」

 アリアが尋ねると、スープをすくっていたリントのスプーンを持つ手がぴたりと止まる。

「……今日は、梅もじゃこも入っていないんだな」
「気に入ってくれたんですか? あの食材を使ってないのは、カレーに合わないなと思ったからです」
「そうか」

 答えに納得したのか、リントは再びスープカレーに口をつける。

「また作りますね、おにぎり」
「……ああ」

 ――無言で食べてるから、もしかして気に入ってくれてるのかもしれない。

 こうして出会えたのは二回目だけれど、もっと仲良くなれたらいいなとアリアは思う。せっかく知り合うことができた、数少ないジェーロの友人だ。
 何か話題を。そうアリアが思ったけれど、それより早く店のドアが開いた。

「ただいま、アリア。……って、お客さん?」
「おかえりなさい。以前お世話になった、リントさんです。カレーの噂を聞いて、お店に来てくれたんですよ」
「へぇ……それは嬉しいですね」

 市場に買い出しへ行っていたカミルは、大きな袋を厨房に運ぶ。
 そしてすぐに、リントが食べているものが普通の『カレー』ではないことに気づく。

「あれは?」
「ああ、『スープカレー』ですよ。一人前には足りなかったけど、スープにすればお出しできたので」
「へぇ……そんなこともできるんだ。すごいね」

 カミルが感心したようにスープカレーを見ると、食べているリントに睨まれる。
 確かにじっと見られて気分のいいものではないかと思い、カミルは慌てて食材を持って厨房へ行く。
 野菜を棚に入れ、受け渡し口からひょっこり顔を出す。

「アリア、野菜洗っておくね」
「ありがとう!」

 下ごしらえする野菜はまだ大量に残っていたので、カミルの申し出に感謝する。

「……料理をするのは、大変なんだな」
「そうですね、準備に手間をかけると美味しくなりますから」

 ふいに問いかけられたリントの言葉に、アリアは笑顔で答える。
 ちょっとした工夫で美味しくなるならば、それを面倒だとは思わない。そう言うアリアを、リントは無言でじっと見つめる。

「え、えと……?」
「いや。美味しかった、ありがとう。いくらだ?」
「私が無理にお誘いしちゃったので、お代はいいです。メニューにもないですからね」

 昼に提供したランチの『カレー』は500レグのワンコイン設定だったけれど、そのあまりをささっとアレンジしただけのものにお金を取るつもりはない。
 受けとる様子のないアリアを見て、リントは小さくため息をつく。

「……なら、また来る」
「! それが一番嬉しいです。いつでも来てくださいね」
「ああ」

 リントが席から立ち上がるのを見て、アリアはドアを開ける。

「こんな広いジェーロで、またリントさんに会えるとは思わなかったです」
「そうだな」

 アリアの言葉に、リントも頷く。
 森の中で出会ったのも奇跡だったというのに、街でも会うなんて。アリアはくすくす笑いながら、「また来てくださいね」とリントを見送る。

「ああ」
「おやすみなさい」
「……おやすみ」

 別れの挨拶をすると、素っ気ないながらもリントから返事がくる。

 ――ちょっとは仲良くなれたかな?

 リントの背中を見送りながら、けれどあまり会話が弾んだわけでもないしと思う。

 ――でもでも、森のときよりは話せたよね?

「アリア、お客さん帰ったのか?」
「うん」
「なら、明日の準備終わらせちゃおうぜ。早く寝ないと、アリアも疲れてるだろ?」
「そうだねぇ」

 今日はたくさんのお客さんが来てくれ充実していたけれど、とても疲れているのだ。
 カミルの提案を受け入れて、さっさと仕込みを終わらせるため厨房へ戻った。
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