生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ
１２、娘の監視
協議では、これ以上騒ぎ立ててもこちらに不利になるだけだろうということで皇帝妃リウィアを生贄にすることはあきらめることになったという。そして身代わりに送られてきた娘を正式な生贄として受け取り、次の満月に神に捧げられることとなった。
帝国の危機に際してとり行われる祈願祭(スプリカティオ)。エゲリア神の祈願祭(スプリカティオ)は、満月が天頂にさしかかったときより始められるのがしきたりになっていた。
満月の夜は月の女神であるエゲリアが最も地上に近付くとされていて、祈願祭(スプリカティオ)に一番適した日だからだ。このしきたりだけは崩せないということになって、を一ヶ月繰り延べすることになった。
娘に祈願祭(スプリカティオ)が一ヵ月後に行われ、そこで神に命を捧げてもらうことになると話したけれど、娘は承ったというように頭を下げただけだった。生贄になることへの反応らしい反応はそれだけだった。
まるで興味がないかのように、話が終わるとすぐ「踊ってもいいですか？」と許可を得てまた踊り出す。
よっぽど踊ることが好きなのだろう。
命が惜しくないのだろうか。
娘の反応は、今まで何人もの死に様を見てきたセリウスには理解できないものだった。
戦場に響き渡る悲鳴と怒号、容赦のない命のやりとりの中で誰もが生に執着する。必死に助命を乞い、命救われるなら他人も蹴落とす。生をつなごうと誰もが死に物狂いだった。
娘がなりふりかまわず命乞いしなくてよかったじゃないかと思った反面、何故命を惜しまないのかと問い詰めたくなる。
娘はふと踊りをやめ、もじもじと肩をすぼめた。
「どうした？」
「あの……なんかあたし睨まれてるみたいですけど、何かいけないことをしてしまいましたでしょうか？」
言われて気付いた。問いたい気持ちを抑えるあまり、どうやら睨みつけてしまっていたらしい。
決まりが悪くて、セリウスは部屋を出ていこうとした。用は済んだ。監視は部屋の外ですればいい。
すると、娘は小さく叫んで呼び止めた。
「あの……！」
「なんだ？」
振り返って返事をしたが、娘はセリウスに対して恐れを抱いているのか、うつむいて縮こまる。
そういえばこの娘は奴隷だった。
セリウスが役目を果たすのを監視していた貴族に、目が合ったというだけで殴られていたのを思い出す。
娘は理不尽な仕打ちに怒りも泣きもせず、一切の表情を拭い去って立ち上がった。
物心つく前から成人するまでの間、奴隷のいない神殿内で暮らしていたセリウスには、正直奴隷のことがよくわからなかった。
主人のために働く者であることはわかる。けれど奴隷を『もの言う牛馬』と揶揄する感性や、失敗らしい失敗もしてないのに気に入らなければ殴り飛ばせる感覚がわからない。
同じような肉体を持ち、言葉も通じる。そんな彼らをどうして人間でないと思えるのか理解できない。
奴隷は奴隷で卑屈なくらいへりくだる。隅に縮こまって、できるだけ距離を置こうとする。かと思うとこれでもかというくらい媚びを売ってきて。そういう姿を見ていると醜悪で気分が悪くなる。
奴隷のそういった行動を指して、だから奴隷は人間だと考えるべきではないと言う人々もいる。 しかし奴隷にそのように振る舞わせるのは、奴隷を使役する側ではないのか。
「言いたいことがあるのなら遠慮なく言えばいい。私はとがめだてはしない」
セリウスは常々思っていることを口にした。。
娘はセリウスの言葉に背中を押されたようにおずおずと顔を上げた。
「その……貴方様こそあたしに何かおっしゃりたかったのではないですか？」
セリウスはぐっと喉を詰まらせた。問い詰めたい思いに気付かれてしまっていたか。ばつの悪い思いをして視線をそらした。
「気にするほどのことではない。命ではなく残された時間を惜しむのを不思議に思っていただけ──」
セリウスは言葉を切った。言っているうちに改めて、これを問うのはむごいことと気付いたからだった。口をつぐみ気まずい思いで娘を見ると、娘は何故か穏やかな表情をしてセリウスを見つめていた。
「命ごいしないあたしがそんなにおかしく見えますか？」
言葉を返しあぐねた。娘は唇の端を少しだけ上げて目を伏せる。
「命ごいしたら助けてもらえるというのならしますけど、奴隷であるあたしの命ごいなど聞き届けていただけるはずがないことは存じております。逃げ出せないこともわかっておりますし」
投げやりなたその物言いに、セリウスは腹が立った。
「何故だ？ 何故簡単にあきらめてしまえる？ 命が惜しくはないのか？」
一瞬自制を忘れて責め立ててしまう。娘が唇を引き結び瞳を潤ませたことに気付いて我に返った。
泣かせてしまったかとセリウスはうろたえる。娘は震える声で答えた。
「惜しいです。死ぬなんて怖いです。もう先の人生が望めないと思うと絶望します。でもちょっと考えればわかることなんです。あたしは絶対に逃げられません。あたしが逃げれば貴方様は追いかけるでしょう？ 逃げるあてのないあたしが逃げおおせるとは思えません。逃亡して捕まればひどい仕置きが待っています。逃げおおせることはできないのだから、馬鹿なことは考えずにおとなしくしていたのがよいのです」
所有する側からすれば何と都合のいい物分りのよさ。奴隷としてしつけられるとこのようになってしまうのか。
「何故逃げられないと考える？ 実際逃げてみないとわからないのではないか？」
「あたしが逃げてしまってもよろしいのですか？」
セリウスは言葉を詰まらせた。困るに決まっている。ここで正直に困ると返しても話を切り出した自分の間抜けさをさらけ出すだけだ。
娘は右肩を突き出して二の腕を示した。そこには痛々しいほどの焼印が捺されている。
「奴隷である証です。ここに首都のセレンティア地区の印とニカレテという名前が捺されています。セレンティア地区に住むニカレテという人物の所有物だということです。不審者はまず腕を調べられます。そして焼印があれば所有者に確認の連絡がいきます。あたしの場合、ニカレテに連絡がいって、ニカレテが貴方様にあたしを売ったことを証言して貴方様の元へ返されるのです。所有者が変わったとき焼印が追加されます。そして奴隷身分から解放されるとき、焼印の上に“解放者の名のもとこの者を奴隷から解放する”と刺青が彫られるのです。刺青の入っていない奴隷を誰も雇ってはくれません。逃亡した奴隷をかくまえば帝国の法に裁かれるからです。謝礼目当てで逃亡奴隷を所有者に突き出す人もいます。……それでも逃げ出す奴隷がいるなら、よっぽど死に物狂いなんでしょうね」
言葉もないセリウスに、娘は淋しそうに笑った。
「あたしも死に物狂いになるべき状況に置かれているのでしょうけど、あたしは残りの時間を逃亡仕置きに浪費するより、好きなことを精一杯楽しみたいと思ったのです」
言い終えたあと晴れやかな表情になった。
セリウスは言葉をなくした。この娘を強いと思った。死を目の前にして怯むことなく、まっすぐ運命を見据えて。
「あの……それでですね」
娘は再びもじもじした。
「もし願いを聞いていただけるのでしたら、睨みつけるんじゃなくてあたしの踊りを観てほしいんです」
思わぬことを言われセリウスは目をしばたかせた。
すると娘は慌てて両手を振る。
「す、すみませんっ。過ぎた願いを申しました。お忘れください」
当惑して見下ろしていたセリウスがかまわないけどと答えると、娘は叩くように手をあわせて顔をほころばせた。
帝国の危機に際してとり行われる祈願祭(スプリカティオ)。エゲリア神の祈願祭(スプリカティオ)は、満月が天頂にさしかかったときより始められるのがしきたりになっていた。
満月の夜は月の女神であるエゲリアが最も地上に近付くとされていて、祈願祭(スプリカティオ)に一番適した日だからだ。このしきたりだけは崩せないということになって、を一ヶ月繰り延べすることになった。
娘に祈願祭(スプリカティオ)が一ヵ月後に行われ、そこで神に命を捧げてもらうことになると話したけれど、娘は承ったというように頭を下げただけだった。生贄になることへの反応らしい反応はそれだけだった。
まるで興味がないかのように、話が終わるとすぐ「踊ってもいいですか？」と許可を得てまた踊り出す。
よっぽど踊ることが好きなのだろう。
命が惜しくないのだろうか。
娘の反応は、今まで何人もの死に様を見てきたセリウスには理解できないものだった。
戦場に響き渡る悲鳴と怒号、容赦のない命のやりとりの中で誰もが生に執着する。必死に助命を乞い、命救われるなら他人も蹴落とす。生をつなごうと誰もが死に物狂いだった。
娘がなりふりかまわず命乞いしなくてよかったじゃないかと思った反面、何故命を惜しまないのかと問い詰めたくなる。
娘はふと踊りをやめ、もじもじと肩をすぼめた。
「どうした？」
「あの……なんかあたし睨まれてるみたいですけど、何かいけないことをしてしまいましたでしょうか？」
言われて気付いた。問いたい気持ちを抑えるあまり、どうやら睨みつけてしまっていたらしい。
決まりが悪くて、セリウスは部屋を出ていこうとした。用は済んだ。監視は部屋の外ですればいい。
すると、娘は小さく叫んで呼び止めた。
「あの……！」
「なんだ？」
振り返って返事をしたが、娘はセリウスに対して恐れを抱いているのか、うつむいて縮こまる。
そういえばこの娘は奴隷だった。
セリウスが役目を果たすのを監視していた貴族に、目が合ったというだけで殴られていたのを思い出す。
娘は理不尽な仕打ちに怒りも泣きもせず、一切の表情を拭い去って立ち上がった。
物心つく前から成人するまでの間、奴隷のいない神殿内で暮らしていたセリウスには、正直奴隷のことがよくわからなかった。
主人のために働く者であることはわかる。けれど奴隷を『もの言う牛馬』と揶揄する感性や、失敗らしい失敗もしてないのに気に入らなければ殴り飛ばせる感覚がわからない。
同じような肉体を持ち、言葉も通じる。そんな彼らをどうして人間でないと思えるのか理解できない。
奴隷は奴隷で卑屈なくらいへりくだる。隅に縮こまって、できるだけ距離を置こうとする。かと思うとこれでもかというくらい媚びを売ってきて。そういう姿を見ていると醜悪で気分が悪くなる。
奴隷のそういった行動を指して、だから奴隷は人間だと考えるべきではないと言う人々もいる。 しかし奴隷にそのように振る舞わせるのは、奴隷を使役する側ではないのか。
「言いたいことがあるのなら遠慮なく言えばいい。私はとがめだてはしない」
セリウスは常々思っていることを口にした。。
娘はセリウスの言葉に背中を押されたようにおずおずと顔を上げた。
「その……貴方様こそあたしに何かおっしゃりたかったのではないですか？」
セリウスはぐっと喉を詰まらせた。問い詰めたい思いに気付かれてしまっていたか。ばつの悪い思いをして視線をそらした。
「気にするほどのことではない。命ではなく残された時間を惜しむのを不思議に思っていただけ──」
セリウスは言葉を切った。言っているうちに改めて、これを問うのはむごいことと気付いたからだった。口をつぐみ気まずい思いで娘を見ると、娘は何故か穏やかな表情をしてセリウスを見つめていた。
「命ごいしないあたしがそんなにおかしく見えますか？」
言葉を返しあぐねた。娘は唇の端を少しだけ上げて目を伏せる。
「命ごいしたら助けてもらえるというのならしますけど、奴隷であるあたしの命ごいなど聞き届けていただけるはずがないことは存じております。逃げ出せないこともわかっておりますし」
投げやりなたその物言いに、セリウスは腹が立った。
「何故だ？ 何故簡単にあきらめてしまえる？ 命が惜しくはないのか？」
一瞬自制を忘れて責め立ててしまう。娘が唇を引き結び瞳を潤ませたことに気付いて我に返った。
泣かせてしまったかとセリウスはうろたえる。娘は震える声で答えた。
「惜しいです。死ぬなんて怖いです。もう先の人生が望めないと思うと絶望します。でもちょっと考えればわかることなんです。あたしは絶対に逃げられません。あたしが逃げれば貴方様は追いかけるでしょう？ 逃げるあてのないあたしが逃げおおせるとは思えません。逃亡して捕まればひどい仕置きが待っています。逃げおおせることはできないのだから、馬鹿なことは考えずにおとなしくしていたのがよいのです」
所有する側からすれば何と都合のいい物分りのよさ。奴隷としてしつけられるとこのようになってしまうのか。
「何故逃げられないと考える？ 実際逃げてみないとわからないのではないか？」
「あたしが逃げてしまってもよろしいのですか？」
セリウスは言葉を詰まらせた。困るに決まっている。ここで正直に困ると返しても話を切り出した自分の間抜けさをさらけ出すだけだ。
娘は右肩を突き出して二の腕を示した。そこには痛々しいほどの焼印が捺されている。
「奴隷である証です。ここに首都のセレンティア地区の印とニカレテという名前が捺されています。セレンティア地区に住むニカレテという人物の所有物だということです。不審者はまず腕を調べられます。そして焼印があれば所有者に確認の連絡がいきます。あたしの場合、ニカレテに連絡がいって、ニカレテが貴方様にあたしを売ったことを証言して貴方様の元へ返されるのです。所有者が変わったとき焼印が追加されます。そして奴隷身分から解放されるとき、焼印の上に“解放者の名のもとこの者を奴隷から解放する”と刺青が彫られるのです。刺青の入っていない奴隷を誰も雇ってはくれません。逃亡した奴隷をかくまえば帝国の法に裁かれるからです。謝礼目当てで逃亡奴隷を所有者に突き出す人もいます。……それでも逃げ出す奴隷がいるなら、よっぽど死に物狂いなんでしょうね」
言葉もないセリウスに、娘は淋しそうに笑った。
「あたしも死に物狂いになるべき状況に置かれているのでしょうけど、あたしは残りの時間を逃亡仕置きに浪費するより、好きなことを精一杯楽しみたいと思ったのです」
言い終えたあと晴れやかな表情になった。
セリウスは言葉をなくした。この娘を強いと思った。死を目の前にして怯むことなく、まっすぐ運命を見据えて。
「あの……それでですね」
娘は再びもじもじした。
「もし願いを聞いていただけるのでしたら、睨みつけるんじゃなくてあたしの踊りを観てほしいんです」
思わぬことを言われセリウスは目をしばたかせた。
すると娘は慌てて両手を振る。
「す、すみませんっ。過ぎた願いを申しました。お忘れください」
当惑して見下ろしていたセリウスがかまわないけどと答えると、娘は叩くように手をあわせて顔をほころばせた。
