生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

18、娘の憧憬 後

 セリウスは、かつての叱責を思い出して心が重たくなった。
 退却は身分の高い者から行うものとされている。騎士階級で構成された騎兵隊が一番、重装歩兵隊にも身分の高い裕福層がいれば順番は前後する。それから長槍歩兵隊、最後にろくな財産を持たない下層帝国民で編成されている軽装歩兵隊が、他部隊の退却を援護しながら後退する。
 敵の追撃が厳しければ、軽装歩兵隊は敵の只中に見捨てることになる。

 タウルス防戦と言われる戦役では指揮官であるセリウスが戦場にとどまることで他の騎兵たちも留まらざるを得なくなり、結果騎兵も数名戦死した。騎兵は馬を買い飼育できるほどの極めて裕福な貴族に限られる。そういった者が戦死したとあって、最終的に勝利したものの、元老院議会では吊るし上げをくらった。
 騎兵隊を軽装歩兵隊よりあとに退却させて騎士階級、ひいては帝国貴族の名誉を著しく傷つけたとして厳しく叱責され、西の防衛線に飛ばされたのだった。

 先に軽装歩兵隊を退却させた判断を、セリウスは今でも間違っていると思っていない。
 しかし世の中には身分別に細かい決まりごとがあり、それを無視した言動は周囲の人間を不快にさせ、場合によっては帝国の法に則って処罰されることになる。
 世俗に戻って四年も経つのに未だ決まりごとに馴染めない自分をもどかしく思う。

 そんなセリウスの憂鬱に気付くことなく、娘は上機嫌で話を続けた。
「セリウス様が戦場にとどまられていることに気付いて騎兵隊が慌てて馬首を返し、軽装歩兵隊のために必死で戦ったって、聞いてて痛快でした」

「痛快……?」
 信じられない言葉で表現され、セリウスは唖然としてしまう。

「はい! 」
 娘はセリウスの落胆に気付かず得意げに返事した。

「いつもは捨て駒にされる立場にある者が、雲の上の身分である騎兵隊に守ってもらえるなんて、そりゃあ胸がすく話ですよ。それに部下に叱られたセリウス様が、こう言い返したと聞いています。“お前たちは自分が見捨てられるとわかっていながら、その相手のために命を張って戦えるというのか? ”って。高貴な身分の方でも自分たち下々のことをわかってくださるって感動しました。またそれをおっしゃった方が皇帝の血を継ぐ御方だというじゃないですか。もう二度びっくりですよ。苦戦を強いられていたタウルス戦は、そのあと軽装歩兵隊をはじめとする下層の人で構成された隊の活躍のおかげで有利に転じて、蛮族を山岳の麓まで押し返したと聞きます。セリウス様はまさに英雄です。セリウス様の軍に入れるなら、志願兵になりたいって人がたくさんいるんですよ!」

 ここまで話して、娘ははっとして頭を下げた。
「ご、ごめんなさい──じゃなくて申し訳ありません。つい興奮して気安い言葉で話しかけてしまいまして」

 娘が我に返ったのは、セリウスの表情が消えうせていることに気付いたからだろう。

 不安げに見つめてくる娘に、セリウスは苦いつぶやきを漏らした。
「違う」

「え?」
 聞き返してくる娘から目を逸らし、セリウスは吐き捨てるように言った。
「私は英雄と呼ばれるようなことは何一つしていない」

 セリウスは立ち上がり、少し離れた場所に立っていたイケイルスに後を任せて立ち去った。

 娘の話に、自分は間違っていなかったとなぐさめられる思いがしたものの、だからといってそのように賞賛されるには値しないと思った。
 あれは戦略的なものだ。ただでさえ少ない兵士をできるだけ減らさないためのとっさの判断だった。
 叔父上がつけてくれた部下に叱責されたとき言い返した言葉は本心だ。
 身分で命の重さを量るからついかっとなった。

 正直なことを言うと、貴族や裕福な者で校正されている騎兵や重装歩兵隊は役に立たない。
 かつては騎兵が敵に速攻をかけたり、重装歩兵隊が敵を取り囲み止めを刺したりと重要な役割を果たしていたというが、今は軽装歩兵隊が逃げ出さないように戦場を囲むのみだ。
 とはいえそれも任務のうち。
 タウルスでの判断以降、軽装歩兵隊の士気は上がったが、騎兵や重装歩兵隊の信用を失った。
 勝ち戦なら問題ないが、戦いが膠着したとき、セリウスの指揮に従って戦いに身を投じてくれるか怪しい。いや、自らが戦うことを考えない彼らは、真っ先に逃げ出すかもしれない。

 セリウスはそうして自らが率いる軍を脆弱にしてしまった。西の防衛線にやられ指揮する軍が変わっても、噂はついて回り同じ危険を内包する結果となった。
 軍は何千人もが集って一つの生き物と成る。一部が怯懦(きょうだ)に走れば他もそれに引きずられる。
 タウルスでは結果的に成功をおさめたけれど、今後はどうなるかわからない。勝てるはずの戦いにさえ敗北する可能性がある。

 もしかすると、彼ら軽装歩兵隊を擁護したつもりが、逆に苦境に追いやったのかもしれない。
 そんな目で見るな。
 娘の目に映ったのは自分への憧憬。セリウスにはその視線が辛かった。
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