生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

3、ニカレテとセヤヌス

 開店前の薄暗い店内で、ニカレテは椅子に座ってネックレスをもてあそんだ。ユノから取り上げたものだ。見ているとため息がこぼれる。

 厨房から戻ってきた男が、気疲れした様子のニカレテを見かねて隣の席に座った。ニカレテは男をちらっと見て、またため息をもらす。
「ねえ、セヤヌス。あたし、あの子の育て方間違えたかなぁ?」
 ニカレテがぼやく。セヤヌスは小さく笑ってニカレテの持つネックレスをすくいあげた。
「大したもんじゃないか。デビュー前から三人もの男に入れ揚げられるなんて。赤子の時分にその才能を見出して買い取ってきた、君の目利きは最高だよ」
 ユノは赤子の頃にニカレテが奴隷商人から買い取ってきた奴隷だった。商人からはこの首都の道端に捨てられているところを拾ったのだと聞いている。

 帝国では、不用な子供が生まれると人知れず道端に捨てるのが常だった。捨てられた子供は奴隷商人に拾われ、奴隷として売買される。帝国が版図を広げなくなって戦争捕虜の奴隷が少なくなってからというもの、捨子奴隷の比率が高くなった。この界隈でも捨て子だったのだろうとわかる幼い奴隷をよく見かける。年齢を経て色々仕込まれた奴隷は高いので、赤子のうちに買い取って手元で育てた方が安上がりだった。

 ユノもニカレテが育てた。娼婦にすべく、体を手入れし教えられるだけの教養を身につけさせて踊りを覚えさせた。ユノはそれらをさぼりはしなかったが、どうも踊りに執着しすぎる。
「本業が踊りだって勘違いしてそうで怖いよ」
 無邪気に踊りを楽しむユノ。踊りだけで仕事が成り立つなら幸せだろうけど、そういうわけにはいかない。

 ニカレテがうなだれるとセヤヌスは笑った。
「あの子はそこまで頭は悪くはないよ。今まで無事だったのも、勘が働いて危険な場所に近付かなかったからだと思うし。……見聞きして知るのと、実際に体験して知るのとではまるで違う。今はまだ仕事に対して実感が湧かないだけだよ」
「……本当の仕事を知ったら、あの子は変わってしまうんだろうね」

 ニカレテにも経験がある。悲壮な覚悟で臨んだ仕事で、覚悟なんて吹っ飛ぶほどの絶望を味わった。戦争に負けて奴隷として帝国に連れられてきたときも世界がひっくり返る衝撃を受けたけれど、初めて見知らぬ男に身を任せたときの恐怖は今でも忘れられない。

 身震いしたニカレテをセヤヌスは引き寄せ、やわらかく抱きとめる。セヤヌスの細いけれど貧弱ではない腕に包まれて、ニカレテはほっと強張りを解いた。忘れられはしないものの、セヤヌスのやさしさはニカレテの過去の傷をなだめてくれる。

 あやすように背中をたたいていたセヤヌスは、ちょっと考え込んでから言った。
「何となくだけど、ユノは仕事を始めても変わらないような気がするな」
 ニカレテは体を離してセヤヌスを見た。
「どうして?」
「だってさ、仕事ほどじゃないにしろ、奴隷身分のせいで嫌な経験は一杯してきている。帝国民の子供にいじめられたり、お使いに行っても奴隷だからってお金だけ巻き上げられて商品を売ってもらえなかったりさ。それでも明るさは失わなかった。あの子ならどこでどんな目に遭ったって、挫けず精一杯生きていけると思うよ。それに君が、性質の悪い客からあの子を守ってあげるんだろ?」

 はげましてくれているとわかってニカレテは目を細め笑顔になる。
「そうね。──でも」
 ニカレテはすっくと立ち上がり、こぶしを握って叫んだ。
「自分で自分の身を守ってくれなきゃ、あたしだって守りようがないじゃないのよ!」

 いい雰囲気がぶちこわしになって、セヤヌスは「ははは」と空笑いした。
「とりあえずそのネックレスの贈り主たちが性質の悪い奴じゃないことを祈ろう」
 こぶしを振り回していたニカレテは、残念そうな顔をしたセヤヌスに気付き彼の両肩に手をかけ顔を近づける。ニカレテの唇がそっとセヤヌスの唇に触れ、離れていった。照れ笑いをするニカレテに苦笑して、セヤヌスはニカレテの首に手を回して引き寄せようとする。

 その時扉を叩かれた。二人は顔を見合わせる。がっかりしながら離れて、扉越しに誰かと問いかけようとしたところで勝手に扉が開いた。
「失礼する」
 入ってきた人物に二人は同時に息を飲む。
 真昼の光を背に現れた若者は、彫像に彫られる神々のように美しかった。そして何より、背中にひるがえる緋色のマント。名門貴族でも特に限られた者にしか与えられない高位に就く証だった。
< 3 / 56 >

この作品をシェア

pagetop