生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

37、セリウスの想い

 カスケイオスは息を飲む。
「気付いていたのか」

 それを見てセリウスは辛そうに顔を歪める。
「お膳立てがよすぎる。世俗に戻る予定がなかったのに政治や戦争について教えてくれる友人ができて、世俗に戻れば当たり前のように貴族階級を与えられて、実戦など何もわからないのに周囲の人間に助けられて勝利まで挙げてしまう。気付かないでいられるわけがない」

 カスケイオスは観念して肩から力を抜いた。気付かれているかもしれないと思いながらも、セリウスが口にしなかったから気付いてないと決め込んで確かめなかった。そこまで気付いていたのなら、もう遠慮はすまい。

 セリウスの皇帝擁立に荷担する一人として、カスケイオスは注進する。
「そうです。そこまでご理解いただいているのでしたら、どうぞ帝位をお望みください。今のルクソニア帝国をしょって立てるのは貴方様しかおられないのです」

「やめろ!」
 セリウスは怒鳴った。
「お前にそんな口聞いてもらいたくない!」

 信頼を失ってしまったかと視線を落とすカスケイオスに、セリウスは訴える。
「お前が送り込まれてきた人間ではないかと感づいてからも、私のお前に対する気持ちは変わらないんだ! お前は私の友人だ。何も知らない私に世界を見せてくれた、尊敬する兄でしかないんだ」

 偽られたと察しても変わらない思いをを寄せてくれていたと知って、カスケイオスの胸は熱くなる。けれど浸ってはいられない。カスケイオスには多くの同志に任せられた大事な任務がある。
「なら、無礼を承知で今まで通りにさせてもらう。お前が帝位を望むならお前を帝位に就けるために多くの人間が動く準備がある。トリエンシオス様やポネロ神官長、お前の叔父上のティティアヌス・マイウス殿、その方たちを支持する多くの元老院議員たち。みんなお前を帝位に押し上げる意思がある。あとはお前の決断だけなんだ」
 カスケイオスは熱意を持ってセリウスを見つめた。

 セリウスは痛みを堪えるような目をして首を横に振る。
「やめてくれ! 私の知らないところで私のことを勝手に決めないでくれ。もうたくさんだ! 私の意思に関係なくあっちにやったりこっちにやったりしないでくれ。お前たちは何もわかってない。私など皇帝の器でではない!」

 お前には才能があると散々言ってきたのにセリウスはまだ理解しない。カスケイオスは苛立ちを隠さず言った。
「お前は自分の才能を過小評価しすぎだ。お前には人を率いる才がある。お前の一言が軍を最大限に強くする。その才能を危機に瀕している帝国が、今まさに必要としているということがわからないのか?」

「お前こそ、過大評価のしすぎだよ。確かに私の独断が軽装歩兵隊(ウェリテス)の士気を高めた。しかし貴族たちの不況を買い、貴族で構成された重装歩兵隊(トリアリイ)に反感を抱かせてしまった。今や軽装歩兵隊しか戦わないとはいえ、重装歩兵隊が指揮に沿わなければ軍はがたがたになるぞ?」

 カスケイオスは鼻で笑い飛ばした。
「反発してお前の命令をろくに遂行しない重装歩兵隊なんて、単に箔をつけたいだけで自分自身が従軍してる馬鹿な貴族どもだけだ。貴族の兵役を肩代わりしている者たちは、誰の命も平等に扱おうとするお前に心酔している。今は馬鹿たちが大きな顔して睨みをきかせてるから、お前の命令を聞けないでいるが、お前が本気で軍を挙げるならそんな奴等排除してやる」

「そのための根回しが着々と進んでいるというところか? つくづく有能だな、お前たちは。私など担ぎ上げなくとも、たやすく帝国を守れるのではないか?」

「誰でも皇帝になれるのならそうしてたさ! だがな、皇帝になるためには血筋が必要なんだ。あのアレリウスが皇帝補佐の地位にとどまり帝位を簒奪しないのもそのためだ。皇帝の血筋を受け継がない者など誰も皇帝と認めない。逆に現皇帝のようにろくに執政の行えない者であっても、血を引くというだけで帝位に就けるんだ」

「つまりは私をアウグスティヌス陛下のように傀儡に仕立て上げたいということか?」

 皮肉な笑みを浮かべるセリウスを、カスケイオスは訴えた。
「何故お前は自分を貶めようとする!? 我々はお前を操り人形にするつもりで守り育ててきたわけじゃない。その証拠に俺は教育と護衛のために送り込まれた。お前は賢い。学んだことと経験から深い洞察を導き出すことができる。国を導くのに必要な能力だ。それ以上に求められている資質がある。何だかわかるか? それが統率力なんだ。こればかりは天性の能力で、人に教わって習得できるものじゃない。お前はその能力に恵まれた。帝国を危機から救うためにこの時代に生まれてきた、英雄になることを運命付けられた存在なんだ」

 思わぬ評価を受けて、セリウスは呆然とカスケイオスを見上げる。
 けれどすぐに我に返って、その表情を自嘲的に歪めた。
「それは、私を残虐帝の息子だと知った上で言っている言葉か?」
 カスケイオスはこれ以上ないほどに目を見開く。

 残虐帝──二代前の皇帝の異称。尽きることのない疑心に囚われ、少しでも叛意があると見てとると、妃や腹心であっても処刑した。容赦のない恐怖政治を敷いた先々帝は、後世になって残虐帝の異称で呼ばれるようになった。
 セリウスの父親にあたる人物だ。

「我が父も、帝位に就いてすぐは賢帝だったと聞く。しかし年を経るごとに疑心に陥り、腹心までをも疑ってかかるようになってしまった。皆は残虐帝と呼ぶが、私はその残虐さが臆病からきているように思えてならない。自らを脅かされるのを恐れて、脅かすかもしれない者たちを排除せずにはいられなかった。それは異母兄上も異母兄上の御子である現皇帝も同じだ。異母兄上は帝位を簒奪されることを恐れて兄弟の排斥にやっきになり、甥御の現皇帝は妃の実家に庇護を求めるために権力を手放してしまう。お前は私が、彼らのようになりはしないかと心配にはならないのか?」

 カスケイオスは動揺に冷や汗をかいた。セリウスがそのようなことを考えていたとは思いもよらなかった。そしてセリウスの危惧をカスケイオスは考えたこともなかった。
 考える必要などなかったからだ。
「お前には慈悲があって思慮深い。必ず立派な皇帝になれる。彼らのようになりはしない」
 気持ちを立て直して力強く訴える。

「何故そうと言い切れる!?」
 セリウスは激昂した。
「私には紛れもなく彼らと同じ血が流れている。私は臆病者だ。お前の言うように今のうちに事を起こさなければ、帝国は取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。けれど今、内乱が起きたら、そちらに兵力をとられて蛮族をのさばらせてしまう。内乱とて戦争だ。人の死なない戦争なんてない。蛮族の襲撃と内乱で大勢の人間が死ぬぞ? その犠牲者のほとんどが、権力抗争に関係のない、毎日真面目に働いて帝国を支えてくれている農村部の人々なんだ!」

 カスケイオスは胸を突かれた。
 昔々に話して聞かせたことだった。
 賢いセリウスが忘れるはずはないとは思っていたが、詰め込まれた知識に埋没して取るに足らない一知識と化していると思っていた。
 けれど耐え難さを以って吐き出された言葉から、セリウスにどれだけ大きな影響を与えたかを見る。
 カスケイオスは言葉を失って、ただただセリウスを凝視した。

 セリウスの吐露は続く。
「それに反乱に失敗すれば、荷担した者全てに累が及ぶ。トリエンシオス様ポネロ様、叔父上にお前も。まだまだたくさんいるのだろう? 私一人なら処刑も仕方ないとあきらめもつくが、他の者を道連れにはできない。運良く帝位に就けたとしても、私はその重責を負いきれない。皆が期待をかけて私を皇帝に押し上げるのだろうが、私はその期待に答えられる自信がない。──反乱を起こせば愛する娘を救えるというのに、私はその先に待っている責務に怯えて動けないでいる臆病者なんだ!」
 セリウスは言いたいことを言い終えると、疲れきった表情でのろのろと立ち上がった。カスケイオスの脇をすり抜け神殿入り口の階段を下っていく。
 カスケイオスは見送るしかなかった。

 月に照らされたセリウスは夜陰に消えていく。
 ずいぶんと丸くなった月は、もうすぐ天頂にさしかかる。天頂にかかる時間が日に日に遅くなっていた。真夜中に月が天頂にかかるようになると、月は完全な円を描き、女神エゲリアが生贄を迎えにくる。
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