生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

44、遅すぎた決断

 娘は──ユノは、舞台の中央に立つと踊り始めの姿勢を取って静止し、そこから腕を振って鈴を鳴らし踊りはじめた。

 夜風に澄みきった空気に、鈴の音が響き渡る。

 ユノの踊りに手拍子を送る者も掛声をかけるものもいなかった。いつからだろうか、ユノの踊りはそうすることがおこがましいと感じるほどに、神々しく美しくなっていた。

 誰もが口を閉ざし、鈴の音に耳を澄ませる。

 セリウスはユノを最後に見送った場所で立ち尽くしていた。周囲に焚かれる松明に照らされたユノを食い入るように見つめる。

 いっそ二人で逃げてしまえばよかった。

 ──あたしは絶対に逃げられません。
 生贄になることが怖くはないのかと訊いたとき、ユノがきっぱりと口にした言葉。焼印は奴隷を主人に縛り付ける、絶対に外れない鎖だ。でもそれは帝国内でのこと。帝国の手の届かない土地まで逃げてしまえば逃げ切れるのではなかっただろうか。

 しかしユノの焼印以上の枷を、セリウスは生まれながらにして課せられている。
 皇帝の血統。
 現皇帝とセリウスしか持つ者いなくなったその血を、カスケイオスら現権力者反対派は自分たちの命運をかけて欲している。セリウスがいなくては、多分皇帝を退位させられない。後継者がいないからだ。セリウスが逃げれば、彼らは何が何でも捜し出そうとするだろう。ユノ自身よりセリウスの方が、より逃げること叶わない。

 かといってユノ一人を逃がすことはできなかった。頼める人物がいない。
 一番親しい人物はカスケイオスだ。カスケイオスはセリウスを帝位に就けるために、敢えてユノを助けなかった。そんな彼にユノを預けられるわけがない。血統ゆえに敬遠されていたセリウスには、他に親しい友人などいなかった。

 カスケイオスはユノとの仲を近づけようと画策していたけれど、セリウスを皇帝にしようとしているがゆえに、助けたとしてもきっと二人を引き離す。
 二度と会えないだけならいい。もし、カスケイオスが最悪の選択をしたらと思うと、きっと今以上に悔やんでも悔やみきれない。

 そんなことを考えて、今日この時まで来てしまった。

 胸が張り裂けそうに痛い。
 ユノは自分が死ぬというのに、セリウスのことばかり考えていた。自分を責めないで、幸せになってと懸命に言葉を重ねて。

 そんな彼女に何をしてやった?
 ユノはセリウスがしてやってきたことを喜んでいたが、実際は何もしてやってないのではないか。情けを望んだユノを拒み、助けられる方法をカスケイオスに提示されてもそれを承諾できなかった。
 どれもこれも中途半端だ。やさしくしすぎて気を持たせたくせに何もかも望み通りにしてやることができず、より多くの責任を背負う勇気がなくて愛する女一人犠牲にした。その上、何としても助けてやればよかったと今更後悔に苛まれている。

 罪悪感に苦しんでないで、何故もっと考えなかった?

 助けられないとあきらめないで、助けられる道を探すべきだった。それこそ、死に物狂いで。

 罪悪感に打ちひしがれるセリウスに、カスケイオスが言った言葉を思い出した。
 ──命さえ拾えばあとはどうとでもできる。
 そうだ。ユノが神に捧げられてしまったら手遅れになる。

 セリウスは背後に立つカスケイオスに詰め寄った。
「頼む! 祈願祭(スプリカティオ)をやめさせてくれ」
 その剣幕に押されてカスケイオスはよろめいた。
「お前の言うとおりにする。だから頼む!」

 カスケイオスはすがり付いて懇願するセリウスの肩を押し退けた。
「もう遅い」
 たった一言にセリウスはがく然とした。

 絶望に力を失い、セリウスはその場に崩れ落ちそうになる。それをカスケイオスが支えた。
「もう始まってしまっている。大勢の人間が見ている前で中止になどできやしない」

 腕を取られたまま座り込み、セリウスは自らの決断の遅さに泣いた。
「娘を最期まで見届けてやれ。それがお前の義務だ」

 ユノは見ていてと言って笑った。ならばセリウスはどんなに辛くても見ていなくてはならない。

 すべきことを思い出して、セリウスはふらふらと立ち上がり舞台の方を振り向いた。

 娘は最初の踊りを終え、肩で息をしながら裾を括った紐を解いた。神官が捧げ持ってきた杖と、紐と鈴を交換しようとする。

 そのとき、夜陰を切り裂くように警笛が鳴り響いた。
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