記憶がどうであれ
後悔ばかり

18話

 少し早く出勤し、私は店長に彼と別れた事を伝えた。
 元主人の間接的な知り合いで私に近づいたのは元主人への当てつけの為だったと…
「まさか…」
 本当に驚いている様子にこちらが申し訳ない気持ちになる。こんな顔は見た事が無かったから。
「恋愛に逃げてしまった私が悪かったんです。
彼の事は許せませんけど、彼に依存してしまった自分の弱さが悔しいです」
「いや、人は一人では生きていけないよ…誰かに依存したり頼ったり支え合ったりして当たり前だ。
彼がそんな人だったなんて…すまないっ! 俺が君に彼を紹介したから…」
「店長のせいじゃないです。 店長は彼と自分を重ねたんじゃないですか?」
「っ!? どうしてそれを?」
 やっぱりそうだった。
 店長は自分と奥様との出会いと重ねて、彼の嘘を信じてしまった。
「彼から店長との出会いの話しを聞きました。 店長はきっと彼を応援したくなったんだろうって思いました。
初恋相手だった奥様と偶然再会した自分と重ねたのかなって…」
「覚えてたんだ?」
「忘れませんよ」
 店長にとっては日常のほんの些細な呟きだったのかもしれない。
 奥様の娘さんに気に入られたいという必死な気持ちの方が大きくて、前に私に話した事があることは今思い出しただけなのかもしれない。
 だけど、私にとっては憧れの店長の恋の話だった。
 忘れたくても忘れられない。
「初恋の人と結婚できるなんて羨ましいな…と思ったんで」
 私は少しの嘘を加えて伝える。
 本当は、ずっと一途に店長のことを思ってくれた人と結婚して欲しかった…なんて思っていた。
 明るくて、仕事も一生懸命で、社員にもパートの人にももちろんお客様にも好かれている店長だから、そういう恋愛をして欲しいと。
 だけど初恋の人を忘れられず、その初恋の人と結ばれたのだから店長にとっては幸せな事で、きっとこれ以上の幸せは無いのだろうと思う。
 羨ましい限りだ。
「自分と重ねたからと言って、人を見る目が無さ過ぎるよな…」
 店長は落ち込んでしまった。
 …彼が私に近づいた理由を店長に言わない選択肢もあったけれど、それではまた彼氏候補を紹介されるかもしれないと思った。
 だから、私の恋愛にはもう構わないで欲しいという意味で真実よりも弱い表現だけど本当の事を伝えた。
 でもそれは人のよい店長にとっては酷なことだったのかも。
「私は大丈夫です。 一人で生きていくことが楽しいって思えるようになりたいんです」
「人は一人では生きられないよ…」
 店長は困った子を諭す様にそう言った。

 自分の母の様に不倫に走るのは絶対に嫌で、結婚している時は元主人のことだけを見つめていようと他の人への興味は持たない様にしていた。
 憧れていた店長の事だって、幸せそうで良かったと本気で思えていた。 今でもそれは変わっていない。
 憧れてはいたけれどがむしゃらに欲する恋心では無い。
 もしもそこまで店長を想っていたのなら、私はきっと自分が結婚した後仕事を辞めていたはず。
 元主人への誠意を見せたいのならそんな気持ちを持っていた相手がいる職場で働き続けるのは難しかったと思う。
 母の様にならないという強い気持ちは本物だから。
 私は結婚する時、今後他の人と絶対に恋愛しないと思っていた……なのに、簡単に彼を好きになった。
 私はやはり母の子で、恋愛体質なのかもしれない。 それがとても嫌だ。


「やっと見つけた」
 久々に聞くその声…
 聞きなれた元主人の声だ。
 「どうして?」
 素朴な疑問。
 今さらどうしたのだろう。
 まさか…記憶が戻った? 
「探した…」
 そう言った元主人の表情は優れない。
 体調が悪いのだろうか。
「私を思い出したんですか?」
 そう訊くと首を横に振る。 
 思い出していない…では何をしに来たのだろう。
「俺…記憶を無くしてからも同じ職場で働く事ができているんだ」
 話し始めた元主人の言葉に私は頷く。
「天野も親身になってくれた」
 天野とは、彼の元奥様である彼女のこと。
「今まで担当していたところではなく新規開拓の営業になって、自分なりに頑張ってみたんだけど全然うまくいかなくて…」
 元主人の話は的を得ない。それが私に何の関係があるのだろう。
「周りが言うんだ…元奥さんと付き合いだした頃から人が変わったみたいに仕事がうまくいっていたのにって」
 それは元主人自身が過去に言っていた。 私と付き合ってから仕事がうまくいっていると。
「自分では理由は解らなかった…だから、君に今の俺と記憶を無くす前の俺とでは何が違うのか教えて欲しかった」
 随分勝手なことを言う。
 結婚していた相手を忘れ、すぐに離婚をつきつけそのまま別れ、私がどう生活するのか心配一つしてくれなかったくせに。
「そんな事知りません。 私は私と出会ってからの貴方しか知らないんです…そんなことの為に私を探したんですか? やめてください」
 記憶を無くした元主人はきっと私の職場さえ覚えていなかったはず。
 私の職場の最寄り駅で待っていたけれど、職場を思い出したのではなく探し出したという事?
「そんな事言わないでくれ…本当に困っているんだ」
「私と貴方は他人なんです。 貴方が困っていても私ができる事なんて何も無いです」
 よく私の事を探せたものだ。
 離婚後の私の名字さえ知らないのではないかと思っていたのに…  
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