君のいた時を愛して~ I Love You ~
 俺が部屋に戻ると、サチは明かりもつけずに窓の外から差し込む街灯の明かりだけを頼りに座っていた。
「電機、つけて良かったのに」
 俺は言いながら、部屋の中央に設置されている飾り気のない裸電球に幌がかかったような部屋の明かりを点けた。
 俺のこの暮らしぶりから、電気代を心配してくれたことは、ずくに想像がついた。
「この部屋、光熱費込みの家賃だから、電機は使ったもの得なんだけど、すぐに容量オーバーでヒューズが飛ぶようになってるんだ。でも、ライトみたいにじわじわ長時間使うものは、使った方が得なんだけど、家族でもいないと、みんな仕事で部屋にいないことが多いから、本当は光熱費込みって高いのかもしれないんだけど・・・・・・」
 俺はそこまで言って、サチが賄を半分残している事に気付いた。
「賄、口に合わなかった?」
 時々、謎な味のする賄が出ることもあるが、今日の賄は俺が知る限り、かなり美味しい部類に入ると思う。
「ちがうの。夕飯に食べようと思って・・・・・・」
 サチは言い、少し沈黙してから、『一緒に』と小さく呟いた。
「そっか、一応、夕飯の材料はゲットしてきたから」
 俺は言うと、カバンの中から今日の収穫を取り出してサチに見せた。
 どう見ても、お店で買ったようには見えない乱雑な状態に、サチは少し不安げな目で俺の事を見た。
「俺、スーパーで働いてて、捨てる前の食材をもらってきてるんだ。もちろん、許可を取ってだけど。スーパーとか、すぐに消費期限とか賞味期限で商品を処分するだろ、で、うちのスーパーは農家の堆肥にすることにしてるんだけど、結構、手間がかかるから、許可を取れば貰えるんだ。まあ、パートの人たちとか、パンのノルマがあるらしいけど、俺はそういうのも関係ないから。でも、今日はパートの人からパンをもらったから大漁だよ」
 サチは目を丸くして驚いたり、俺の顔と食材を見比べたりしながら俺の話に耳を傾けてくれた。
「賄もあるし、パンとソーセージ温めて食べたら良いかなと思って・・・・・・」
 俺は言いながら、今晩食べる予定の食材としまう食材を仕分けする。
「明日の朝のパンもあるから・・・・・・」
 俺の言葉にサチがギュッと毛布の端を握りしめた。
「夜勤がない日は、俺が毛布で寝るから、サチはベッド使っていいよ」
「・・・・・・私は、毛布があれば大丈夫だから」
 サチの言葉に、俺は敢えてそれ以上何も言わなかった。
 部屋の小さなコンロだけで済む簡単な準備で夕食の支度は終わった。
 いつも一人で食べる夕食は、どちらかというと餌に近かったが、こうしてサチと食べる夕食は、大したおかずもないのに心が温まり、美味しく感じた。
 皿や茶碗を片付けた後、俺はベッドの下からビニール袋に入ったままの新しいタオルを取り出した。このタオルは、去年の町内会の夏まつりの手伝いに行ったときに貰ったもので、今使っているタオルが破れたら使おうと取っておいたものだったが、身一つに見えるサチを銭湯に連れて行くにはタオルが必要だ。
「これ、新品だから綺麗だよ」
 俺はサチにタオルを渡すと、自分のタオルを手に取った。
「このアパート、風呂はないから、銭湯に行こう」
 俺に促され、サチは俺の後に続いた。
 空気が澄んでいるのか、それともサチと一緒に居るからなのか、いつもより星が沢山、そして綺麗に見えた。
「風呂のないアパートなんて、びっくりしてる?」
 問いかけながら、トイレの場所も教えていなかったことを俺は思い出した。
「私、銭湯って、初めてかも・・・・・・」
「まあ、超安いスパって思ってくれれば。女風呂は覗いたことないから分からないけど、男風呂は、デカイ湯舟があって、だだっ広い洗い場があるだけ。何にも、特別なものはないな」
「そうなの? スパはどんなものがあるの?」
「ん? 俺、スパって行ったことないけど、写真で見るとジャグジーとかいろいろあるって書いてあったかな」
「ジャグジー?」
「俺も良くわからない」
 自分で言っておきながら、スパがどんなところかも説明できない自分が悲しい。
「あの、名前・・・・・・」
「サチだろ?」
「違う、あなたの名前、聞いてない」
「あ、俺はこうた。幸せに大きいって字で幸大(こうた)」
「私は、しあわせって書いて幸(さち)」
「偶然って、すごいな。おんなじ漢字なんだ」
 俺は言いながら、幸せに見放された俺と出会ったサチも、また幸せに見放された人間なのではないかという気がしてたまらなかった。
 それから、取り留めのない会話、但し、お互いが誰かという確信には触れない、たわいのない会話をして銭湯の暖簾をくぐる。
「えっと、大人二人」
 俺が言うと、番台のおばさんが驚いたような顔をする。
「男一人、女一人」
 俺の言葉に、番台の女性は俺の出したコイン千円札を受け取り、コインを俺の手の中に落とす。
「じゃあ、あとで」
 俺は言うと、そのまま男湯に進んでいく。
 脱衣所のかごの中に着ていた物を投げ込み、手ぬぐいだけを手に浴場へ入る。
 洗い場でお湯をかかり、備え付けのシャンプーとボディソープをたっぷり使って全身を洗い流す。それから、手ぬぐいを畳んで頭にのせ、大きな湯船に体を沈める。
 子供なら泳げそうな大きさの湯舟に浸かっているのは、どちらかというと高齢者ばかりで、俺は静かに手足を伸ばす。
 本当なら、毎日、風呂には入りたいと思うものの、夏場は定食屋とスーパーという衛生さを求められる職場で働くために毎日通わなくてはいけないので、熱くない季節は数日に一度でコストを抑えて、その分夏場の出費に回す必要がある。
 しかも、サチの分も払うとなると、俺の入る頻度を下げる必要があるかもしれない。
 そんなことを考えながら、俺はサチがいつまで俺の部屋にいるだろうかと考えた。
 どこにも行く当てがないという顔をして道端に座り込んでいたサチは、痣だらけで、それが家族から受けたものなのか、彼氏から受けたものなのかも、俺は聞いていない。もしかしたら、数日で自分のいるべきところに帰っていくのかもしれない。
 どんなに彼氏のDVにあっても、付き合っている女性は男の所に帰っていくと聞いたことがある。だから、もし、あれが彼氏の仕業だとしても、痣が治る頃には、サチはきっとその彼氏の所に帰っていくってことになるだろうし、もし、それが家族からの物だったとしても、きっとサチはあんなボロい部屋で毛布にくるまって寝るよりも家族のいる家に帰っていくだろう。
 そう考えると、寂しいような、サチの心配をしなくていいという安心のような、不思議な感覚に襲われた。
 俺は、もしかしてサチにずっといてもらいたいのか?
 俺は自問自答する。でも、人生を分かち合う約束なんて、単なる口約束で、本当は相手の事なんて何にもわかってないって言うのは、美月の事で学習したはずなのに。俺は、また同じ過ちをサチと繰り返そうとしているのかもしれない。
 そんなことを考えながら、俺は浴槽から上がった。
 洗い場のシャワーで全身を流し、頭の上に置いておいた手ぬぐいで体を拭く。
 濡れた手ぬぐいを湯ですすぎ、固く絞って頭を拭き、それから脱衣所にでると湿気のない脱衣所の空気が涼しく感じられた。
 バスタオルがあれば、体に巻いて少しベンチで涼むところだが、いくら男だけの男湯とはいえ、手ぬぐい一枚しかない俺は素早く服に袖を通す。それから、いつもの習慣で、番台のおばさんに牛乳を一本貰った。
 別に牛乳が好きなわけではない。でも、湯上りに冷たいものを飲みたいという単純な欲求を満たすため、ジュースやコーヒー牛乳より安い、ただの牛乳を飲む。
 きっと、果物のジュースやコーヒー牛乳の方が後味は良いのだろうが、牛乳だけだって働いているスーパーで買うよりかなり高いから、俺はこれを贅沢だと思っている。
「ごちそうさま」
 牛乳瓶を返し、暖簾をくぐって外に出た。
 しかし、サチの姿はない。
 思えば、男よりも女の方が長湯なんだよな。
 それを考えたら、備え付けのドライヤーで頭を乾かすぐらいしてきた方が良かったなと、俺は考えながら銭湯のほぼ正面に立っている電柱に寄りかかってサチが出てくるのを待った。
 しばらくして、暖簾をくぐって出て来たサチの髪からはまだ水滴が滴っていた。
「頭、乾かしてこなかったのか?」
 俺が問いかけると、サチはコクリと頷いた。
「コータが待ってると思ったから」
 サチの言葉に、俺はサチの目がクリっとしてとても愛嬌がある事に気付いた。
 改めてみたサチは、俺が知っている中でも可愛い女の子だった。美月が、どちらかというと美人っぽいすました感じの顔立ちだったのに比べ、サチは大きく丸い目が愛嬌のある、可愛い顔立ちだ。
「コータ、牛乳のんだ?」
 サチの問いに、俺は自分だけが牛乳を飲んだ後ろめたさに襲われる。
「あ、サチも飲む?」
 慌てて財布を取り出そうとすると、サチは頭を横に振った。
「ううん。コータの口の端が白くなってたから、牛乳飲んだのかなって思っただけ」
 サチの言葉に、俺は慌てて手ぬぐいで口を拭く。
「のど渇いてないか?」
「私は大丈夫」
 サチは言うと、タオルで髪の毛を拭く。
 ャンプーの香りがするが、男性用のシトラス系の香りと違い、サチから香るのは甘いような花の香だった。
「帰ろうか」
 俺が言うと、サチは嬉しそうに頷いた。
 それから俺たちは、再び当たり障りのない会話をしながら昭和の亡霊のようなアパートへと帰っていった。
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