初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
早朝の王宮からの使いに、屋敷中が叩き起こされた感が否めなかったが、実際に叩き起こされたのは伯爵夫婦と娘二人だけのことで、家令を筆頭に屋敷に仕える者達は、全員とっくに目覚めてそれぞれの仕事をこなしていた。
 王宮からの使者と言うこともあり、念のために支度をした伯爵だったが、実際のところ、届けられたら花束と分厚い本はどちらもジャスティーヌ宛てだった。
 使者はと言えば、『間違いなく朝食前にお渡しください』と再三念を押してから、きびすを返して王宮へと戻って行き、叩き起こされた伯爵は渋々、そのまま書斎で読みかけの本のページをめくって朝食までの時間を潰した。
 ジャスティーヌはと言えば、家令に寝室まで分厚い本とライラに白い百合の花束を届けられ、まるで夢の続きのような気分になった。
 しかし、添えられた『エイゼンシュタイン王家の歴史』と言う本には、困惑を隠せなかった。
 今更、王家の歴史を学び直さなくてはならないほど知識は乏しくないつもりたったが、わざわざ書籍を贈られるという事は、何か夕べの会話の中に失礼があったのだろうかと、首を傾げながらページをめくった。
 すると本には、流れも美しい手書きのメモが挟まれていた。
 メモを読みながら、ジャスティーヌは何度も分厚い本とメモを見比べた。
 メモには署名があり、ロベルト王子が書いた物に間違いはないようだ。
 しばらく首をひねっていたジャスティーヌは、着替えをすませた頃に、ようやくぼんやりと昔の記憶がよみがえってきた。

(・・・・・・・・そうだ、確かあの図書室で殿下のハンカチをお借りしたような、でも、返そうと思ってお父様にどこのお宅のご子息かをうかがったら、あの日、招かれていた貴族の子供にロベルトと言う名前はいないと言われ、あの後、あのハンカチどうしたのだったかしら・・・・・・・・)

 ジャスティーヌは、必死に思い出そうとしたが、結局、ハンカチの行方は思い出せなかった。


 朝食を終え、夕べの話を聞きたそうにしている両親を残してジャスティーヌは自室へと下がった。
 アレクサンドラの時よりも大きな白百合の花束を贈られたこともあり、ジャスティーヌは早速、お礼の手紙をしたためることにした。
 お礼の手紙の文面を考えながら、ジャスティーヌは殿下に申し訳ないことをしたと、心から思いながら部屋に飾られた百合の花を見つめた。
 夕べの庭での会話で、ジャスティーヌが深く傷ついた事に責任を感じて、見た目にも顕わなほど大きな花束を贈ってくれたロベルト王子。先日、アレクサンドラ宛てに贈られた物より、二周りも大きな花束を自分に贈ってくださったのだと思うと、ジャスティーヌはやはり殿下を好きだという想いを封じることができなかった。
「どうして、私は、殿下を忘れることができないのかしら・・・・・・」
 ジャスティーヌは途方に暮れて呟いた。
「やだなぁ、またあのエロ王子の事考えてるの?」
 続きの間を仕切る扉から姿を現したアレクサンドラは言うと、呆れたようにジャスティーヌの事を見つめた。
「アレク、不謹慎よ」
 ジャスティーヌに注意されても、アレクサンドラに反省の様子はなかった。
「なにこれ、この花束の大きさ! まったく、花束が大きけりゃ全ての女の気が惹ける訳じゃあるまいし、ましてやジャスティーヌの気が惹けると思ってるんなら、あのエロ王子、大馬鹿者もいいところだよ」
 自分は絶対嫁がない宣言をしたこともあり、アレクサンドラは見合いの進展にも展開にも、そして結果にも興味がないと言った雰囲気だった。
「本当にアレクは殿下には嫁がないの?」
 ジャスティーヌの問いに、アレクサンドラは吐き気をもよおしたような表情を浮かべた。
「ジャスティーヌ、お願いだから冗談は止めてくれる? あのエロ馬鹿王子に嫁ぐなんて、死んでも御免。どうしても嫁がなくちゃいけないなら、初夜のベッドで自害する」
 アレクサンドラは言ってから、慌ててジャスティーヌの方を向いた。
「ジャスティーヌは、好きかも知れないけど、僕にはムリ・・・・・・」
 アレクサンドラに断言され、ジャスティーヌはアレクサンドラの事を想っているロベルト王子の事を考えた。
「でも、殿下はアレクサンドラがお気に召したようよ」
「はぁ? 二周りも大きな花束をジャスティーヌに贈ってるのに、それはないでしょう? それに、どっちにしたって、ジャスティーヌじゃない、相手をしたのは・・・・・・」
 そうだ、知らぬは殿下ばかり。アレクサンドラであろうが、ジャスティーヌであろうが、実際にロベルト王子の相手をしたのは確かにアレクサンドラではなくジャスティーヌだった。
 しかし、清廉潔白なアレクサンドラを妻にと望んでいるロベルト王子のもとに、純潔を疑われているようなジャスティーヌが黙って身代わりとして嫁ぐのは、まるで詐欺のような気がした。
「やはり、お父様の口から、アレクサンドラは嫁ぐことができないと陛下にお話して戴いて、私は潔く身を引くというのが正しいのではないかしら?」
 ジャスティーヌは言うと、『エイゼンシュタイン王家の歴史』という分厚い本に目をやった。
「前半部分は納得だよ。でも、なんでジャスティーヌが身を引く必要があるの? ジャスティーヌは殿下が好きなのに・・・・・・」
 アレクサンドラの言葉に、ジャスティーヌの顔が真っ赤になった。
「殿下は、アレクサンドラを妻にと、もう心に決められているのよ」
「まさか、なら、なんで花束はジャスティーヌが二倍?」
「それは、私とあなたの間を疑った事に対する謝罪よ」
「はい? あのエロ馬鹿王子、僕とジャスティーヌが寝てると思ってたわけ?」
「やめて、アレク! いくら何でも、レディがはしたないわ!」
 ジャスティーヌは言うと、両手で耳をふさいだ。
「そんなの、くだらない、ただのやきもちだよ! 僕が従兄弟の立場をアピールして、僕のジャスティーヌと呼ぶのが気に入らなくて、勘ぐってる振りしただけだよ。だって、ジャスティーヌは知らないだろうけど、あのエロ馬鹿王子、いっつも他の女の事はこき下ろすけど、ジャスティーヌの事は誉めたことしかないんだよ」
 初めてジャスティーヌが耳にすることだった。
 いつも、遠くでロベルト王子を見つめるだけの自分のことを王子が誉めてくれていた。それだけで、ジャスティーヌは幸せな気分になれた。
「王宮に勤める者でも、列強六ヶ国のすべての言葉に堪能な者は少ないというのに、ジャスティーヌ嬢はどの国の言葉も巧みに操る才能を持っている。ジャスティーヌ嬢の踊るワルツは、まるで白鳥のように上品で、軽やかなステップは空に舞い上がりそうだ。夜空の星を見上げるジャスティーヌ嬢は、月が恋してしまいそうに可憐だ。・・・・・・とかなんとか、いっつもジャスティーヌだけは誉めちぎって、そうするとジャスティーヌのファンクラブがそれに倣ってうっとりするって言う具合だよ。まあ、僕の前っていうのはあるだろうけど、ジャスティーヌの事を誉める男は居ても、貶す奴は一人もいない。だから、あのエロ馬鹿王子が、僕の口を塞ぎたいのはアレクサンドラの前じゃなくて、ジャスティーヌの前だけ。そうでなければ、アレクサンドラのお供だって何だかんだと言って断ってきたさ。だから、僕にいわせれば、この見合いは最初からジャスティーヌに決まるものだったのに、陛下が間違って僕を指名したりしたから、ややこしくなったんだと思うけど」
 いつもながら、アレクサンドラは言いたいことをハッキリと口にした。ジャスティーヌには、どうやっても真似できないことだった。
「でも、陛下が殿下の気持ちをはじめとする無視するようなことをするかしら?」
 呟いてから、ジャスティーヌは先日の舞踏会の晩、公爵夫人が話していたことを思い出した。
「やっぱり、王族となると、親子でも私達みたいにお父様とお話しすることは難しいのかしら?」
「あー、それはムリだね。だって、公爵家の嫡男に友達が居るけど、とある伯爵家の令嬢とのキューピッド役を引き受けてあげたから、妹を紹介するって何度も誘われてるんだけど、そいつの話では、陛下が王太子と話をするには、常に王太子付き侍従長を介さないといけない決まりになってるんだってさ。親子なのに、ほんと、めんどくさいよね~」
 アレクサンドラはいうと、ポリポリと頭を掻いた。
「僕なら、直ぐに侍従長を撃ち殺すね」
「家には、乳母とメイドしかいなくてよかったわ。家の中で流血沙汰なんて、お断りよ」
 ジャスティーヌは、何時もより言葉に感情を込めて強い調子で言った。
「そうそう、ジャスティーヌもさ、おとなしくお人形さんみたいにしてないで、そうやって、ハキハキ自分の意見を主張すれば良いんだよ」
 アレクサンドラは嬉しそうに言うと、これまた淑女とは思えない、大きな伸びをした。
 ソファーに体を預け、淑女とは思えない姿で寛ぐアレクサンドラをそのままにして、ジャスティーヌは便箋にペンを走らせた。
 流れるような美しく丸みを帯びた筆跡は、見るだけで書き手の教養と上品さが分かると言われている。少なくとも、ジャスティーヌ自信、筆跡に負けないだけの知識と教養を持ち合わせていたつもりだったが、敢えて王家の歴史書を贈られてしまうと、自分の謙虚さが足りなかったのではと不安になり、お礼状の中にも『戴いた本を拝読し、王家の歴史を学び直したいと思っております』と、書き加えた。
 ロベルトの真意が、この分厚い本にあるのではなく、記憶を取り戻す鍵となるハンカチの方にあることなど、ジャスティーヌは考えもしなかった。

☆☆☆

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