隠れクール上司 2 ~その素顔は君に見せはしない~
人事に個人的な感情が入ることは絶対にない
「俺なんか、良かったんすかね……」

 鹿谷は言葉の通り、半分緊張、半分嬉しさを噛みしめている。

「いいんじゃないの。部長が直々に誘ってくれたんだから乗っとけば」

 関 一は突然湊が3人で食事の時を持とうと言い出したことに、随分鹿谷を買っているんだなと感じていた。

 まあ、さすがに実際にまだ人事が動くことはないが、気を引き締め直さなければ、いつ転じるとも予測できない。

「お疲れ様」

 いつもとは違う、料理屋の個室だ。角ばった話にはならないだろうに、鹿谷の為にわざわざ準備したのだろう。とは思う。

 まさか…さすがに人事関係ではなかろう。

「お…お疲れ様です」

 珍しく3ピースを着込み、上着はハンガーにかけている湊に対して、これが部長なのかと唾を飲んだらしい鹿谷は、一瞬言葉に詰まる。

「お疲れ様です。今日はあの…」

 座椅子に腰かけている湊を目の前に立ったまま頭を下げた鹿谷だが、

「いやまあ、この前社長と来た時にここがうまかったからそれだけ」

 随分値も張るだろうに……一体何の話だ。

 もちろんその表情からは、何も読めはしない。

 すぐに料理が運ばれてくる。その間に酒を少し頼み、雑談を交わした。

 ほとんど鹿谷は黙っている。今日の飯の味は分からないだろうなと、不憫に思ったが、こういう場が用意されているということは、上へ上がれる証拠だ。

 湊の口からは仕事の話が尽きることがない。それに対して鹿谷はよく自分の考えをまとめていたし、湊もその出来のよさに驚いている。

 入社10年といえど、26で東都の副店長に昇って来ただけのことはあるな、と感心した。

 姿勢も良いし、自信がある。

「鹿谷君は、独身だよね?」

 湊が酔い始めたのか、話題がようやく仕事から逸れた。ほっとして、まだ酒に手をつけていない鹿谷を見ながら、関はなんとか酒に口をつけ、大きく一口飲む。

「あ、はい。独身です」

「いい人はいる?」

「まあ……いいなと思う人はいますけど。彼女ではありません」

「………」

 つと、湊の表情が冷静になった気がした。が、酒を追加で注文しようとしたらしく、メニューを取っただけのようだ。

「頼みます」

 俺は、部屋の電話で素早く注文すると、それがくるまでの繋ぎの話題を考える。

「車好きなの? スカイラインだったと思うけど」

 適当に聞いた。

「はい、オヤジも乗ってたのでいいなと思ってて」

 それだけですぐに酒が来たので助かった。

 湊は酒に口をつけようとして、ふと鹿谷を見た。

 それに気づいた俺も、何かあるなと感じて隣を見る。

 しかし、話を始めたのは、湊の方だった。

「そういえばこの前の殺人事件、犯人がすぐ捕まったみたいだね」

「ああ」

 自分の番だったのかと、慌てて口を開いたが、

「美生にあの後聞かれたよ。中津川の彼氏が犯人じゃないかって」

「え!?」

 それが核心かと、慌てて

「そうではないと念を押しました」

 言い切る。

「美生も、随分回りくどく言うから、俺は知らないふりをしたけど。一君が先にフォローしてくれといて良かった。
 まあ、なんせ警察が逮捕したのが坊主の男だから、それでいいんだけどね」

 あの後何も言ってなかったが、念を押して湊に聞いたようだ。

「はい。まさか…」

「まあ……何せやくざだからね」

「………」

 ようやく鹿谷を見た。鹿谷は知っているようだ。

 確か、中津川と同じ店で働いたことが何年かあったはず。

 湊もそれを承知の上だったということか。

「美生は最近どうしてる?」

 湊は誰ともなしに聞いた。

「……結婚がちらつくとは言ってましたけど…、仕事をしている時は仕事に集中するように助言しました」

「結婚ねえ…」

 湊は楽しそうに苦笑した。

「ずっと仕事ばっかりだったからって」

「ふーん…」

 湊は胸ポケットからタバコを取り出す。その仕草だけで自分も吸いたくなったが、今日はさすがに我慢する。そういうオーラが出ている。

「あの」

 鹿谷が口を開いた。

「湊部長は、関…美生さんとは親戚なんですよね?」

 良からぬ話題は出さない方が身の為だと分かっている男だとは思うが、それでも真剣な表情でその話題を出したのだとしたら……。

 湊はたっぷり時間をかけて煙草に火をつけ、一口吐きだしてから、

「血のつながってないね」

 言い切って、灰皿に灰を落とす。

「あの……僕がもし、関さんのことをいいと思ってお付き合いしても、構いませんか?」

「……」

 関はすぐに湊を見た。それは、無表情でもなく、むしろ微笑のようにも見える。

「別に…構わないよ。僕に一々断らなくても」

「あ、ありがとうございます!」

「………」

 フォローの言葉が出なかった。これは、確実にフォローしておかないと、先々に響く。

 しかし、自分の身を案じて何の言葉も出ない。

「一君の後でよければね」

「航平さん!」

 さすがにそういう風に巻き込むのはやめてくれ!!

「私は何ともありません!!……いや、僕は関とは一切何もないから! ややこしい風に言うのはやめてください!!」

 2人を交互に見て、とりあえず最高に必死そうに言っておく。

「分かってます。…美生さんが、関店長を好きなのは」

 あり得ない鹿谷の一言に、血の気が引いた。

「へえ」

 湊は大きく煙草を吸う。

 下手なことは言うものではないと、叱りたかったが、湊がそうさせない雰囲気だ。

「けど俺は…その、色々仕事のことも相談にきてくれたりするところとか…。
 俺もあの後中津川の相談を受けました。それで、中津川が前にその男と結婚してた話をしたら、知らなかったようで随分落ち込んでたけど…ちゃんと元気づけられたし。中津川と美生さんの仲も継続する感じでうまく取り持てたと思います。
 でももし、関店長のことを好きなら好きでいいと思うんです。
 でも、湊部長には聞くだけ聞いておきたかったので」

「………」

 鹿谷の未来はない。

 そう悟り、湊を見る。
 予想通り目だけは冷たい卑下するような視線を放っている。

「手ごたえはありそうなの?」

 湊は更に聞く。

 鹿谷は俯いているし、その冷ややかな視線には気づいていない。

「…今の位置でもいいとは思っています。関店長のことが好きならそれで。自分は、フォローというか、そういう役回りでも今は充分だとは感じています」

「私はにはその気は全くありませんから」

 先回りしたが、

「耳を撫でられて随分喜んでたけど」

 ぎくりとして、固まった。

「耳…を…」

 としか、返せない。湊の顔が見られない。

「髪を撫でられたんだったか」

「耳が痛いというので、腫れてないか見ただけです」

 そういうことだ。事実そういうことだったんだから!!

「まあ、そういう事にしておいてもいいよ。今は君が必要だし。美生も、しつこいからねえ…」

 突如バイブ音が聞え、湊がズボンのポケットからスマホを取り出した。

「あぁ、ご本人から。…はい」

 どうやら関から電話がかかってきたようだ。

「うん。食事中…うーん。21時は回る」

 時計を確認している。この後会う約束でもするのか。

「え? うん。もういいよ、その話は」

 随分潔く言い放っている。

「美生の家? うーん…」

 再び腕時計を確認しているが、時刻は変わっていない。

「外にしよう。何? いつもは嫌がるのに」

 若干笑って煙草をうまそうに吸っている。本当に嬉しそうだ。

「ああ。でも玄関まで送るから。いい? うん。ちなみに、何の話か先に聞いてもいい?」

 湊はちら、と鹿谷を見た。鹿谷は、猟師に睨まれた子ヤギのようにビクリと身体を震わせる。

「はは…あー」

 湊は随分楽しそうに、目元を擦ったが、口元はにやついている。

「我慢してたのねえ……」

 煙草はだいぶ短くなっている。

「それ、会って話す必要ある? 今聞いたけど」

『用件言ってって言うから言ったのに、酷い!! 私、めちゃくちゃ考えて、めちゃくちゃ考えたんだよ!』

 小さく関の声が聞こえた。随分大声で怒鳴っている。

「まあいいけど。うん。言っとくけど、わざわざ美生の家で話ししても答えなんかないよ? ただの勘違いだから」

 声が小さくなり、何の話か聞こえない。

「うん。…そりゃあそうだよ、僕は明日早いからちょっとだけだよ」

 明日は湊が休みだからこの会が開かれたはずなのに、微妙に嘘を……いや、プライベートで何かあるかもしれないか。

「うん。もういいよ、パジャマでも。着替える気もないんでしょ……はい……はい」

 その図を想像するだけで、身体が固まってしまった。

「……悪いね。そのまま出て」

 何も悪びれた風もなく、スマホを元に戻す。

「関からですか?」

 分かり切っていたのに、聞いてしまう。

「うん」 

 当然とでもいうように、煙草を灰皿に押し付けた。

「若杉とはどういう関係なのかって。人事には裏があるんじゃないのかって」

 湊はさっそく電話の内容を暴露した。それ確か言ってたな…と思ったがもちろん黙っておく。

「なんでも、若杉は幹部のお知り合いの方だと聞きましたが」

 俺は、普通に聞く。

「いや。それは知らない。ただの社員だよ。ああいう風にとっつくからややこしくされがちだけど。俺の番号もどこで調べたんだか、勝手にかけてきて。
 次の人事で北浦に飛ばす。……予定。仕事ができるんだけど、あれは他の社員がやりにくい。美生はよく扱ってる方だよ」

 そんなことが決まっていたとは。

 関の業務ももっとレベルを上げないと、今は随分若杉に頼るようになってしまっている。

「それじゃあ、お開きにしましようか」

 俺は立ち上がろうとしたが、

「気を遣わなくていいよ。21時くらいに出ればいいから」

 まだ30分はある。が、どちらかといえば今日は早く帰りたい。湊は関のことが絡むと、随分人が変わるのだ。

「………」

 かといって、もう話す内容はない。

 湊は残りのビールを飲み干し、鹿谷を見る。

「鹿谷君は、東都の店長になりたいという夢はある?」

 どう答えても、おそらく鹿谷の未来はない。なのに、湊はわざと聞いているのだ。

 それを知っている関は、美生にただ一瞬でも心を許そうとした事を後悔しながら、残りの酒を飲み干す。

「もちろん、その夢は持ち続けています」

 その自信が、湊を逆撫でする。

「持ち続けるといいよ。その夢」

 湊は立ち上がった。

 今から、関の家に行くために。

 鹿谷は安堵した表情だが、それが崩れる時はじきに来るはずだ。

 人事に個人的な感情が入ることはない。

 そうそう入れられるものではない。

 これだけ組織が巨大になると尚更だし、それに感づく者がいる。

 だから、賢くならなければならない。

 そうでなければ生きてはいけない。

「鹿谷君、悪い。タクシー呼んで来てくれる? 店の前に居たらそれ掴まえといて」

 すぐに鹿谷が出て行き、何かあるなと、俺は湊の顔を見た。

「何もないよ」

 湊は柔らかに笑い、ハンガーから上着を取る。

「美生の結婚ね……」

 一番触れたくない話題に、身体が固まった。

「さてねえ……部門長から更に上げていくか、家に閉じ込めるか」

 何を意味しているのか分からないふりをして、俺は湊の行く手に遮る、襖を引いて道を作った。
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