イリューシャはダミアに黙っていることがある。

 ひな鳥が教えられることなく空を飛ぶように、女精も自分の本性を知る。
 
 帰綱が切れたとき、イリューシャも自らの本性を理解した。女精は本来、生き物ではないと。

 有翼人種は帰綱をただの精神的な支えだと思っているが、女精はそれを失うと、体の均衡も失うことも。

「もう食べないのか?」

 向き合って食事を取っていたダミアが、心配そうに問う。

 イリューシャははっとして、慌てて豆のスープを飲もうとする。

 けれど喉を通った後、石が落ちるような違和感があった。

 結晶化。イリューシャの体は生まれる前に戻ろうとしている。

 既に胃が凍り付き始めている。じきに喉も動かなくなるだろう。

「具合が悪いのではないか?」

 席を立とうとしたダミアに、イリューシャは笑顔を向ける。

「新しいダンスのことを考えていました。どうしても今踊りたくて」

 ダミアが微笑み返す。イリューシャは幼い頃から、何をするより踊るのが好きだった。

「いいよ。見せてごらん」
「はい!」

 ダンスはイリューシャの元気の証で、喜びの源だ。そしてそれをみつめるのがダミアの楽しみでもあった。

 ダミアが促すと、イリューシャは席を立って軽やかに踊り始める。

 イリューシャが舞うと、食卓に飾られた花のつぼみはほころび、夜更けの空気は甘く香り始める。

(お願い。もう少しだけ動いていて)

 目を細めて見守るダミアをみつめながら、イリューシャは鈍くなっている心臓の音に話しかける。

(私は石でしかないけど、にいさまは私を生き物のように扱ってくれたもの)

 最終的に、体全体が石になる。だが幸いなことに、結晶化は体の中から始まっている。まだダミアには見えないはずだった。

「にいさまも」

 イリューシャが手を引いて、ダミアもダンスに加える。すべてを教えてくれたダミアに、唯一イリューシャが教えることができたのがダンスだった。

 肌に触れ、引き寄せてそのぬくもりを感じる。ダミアが教えた兄妹のふれあいはそうだ。

 軽やかなダンスのあとは、背に腕を回して頬に頬を寄せる。

「上手になった」

 イリューシャがキスを贈ると、ダミアはくすくすと笑って、イリューシャの髪を撫でる。それでイリューシャを抱き上げると、首筋に顔を埋めた。

 体の中心がじわりと熱くなるのを感じて、イリューシャはまだ大丈夫と安堵する。

「リィ。私の宝物」

 銀の瞳の奥にちらつく獣性。それを見て、結晶化しているはずの体内が痛む。

 ロジオンに身を奪われたときに見た、ダミアの怒り。ずっと優しかった兄が初めて見せたむきだしの獣性を、イリューシャは覚えている。

 怖かった。けれどその衝撃で、帰綱に巻き取られずに済んだ。

 ダミアも、自分を傷付けたロジオンにさえ、憧れた。らせんの中に落ちていくように生命を終わらせる精霊と違って、なんて力強い生き物だろうと。

 自らの命が終息していくのは、本来の形に戻るだけ。だけどその痛みのような憧れが、まだ心臓を動かす。

「……大丈夫だ」

 ふいにダミアは獣性を綺麗に消し去って、イリューシャに諭す。

「体調が悪いのだろう? 隠してもわかる。さ、温かくして、ゆっくりお休み」

 イリューシャの身を奪うより、過剰に保護する方を選ぶ。獣性を見せず、怯えさせず。

 それが兄の優しさだと知っているから余計に、イリューシャは切なくなる。

 イリューシャを抱き上げて寝室に運ぶ。

「にいさまは、ずっと私のにいさま?」

 イリューシャはダミアを見上げて問いかける。 

 この体がすべて石になる前に、何かあげられるものがあるのなら。

 ダミアは優しくうなずく。

「ああ。そうだ」

 いつものようにうなずく兄に、イリューシャはそれ以上言葉を探すことができなかった。