異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~
▼4話 月と薔薇のクーデター


 アストリア王国に来てから五日が経った。患者の症状は順調に快方に向かって、今では食事もお粥からではあるが、始められている。

「若菜さん、おはようございます」

 いつものように施療院で患者たちに食事を配っていると、ベッドに腰かけているエミリさんが私に頭を下げてくる。

 退院して患者の数も減ったので、床で寝ていたエミリさんにもベッドに移ってもらった。それがよかったのか、彼女の脱水症状は落ち着いてきて顔や手の肌に弾力が戻り、しわがなくなっていた。

「おはよう、エミリさん。今日はロメリオさんは?」

 彼女のベッドサイドの椅子に腰かけて尋ねると、エミリさんは恥ずかしそうに髪を耳にかけながらはにかんだ。

「お昼頃に来る予定なの」

「ふふっ、うまくいっているみたいね。なら、彼が来る前に髪を整えないと。まとめておけば、食事のときにも器に入らないで済むわ」

 私は寝起きで跳ねている彼女の髪を手で梳いて、予備で持ち歩いている紐で三つ編みにしてあげる。
 結い終わると、エミリさんが私の髪留めに触れるのがわかった。

「これは……琥珀?」

「ええ、そうよ。大事な人からもらったものなの」

 王位争いに負けて敗走していた月光十字軍と行動を共にしていたとき、蛇に噛まれた少年の手当てをするために日本にいたときから身に着けていた髪ゴムを使ってしまったことがあった。その髪留めの代わりにと、シェイドが自分の手首につけていたこの琥珀のついた赤い打ち紐をくれたのだ。

「若菜さんの大事な人って、施療院でいつも一緒にいる背の高い男の人よね? 見ていてすぐにわかったわ」

「恥ずかしながら、そうよ」

 恋の話に花を咲かせていると、ふいに私の背中に視線を移したエミリさんが会釈をした。振り返ると病室の入り口にシェイドが立っていて、目が合った瞬間に微笑みかけられる。

 いけない、話し込みすぎたわ。
 他の部屋の食事はシェイドが全部、配ってくれたのだろう。次の指示をもらいに来たのかもしれない。
 そう思って立ち上がると、エミリさんに手を掴まれた。

「若菜さん、私にロメリオと話す勇気をくれて本当にありがとう」

「エミリさん……」

「それから、私たちの命を助けてくれてありがとう」

 エミリさんの笑顔を見て、改めて思う。辛いことのほうが多い仕事だけれど、私はこの一瞬の笑顔や『ありがとう』で救われるのだ。看護師は天職だな、と改めて気づかせてくれたエミリさんに私は首を横に振る。

「私のほうこそ、元気な姿を見せてくれてありがとう」

 感謝を伝えてその手を握り返すと、私はシェイドの元へ向かった。
 ふたりで一緒に看護師が常駐する部屋に戻ってくると、そこにはクワルトの他に城に潜入していたアージェの姿もある。

「アージェ! 久しぶりね」

 机の上に腰かけて足をぶらつかせていたアージェに駆け寄ると、呆れた顔をされた。

「若菜さん、そうは言ってもたったの五日ぶりでしょ」

「なに言ってるの、他国で五日も姿を見なかったら心配だってするわ」

 シェイドからは隠密の彼は潜入が得意だから大丈夫だと言われたけれど、やはりひとりで敵の根城に入り込むのは危険すぎる。

 私はアージェの目の前に立つと、その頬や腕に触って怪我をしていないか確認をした。それをくすぐったそうにしながらもアージェは万歳をして、私の身体検査を大人しく受けている。

「無茶はしてないみたいね。今日はどうしてこっちに戻ってこれたの?」

「あー、城内部の構造もレジスタンス幹部の行動パターンも把握したからね。そろそろ、囚われのオネエ騎士様とも合流して作戦会議しようってことになったんだよ。ね、王子?」

 アージェは少しだけ上半身を横に倒すと、私の後ろに立っているシェイドを見る。

「ああ、本来ならアージェに伝令を頼んで計画を詰めるべきなんだろうが、ローズには直接確認しておきたいことがある。今夜にでも城に潜入するつもりだ」

「じゃあ、僕も君たちが見つかったときに足止めできるようについていくよ」

 話を聞いていたクワルトが軽く手を挙げて、そう申し出た。それならと、私もシェイドの顔を見上げる。

「私とクワルトなら城にいてもおかしくないもの。あなたたちを先導して歩けば、兵がいたときに迂回するように合図できるわ」

「俺が頼む前に先に言われてしまったな。若菜、すまない。危険な目に遭わせてしまうが、力を貸してくれ」

 前のシェイドなら、ここで私に力を貸してほしいとは言わなかった。是が非でも、私を施療院で待たせたはずだ。
 なのに力を貸してほしいと頼られて、初めて彼の隣に立てたのだと実感した私は込み上げてくる嬉しさに突き動かされるように強く頷いたのだった。




 その夜、私を部屋に送るふうを装ったクワルトがうまく見張りを他の場所へ移動させ、シェイドとアージェを城に潜入させることに成功した。
 もう少しでローズさんと私が監禁されている部屋に到着するというところで、前方の曲がり角からレジスタンスの下っ端らしき人の声が複数聞こえてくる。

「まずいな、ここは一本道だ。今から引き返すにしても距離がありすぎる」

 来た道――途方もなく長い城の回廊を振り返ったシェイドは、やむ負えないとばかりに腰のサーベルの柄に手をかける。
 ここでレジスタンスと一戦交える気なのだろう。

 しかし、騒ぎを起こせばこの国にエヴィテオールの人間が潜入していると幹部連中の耳にも入ってしまう。なんとしても避けたい状況なのだが、他に打つ手はなかった。

「声をあげられる前に、口を封じるしかなさそうだね」

 アージェは懐から暗器を取り出すと、これは自分の仕事だとばかりに私やシェイドの前に出る。
 近づく足音に空気が張り詰めていくのを感じていると、私たちのいる廊下の壁から「そこに誰かいるんですか?」という女性の声が聞こえてきた。

「私の聞き違いじゃなければ、壁から声がしなかった?」

 空耳ではないことを確認するようにクワルトを見ると、彼はハッとしたような顔をする。

「そうか、ここは……! 皆さん、僕たち助かりますよ」

 にこっと笑ったクワルトは壁にかかっていた肖像画の目を指で押す。その瞬間、目はボタンのように窪み、カチッという音を立てて壁が横にスライドした。

 信じられない光景に固まっていると、シェイドが私の手を引いて「入るぞ」と中へ促す。
 それから何事もなかったかのように扉は壁と一体化して、レジスタンスの下っ端たちも私たちに気づかずに通り過ぎていった。
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