愛は貫くためにある
第1章 動き始めた初恋

シンデレラの隠れ家


シンデレラが王子の手を握らないなんて、前代未聞だ。

「あら、どうしたの?難しい顔しちゃって」
カウンターに座る守に、戸田桃は人懐っこい笑みを浮かべた。
店内は静まり返っていて、客も多くはなかった。
「シンデレラは二階だぞ」
マスターの春彦も茶化しながら桃の隣に立ち、二階を指差した。
シンデレラの名は、星川美優。
美優は戸田夫妻の経営するこの喫茶テリーヌで、居候をしながら店員として働いている。
まだ働き始めたばかりで、慣れないことも多いようだ。
住居スペースは二階となっている。
「ねえ、平田さん。私、みーちゃんと貴方の関係が知りたいわ」
「俺も。みーちゃん、平田さんが来てから変わってきたんだよ。少しずつだけど、確実に」
「変わって、きた…?」
守は身を乗りだして言った。
「ふふふ、知りたい~?」
桃が意地悪な笑みを守に向けた。
「何ですか、その意味深な微笑みは。すごく気になるんですけど」
守は不服そうに桃を見た。
「ふふふ、だもんな?桃」
「うん、春彦。ふふふ~」
春彦と桃は互いに見つめ合い、微笑んだ。
「あの~、お二人共?僕は至って真面目に聞いているのですが」
覚めたような目で戸田夫妻を見ている守に気付いた二人は、苦笑した。
「もー、そんな目で見ないの!せっかくの整った顔が台無しよ」
桃は口を尖らせて言った。
「平田さんは、自信持ってみーちゃんにどんどんアタックよ!」
「はあ…」
桃の底なしの明るさに、守は呆然とした。
「みーちゃんが平田さんに堕ちないわけないだろ。徐々に距離を詰めていけば良いんだよ。
当たって砕けろ、っていうだろ?」
「当たって砕けても、困るんですけど…」
そうだ。美優への長年の片想いを成就するのに、躊躇する時間なんてない。
立ち止まる暇なんて、一秒たりとも無いんだ。
守は改めて、時が経つ早さを思い知っていた。
「そろそろ教えてくださいよ。みーちゃんが変わってきたって、どういうことなんですか?」
桃は黙って口元を右手で隠し、頬を緩めていた。
「…あの、一体何なんですか」
答えを知りたくて仕方がない守と、もったいぶって答えを引き延ばそうとする桃。
埒が明かないと見兼ねた春彦が、静かに口を開いた。
「気が付かなかったか?いつもと何かが違うと」
「いつもと…違う?」
守は首を傾げた。いつも頼むアイスコーヒーと、サンドイッチ。
特別味が変わったわけでもなければ、量が増減したわけでもない。
「特に変わったことは、ないと思いますけど」
「ああ!みーちゃんの愛が台無し…」
桃が両手で頭を抱えて、オーバーリアクションをした。
「桃、大袈裟」
「だってえ…」
再び、見つめ合う桃と春彦。
「あの、話を元に戻しませんか?」
守の言葉に桃が頬を膨らませたかと思うと、甲高い声が辺りに響いた。
「みーちゃんの愛が台無しじゃない!この女ったらし!」
桃の言葉を黙って聞いていた春彦は、桃の頬を思い切りつねった。
「ひゃるひこお…いひゃいよう…」
「はしゃぐのもいい加減にしろ」
「ごめんなひゃい…」
桃の眉が下がり目尻にうっすら涙の玉が浮かんでいるのを見て、
春彦はようやく桃から手を離した。
「…痛いよ、春彦」
桃はしゅんとしながら、先程まで春彦に掴まれていた頬を擦った。
「桃が意地悪ばかりするからだろ?」
桃の頭をぽんぽんと撫でた春彦は、もう片方の手で頬を擦る桃の手を優しく握りしめた。
「もうしないから…」
「仕方ないな。今回だけだぞ?」
「うん」
戸田夫妻に自分は見えていないのだろうか、と守は溜息をついた。
「僕は、女たらしなんでしょうか」
守の言葉に、二人ははっとして守を見た。
「いたね、本気にしちゃって。冗談にきまってるじゃない」
「平田さん、勘弁してやってくれ。桃は見ての通り、天真爛漫でな。悪気はないんだよ」
「良いですね、夫婦円満で」
「そういう平田さんは、みーちゃんと夫婦になりたいんじゃないの?」
夫婦、と言う言葉が守の鼓膜を震わせる。
夫婦になるーそのことは今の今まで、守の頭にはなかった。
しかし桃の言葉で心が揺れ動いてしまうのは、
戸田夫妻のような未来を美優と描きたいという、強い思いがあるからだ。
「平田さんの料理には、愛が込められているのよ。みーちゃんの愛が、たーっぷりとね」
「みーちゃんの愛が、たっぷり…?」
「自分から志願したんだぞ。平田さんの料理を作りたいって」
「自分から、進んで…?」
守はごくりと唾を呑んだ。
自分とは距離を取っていたはずの美優が、自分の意思で自ら行動を起こすだなんて。
ましてや、その行動が自分の料理を作ることに直結しているだなんて。
守は嬉しさのあまり、泣きそうになった。
「いつからですか?」
「三週間…いや、二週間くらい前かな?」
春彦が顎に手を当て、考え込むようにして言った。
すると守が、がんとカウンターテーブルに頭を打ち付けた。
「だ、大丈夫…?」
桃が慌てて駆け寄った。守は、大丈夫ですと言ってゆっくりと頭を上げた。
「今まで気づかなかったとか、ショック…」
「で、そろそろ話してくれてもいいんじゃないか?」
「え?」
「ここに辿り着いた経緯と、みーちゃんとの関係をさ」
春彦はにやりと笑った。隣にはいつの間にか桃がいて、
春彦と同じく目を輝かせながら守の言葉を待っていた。
「みーちゃんには、まだ僕の正体明かさないで下さいね?」
「なあるほど!訳ありってやつだな」
「なあるほどお~」
桃が怪しげに笑うので、守は一言付け加えておく。
「言っときますけど、不純な関係じゃないですから」
「ゆっくりと話を聞かせてもらおうか」
春彦が低い声でゆっくりと言うので、守は今夜は長くなると覚悟した。
「僕、尋問されるんですかね?」
「事と次第によっては、力になれるかもしれないよ。言ってみなさい」
「ドラマの見過ぎじゃありません?それに、最後の命令口調…」
「どうするんだ?」
「…長くなりますよ」
守が観念したように言うと、桃が声を上げた。
「だいかんげ~い!ねえねえ、早く聞かせてよ~」
桃はどうやら、恋バナが大好物らしい。
困った人達に捕まったものだな、と守は心の中で呟いた。

< 1 / 120 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop