私、愛しの王太子様の側室辞めたいんです!【完(シナリオ)】
第二話 側室辞めたい(公募時)
〇ユリシーズ王太子後宮、ローズマリー私室(昼)

いきなりユリシーズに覆い被さられた状態。いや、上半身だけ押し倒されたような体勢になり、ローズマリーは赤面した。心臓の鼓動が早くなる。

ローズマリー(ベッドの上で二人きり、なんてまずい……まずいわ……!!)

ただでさえ後宮はそういった場だ。
むしろ今までこういった艶事がなかったローズマリーの方が珍しいのである。

ユリシーズの骨張った手がローズマリーの前髪を軽く上げる。額から頬に手を滑らせて、彼は少しだけ息を吐いた。

ユリシーズ「良かった。怪我はないみたいだね」

ユリシーズはホッとしたように呟いた後、自らの体勢とローズマリーの顔色を確認して、唇を吊り上げた。空色の瞳をスっと細める。少しだけ意地悪そうな表情を見せた。

ユリシーズ「どうしてそんなに真っ赤になっているんだい?」

ローズマリー「分かってるくせに分かってるくせ分かってるくせ」

尚もスルスルと頬を撫で続けるユリシーズに、真っ赤になりながらローズマリーはジタバタと暴れる。ユリシーズはそんなローズマリーの様子を見て、クスリと軽く笑った。端正な顔がローズマリーに近づく。

ユリシーズ「全く……、そういう所も可愛いのだけれど」

軽いリップ音と共に、ローズマリーの唇に柔らかいものが触れた。それはすぐに離れて、ユリシーズは身を起こす。そして首まで真っ赤にしたローズマリーの背中に手を回して、彼女が起き上がるのを手伝った。

ユリシーズ「女官長から〝閨の儀〟を伝え聞いた君がどんな反応を見せるか気になってね。……まさか、側室を辞めたいだなんて言うとは思わなかったけれど」

にっこりと高い位置にある顔から、圧の篭もった笑顔が向けられる。
ローズマリーはダラダラと冷や汗をかいた。

ローズマリー(え、笑顔なのにすごい怒ってる……!)

ユリシーズ「ねえ、ローズマリー?側室辞めて何になりたいっていうんだい?」

耳元近くでユリシーズの低音が響く。艶っぽさが多分に含まれたその声に背筋がゾクリと震える。
吐息が触れそうなその距離に擽ったくて、肩を竦めた。

ローズマリー(側室辞めて何になるか……?)

ユリシーズの問いにローズマリーは思わず視線をさ迷わせる。
後宮に入って10年。長い時間をここで過ごしてきた。
勿論、ただ何もしてこなかったわけではない。

いくつかの楽器やお勉強、マナーに刺繍。一般の令嬢よりも遥かに高度な事を学ばせて貰っているのだと、侍女のカリスタは言っていた。
しかも一般の貴族の令嬢が受ける教育は、後宮内で全て習うことが出来た。

だけれど、ローズマリーにとってはそれらはあくまで〝お勉強〟や〝趣味〟であり、なりたい職業ではない。

ローズマリー(普通の令嬢ってどんな職業をを目指すのかしら……?!……な、何になりたいかだなんて、考えたこともなかったわ!!)

その時フッと脳裏を過ぎった単語を、ローズマリーは何も考えずにそのまま口にした。

ローズマリー「お、お嫁さん!」

数秒の沈黙が部屋に訪れた。
ローズマリーは今更一番最初に思いついた、〝自分のなりたいもの〟に混乱した。

ローズマリー(これって一番悪手じゃない……?!)

ユリシーズもローズマリーがまさか墓穴を掘るとは思わなかったらしい。虚をつかれたかのように、快晴の空の瞳を見開いたけれど、やがてはははっと声を上げて笑う。

ユリシーズ「お嫁さん……って。ほら、今でも僕のお嫁さんでしょう?」

ローズマリー(お嫁さん……の一人だけどねっ!!)

内心突っ込みながら、ローズマリーは必死に部屋の中の物に視線を巡らせた。少女趣味の室内は、白い家具で統一されている。
王太子の側室に相応しい、豪華な部屋の中で、ローズマリーは〝それ〟に目を止めた。

女官長が入ってくる前に摘んでいた、焼き菓子。

ローズマリー「わ、私っ!お菓子職人になりたいの!!」

ユリシーズ「……お菓子職人?さっきはお嫁さんって……」

ローズマリー「わあああっ!違うわ違うわ!!さっきのは言葉のあやというか、言い間違え!そうそう!言い間違えよ!!私、お菓子職人になりたいの!!」

ユリシーズ「なんでお菓子職人になりたいだなんて思ったの?」

ユリシーズはキョトンと目を瞬かせた。

ローズマリー(動機なんてないわ!)

なにせ今考えたことである。
しどろもどろになりつつ、必死に適当な言い訳をした。

ローズマリー「え〜っと、ほら、私ってお菓子大好きじゃない?バターたっぷりのしっとりクッキーとか、生クリームたっぷりのショートケーキとか」

ユリシーズ「うん。お陰で女官長がローズマリーの体重管理が大変だと言っていたよ。具体的な数字を提示されて、僕の方からも説得するように頼まれたんだ」

ローズマリー「に、女官長の意地悪!!」

何が悲しくて一応夫である男に体重を知られなければならないのか。
思わず遠い目になったローズマリーだったけれど、慌てて我に返る。今はこんな事をしている場合じゃない。

ローズマリー「とっ、とにかく!!私も作ってみたいなって……!!王城のお菓子職人さんに弟子入りしたいの!!」

ユリシーズ「弟子入り、ね……」

ローズマリー「ね?いいでしょう?私、お菓子職人になりたいの。……だめ?」

すぐ傍のユリシーズの胸元に身を寄せて、彼を見上げた。身長差でユリシーズから見ると、ローズマリーが自然と上目遣いになる。

ユリシーズ「うっ……」

ユリシーズ(か、可愛い……)

やや目元を色付かせたユリシーズは、ほんの少し息を吐いた。ローズマリーの柔らかい頬をぷにぷにと摘みながら、渋々許可を出す。

ユリシーズ「……いいよ。僕の方から城の厨房に言っておくよ」

ローズマリー「本当?!わーい!!」

ユリシーズ「それじゃあ、それまで大人しくしておくんだよ」

ローズマリー「勿論よ!」

嬉々として返事したローズマリーに対して、ユリシーズは少し身体を屈める。そして耳元で息を吹き込むように囁いた。

ユリシーズ「〝閨の儀〟、僕は楽しみに待っているからね」

ローズマリー「〜〜〜〜っ!」

ゾクリ、と背筋が震える。カァっと顔に熱が集まった。
そんなローズマリーの様子を見て、満足気にユリシーズは喉の奥で笑った。
普段の優しい王太子様の表情とは違う、一人の男の人の顔だった。

ユリシーズ「またくるよ」

扉が音を立てて閉まる。ユリシーズが去った後、ローズマリーはハッとある事に気付いた。

ローズマリー(……これ、もしかして……、お菓子修行というよりも、お菓子作り体験みたいになってない?)


〇ユリシーズ王太子後宮、ローズマリー私室(一週間後昼)

ローズマリーは印籠が押された手紙を開く。
そして顔を輝かせた。侍女の方を向いた。

ローズマリー「見て見て!カリスタ!ユリシーズ様から許可が下りたわ!王城のお菓子職人からお菓子を教えて貰えるのよ!」

カリスタ「ようございましたね、ローズマリー様。これもユリシーズ殿下の胃袋を掴む為の特訓ですね!」

ローズマリー「違うわよ!!」

長年仕えている侍女にローズマリーは慌てて訂正を入れる。

ローズマリー(私だってこの三日間。何もしてなかったわけじゃないもの!!)

実の父親である公爵に、側室辞めたいと手紙を送ったけれど、即却下の返事が来た。

ローズマリー(まあ、お父様には元々期待はしていなかったけれど。そうじゃなければ7歳で後宮に入ってなかったわよね)

頬杖をついて物憂げに溜め息をついていると、カリスタは不思議そうに首を傾げた。

カリスタ「というか、何故ローズマリー様はユリシーズ殿下の側室を辞めたいだなんて思われるのですか?」

ローズマリー「え?……あ、ええ。私、ずっと外に出たかったのよ。ほら、私は後宮の事しか知らないでしょう?広い世界を見たいなって」

カリスタ「なるほど……。広い世界が見たいならば、ユリシーズ殿下にお願いして、旅行などに連れて行って貰えればいいのでは?ユリシーズ殿下はローズマリー様の事をとても可愛がっておられますし……」

侍女の提案にローズマリーは苦笑した。そして首を横に振る。

ローズマリー「いいえ。私はそういう一時的な自由が欲しいわけじゃないの。どこに行っても、私はユリシーズ様のお傍から離れられない。どこに行っても、必ずここに戻ってこなければいけない。それは自由と呼ばないじゃない?」

カリスタ「ローズマリー様……」

窓から差し込む日差しがローズマリーを映し出す。背筋を伸ばして椅子に座るローズマリーは、今にも消えてしまいそうな位儚い人のように見えた。

ローズマリー(いいえ、〝自由〟なんて言い訳よ)

ローズマリーはモルガナイト色の大きな瞳を伏せる。
侍女のカリスタにも言えない。ユリシーズになんて、相談出来るはずがなかった。

ローズマリーの脳裏に一人の美少女を思い浮かべる。
ローズマリーより一つ年上の、波打った黒髪が特徴の少女。このグレンフェル王国の男爵令嬢で、ローズマリーと同じユリシーズの側室。

ローズマリー(ケイシー様のお腹にユリシーズ様との子供がいるんだもの……)
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