君の光に恋してる!~アイドルHinataの恋愛事情【1】~

08 夢の中、ベッドの中。

 自分の部屋から取ってきた薬を彼女に飲ませた僕は、そのまま彼女の部屋で一晩過ごすことにした。
 
 彼女に、『朝までここにいるから』と伝えたとき、彼女はかなり戸惑っていたようだけれど。
 
 寝込んでいる彼女を一人にしておけるほど、僕は冷酷な人間ではないし。
 寝込んでいる彼女に手を出してしまうほど、理性のない人間でもない。
 
『ここからの方が、駅に近いし』とかなんとか適当なことを言って、半ば強引に居座ったような形だ。
 
 彼女は、薬が効いたのか、今ぐっすりと眠っている。
 僕はしばらく、明日から撮影が始まる映画の台本を読んだり、テレビを眺めたりしていた。
 
 昨夜遅くまで雨が降っていたせいか、今日は朝からかなり肌寒い。
『春は、一雨ごとに暖かくなり、秋は、一雨ごとに寒くなる』。
 そんなことを、昔テレビの天気予報かなにかで聞いた記憶がある。
 
 僕がこの部屋に来たとき、彼女はベッドのそばの床に倒れ込んでいた。
 
 その彼女の少し離れたところには、彼女が昨日着ていた服が脱ぎ捨てられていたのだけれど、なぜかその服は濡れていた。
 昨日彼女が僕の部屋を出てから急に雨足が強まったとはいえ、彼女は傘を持っていたはずだから、こんなに濡れてしまうはずがない。
 
 なぜなんだろう。
 
 いろいろと、探りを入れてみようかと思ったんだけれど、目の前の彼女はとても苦しそうで。
 僕が抱えて、ベッドへ運んで寝かせた後も、うわ言で何度も僕の名前を呼んでいた。
 
 彼女にこんな苦しい思いをさせてしまうくらいなら、昨日あのまま僕の部屋に泊めてしまえばよかった……と。
 
 でも、もし、そうしていたのなら、今ごろ僕と彼女の関係は、確実に今とは違っていたはず。
 もしかしたら、お互い別の辛い思いを抱えることになっていたのかもしれない。
 
 今の彼女の寝顔は、身体はまだ少し辛そうだけれど、表情はいくらか穏やかに見える。
 
 ……きっと、これでよかったんだ。
 
 僕は、眠っている彼女の髪にそっと触れた。
 
 少しだけなら…………。
 
 僕の中で、理性と本能との間を心が少しずつ揺れ動きはじめる。
 
 今夜は、かなり冷える。
 彼女の具合がここまで酷いと知らなかったから、様子を見たらすぐに帰るつもりで、薄手の上着すら持ってきていない。
 
 この肌寒い中で、また僕が風邪を引いてしまったりでもしたら、それこそきっと、彼女が責任を感じてしまうだろう。
 
 そうならないために、僕の身体を温められるのは。
 彼女が眠っている、このベッドしかない。
 
 本当は押し入れの中を探せば、毛布の1枚くらい出てくるはずだけれど、物音をたてて彼女を起こすわけにもいかない。
 
 ……添い寝するだけだ。
 
 彼女を起こさないように、そっとベッドの中にもぐり込む。
 シングルのベッドだから、体勢的には、かなり苦しいものがある。
 
 身体を横向け、片手で頭を支えて、彼女を見つめた。
 
 間近で見る、彼女の寝顔。
 顔立ちはかなり地味だけれど、肌はとても白くきれいで、世間が言うほど悪くないと僕は思う。
 
 昔付き合ってた、女優やモデルの女の子たちは、確かにとても整った顔をしていたけれど、実はそんなものは化粧次第だったりする部分もある。
 女性が化粧をすること自体は、決して悪いことではないと思う(僕だって、仕事によっては、化粧とまではいかなくても、軽く手を加えることは、よくある)けれど。
 そういった女の子たちって、必ずといっていいほど、化粧が崩れたところやノーメイクの顔を見せたがらない。
 
 例えば、一晩一緒に過ごすことになったとして。
 僕が眠ったフリをするまで待って、化粧を落として。
 僕の目が覚めた頃には、もう完璧な顔を作り上げている。
 
 そんなふうに、お互いが気を遣いあってるのがだんだんと疲れてきてしまって。
 同時に、それまで見えていた光(相手によってほんと様々な色だった)も、徐々に消えてくから、やっぱりな、なんてどこかで納得しながら。
 
 ……彼女のこの『顔』が、僕たちが長く付き合っていられてる理由のうちのひとつかもしれないな。
 
 世間では、『彼氏いない歴 = 年齢』で『モテない』、『毒舌』で、いわゆる『ヨゴレ芸人』の位置にいる彼女。
 そんなイメージのおかげで、彼女を他人に獲られる心配もないだろうし、焦って手に入れようとか思わなくて済んでる部分もある。
 ただ、それと、どこまで理性を保っていられるかどうか、というのは、また別問題だ。
 
 ……少しだけ。軽く触れるだけ……。
 
 空いている僕の左手が、彼女の白い頬に触れる。
 そしてその左手は、少し上がって、彼女の額にかかった髪を退ける。
 
 ……もう少し。あと少しだけ……。
 
 僕は、彼女の額にゆっくりと唇を近づけた。
 その時――――。
 
「ん………………………」
 
 僕は、思わず身体を元の位置まで戻した。
 そして彼女は、ゆっくりと瞼を開いた。
 
「えっ……………………なんで………………?」
 
 なんで『僕がベッドの中にいるのか』という問いだ。
 
「………………………………添い寝」
 
 僕は、努めて平静を装って答えた。
 
「今夜は、ちょっと冷えるから……勝手に入ってきちゃったけど。ほら、この寒さで、また僕が風邪引いちゃったりしたら、困るし?」
 
 少しおどけた表情を作ってみせた。
 彼女は、かなり戸惑っている。
 
「でも…………」
「迷惑?」
 
 自分でも、ズルイ質問だと思った。
 ここで、彼女が『迷惑だ』と答えられないように前置きをしてる。
 
 バラエティー番組の中ならともかく、プライベートでの彼女が、僕に再び風邪を引かせるような選択をするような人ではないことくらい、僕はよく理解している。
 
「……………んな……こと…ないけど……」
「じゃぁ、朝までこのままでもいい?」
 
 しばらく考えていた彼女は、やがて、コクンとうなずいた。
 
「具合はどう? まだ……辛い?」
「ん……だいぶ……楽になったと思う」
「………………熱は?」
 
 僕はそう言って、左手をさっき触れた彼女の額に乗せる。
 
「…………下がってる?」
「ん…………よく分からない」
 
 僕は、左手のかわりに、自分の頬を彼女の額に押し当てた。
 
「…………まだ少し熱いかな。喉乾いてない? 何か飲む?」
「………………諒くん」
「ん?」
「……諒くんは……夢でもやさしいんだ……」
 
 彼女は今のこの状況を、夢だと勘違いしてしまったようだ。
 夢……か。
 僕にとっては、その方がむしろ好都合かもしれない。
 
「……そうだね。僕は、いつでもやさしいと思うよ?」
 
 そう言うと、彼女の表情がゆるんだ。
 ホッとしたのか、彼女は再び眠りにつこうとしている。
 彼女の額にそっとキスをして、普段なら絶対に口にしない言葉をつぶやく。
 
「…………好きだよ。……おやすみ」
 
 閉じかかった彼女の瞼が一瞬開いて、そして、再びゆっくりと閉じていった。
 
 
 
 ****
 
 
 
 私が朝(といっても、既に10時近かった)目を覚ましたときには、部屋に諒くんの姿はなかった。
 テーブルの上に、菓子パンとおにぎりと、そしてスポーツドリンクが置いてある。
 多分、諒くんが今朝コンビニで買ってきてくれたものだ。
 
 朝食を作っておいてあるんじゃなくて、コンビニの菓子パンとおにぎり……というあたりは、私がいつ起きても食べられるように、というさりげない諒くんのやさしさだと思う。
 
 ……諒くんのやさしさ、といえば。
 
 私は昨夜、諒くんの夢を見た。
 夢の中でも私は風邪を引いて寝込んでいて、諒くんの着ている服も、昨日実際に着ていたものと同じで、最初は現実かと思ったんだけれど。
 なぜか、私の隣に諒くんがいて、しかも、なんとそれはベッドの中だった。
 
『近い』なんてもんじゃない。
『密着』といっても過言ではないくらい。
 
 夢の中の諒くんは、とてもやさしくて穏やかな表情で、私のおでこに、頬をくっつけたり……キスしたり。
 完全に、私の願望というか、妄想が夢になって出てきたような感じだ。
 
 挙句の果てに、『好きだよ』なんて言ってた。
 
 …………いやいやいやいやいやいやいやいやいや。
 あり得ないでしょ。あの諒くんが。
 
 この3年間、現実では一度として聞いたことのない言葉。
 そして、この3年間、私が諒くんから一番聞きたかった言葉。
 諒くんから、そんな言葉が聞けるなんて、現実であり得るわけがない。
 
 だから、あれは夢だ。
 だって、その証拠に、押入れにしまってあったはずの毛布が、ソファーに無造作に置いてあるもの。
 
 そのとき、偶然にも、諒くんからのメール。
 
『今朝の具合はどうですか。昨夜かなり冷えたので勝手に毛布を拝借しました。今日から映画の撮影に入るので、忙しくなりそうです』
 
 ……やっぱりね。
 私は、諒くんが使った毛布を軽くたたんで、ソファーに置いた。
 
 それにしても。
 今日から映画の撮影、ということは、その間、諒くんが部屋に帰ることも極端に少なくなる、ということで(スタジオとか現場の隅で仮眠をとっちゃうことが多いらしい)。
 
 私も、これから年末年始に向けて特番が増えて、いつもと違うことをやるからそれだけ打ち合わせにも時間もかかるし。
 かなり前倒しで収録することも多いから、クリスマスと年末と年始が一度にやってくるような状態になる。
 
 仕事が忙しい、というのは、とてもありがたいことだけれど。
 諒くんに会う機会が減るのは、やっぱり寂しいな……。
 
 ……なんて、しんみりしている場合じゃない。
 
 今日は、11時から、その年末特番の打ち合わせがあるんだった。
 私は諒くんが買っておいてくれた菓子パンを食べて、急いで身支度を済ませて、仕事へ向かった。
 
 
 
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