『チャオ! ツバキ! 今日もべっぴんさんだねぇ』

『いつもの頼むよ』

『ツバキ! カプチーノ!』


カウンターに押し寄せる常連客の好みを素早く頭の中で確かめる。
温度、濃淡、香り、口あたり。

それから、彼らの様子をちらりと見て、決める。

ちょっと眠そうな顔をしている人には、飛び切り濃く。
ちょっと疲れた顔をしている人には、優しい味。

これから仕事へ行く人もいれば、朝の散歩途中で寄る人もいるから、素早さと丁寧さを両立させなくてはならない。

小さなバールで、他愛のない会話をひと言ふた言交わしながら、様々な注文に応じるいつもの朝。

入れ替わり立ち替わりやってくる人の波が途切れ、ひと息つけるのはたいてい十時を過ぎた頃。

厨房で売り切れてしまったパニーノやスイーツなどの追加分を作っているオーナーのジーノに声をかける。


『ジーノ! ちょっと休憩してくるね』

『どうぞどうぞ~』


ジーノは、わたしの大学時代の親友、瑠璃の旦那様で三児の父だ。

もともとは、ジーノと兼業画家である瑠璃の夫婦二人でバールのアレコレを回していたが、彼女が六歳、三歳、一歳と三人の息子の世話に追われるようになり、わたしが代役を務めている。

当初は、誰かを雇うまでの繋ぎのつもりだったのに、雇った人がすぐに辞めてしまったり、瑠璃の新たな妊娠が発覚したりと、なし崩し的に働き続けて六年が経つ。

初めてこの地を訪れた時、まさかこんなに長居することになるとは思っていなかったし、バールで働くつもりもなかった。

人生、何があるかわからないものだ。


『ツバキ! 今日も美人だね!』


店を出て、路上駐車の車がひしめき合う道路を下り、海へ向かえばすれ違う顔見知りたちが声をかけてくる。


『チャオ、エンリコ!』


カラフルな建物があふれる街並みと陽気な人たち。

この国での暮らしが、わたしのモノクロだった世界に、色を取り戻してくれた。

身体はすっかり地中海気候に慣れ、ズボラをして日焼け止めをたびたび塗り忘れる肌はほんのり小麦色に染まっている。


(いい天気!)


開けた視界には、コバルトブルーの海と淡い水色の空が広がっていた。

さわやかな風がひとつにまとまり切れずにほつれた髪を揺らす。

岸壁に置かれたベンチに座り、深呼吸して潮の香りと太陽のぬくもりをじっくり味わってから、スマホを取り出す。

夜の間に溜まっていたメールをチェックしていると、懐かしい名が目に留まった。

白崎 蒼(しろさき あおい)――大学の後輩だ。

メールは、アニメーション付きで、白い封筒をくわえた白猫が画面の左から走って来て、こちらへ差し出す。

宛名は『雨宮 椿さま』。

タップすれば、ぽんと封筒が開いて、クラッカーが鳴り、紙吹雪が画面を過り……


(え?)


現れたのは、結婚式の招待状だった。

日付は、いまからひと月後の五月。
場所は、自宅。

ガーデンパーティの予定で、ドレスコードはカジュアルスタイルでもOKと書いてある。


(蒼が、結婚……)


落ち着きとか、堅実とか、大人とか、そういった言葉とは無縁の人物の結婚報告に、しばし茫然とした。