侯爵家婚約物語 ~祖国で出会った婚約者と不器用な恋をはじめます~
プロローグ
 それはまさしく青天の霹靂だった。
 学長室に呼び出されたコーディアは、メンデス学長から開口一番に退学を告げられた。

「た、退学ですか……?」

 退学という言葉を聞いた途端に心拍数が上がり、背中から嫌な汗が伝った。ついでに足元がぐらぐらと揺れているように感じて、コーディアは自分が今ちゃんと床に足をついているのかどうか分からなくなる。

「ええ、そうです。あなたの御父上、ヘンリー・マックギニス卿より申し出がありました。あなたを退学させたい、と」
 メンデス学長はゆっくりと付け足した。
「ど……どうして……」

「おめでとうございます。コーディア、あなたの縁談が決まったのですよ。あなたはこの学校をやめて結婚するのです」

 と、そこでメンデス学長はほんの少しだけ目元をゆるめた。
 四十もいくらか過ぎた未亡人である彼女はコーディアが在籍をするアーヴィラ女子寄宿学校の学長だ。後頭部でまとめられた茶色の髪は一片の乱れもない。この暑いムナガルに居ながら胸元まで隠す飾り気のない、ディルディーア大陸風のドレスを身にまとったその姿は生徒たちの間で風紀学長と言われているくらいだ。

 その学長からもたらされたのは。
 突然の退学通告。その理由が。

「結婚……」

 自分のことではないような、ぼうぜんとしたつぶやきがコーディアの口から漏れた。

「ちょっとっ! どういうことよっ! コーディアが結婚ですって」
 コーディアでさえ事態についていけないのに、突然に学長室の扉が大きく開かれた。

「あ、ちょっ……シャーナ!」
「聞き耳立ててたのバレるじゃないっ」
 親友の大きな声に驚いて、慌てて扉の方に振り返ったコーディアが見た物は、目をまんまるに見開いたディークシャーナと、その彼女を慌てて連れ出そうとしている友人たちであった。

「あ、あなたたち……」
 コーディアが目を白黒させていると、背後からぶるぶると震える声がした。
「あ、やば」
「に、逃げるよ」
 友人たちは落とされる雷の予感に頬を引くつかせ、それから風のごとく逃げ去った。

「ま、待ちなさいっ! あなたたち、淑女としての自覚はないのですか。盗み聞きなんて、お行儀の悪い」

 メンデス学長の怒れる声が廊下に響き渡った。



 コーディアの退学と結婚の話は小さな寄宿学校中をあっという間に駆け巡った。
「聞いたわよ、コーディ。あなた結婚するんですって」
 衝撃から立ち直る間もなく訪れた夕食後の団欒の時間、コーディアは寄宿メイトらに取り囲まれた。

 アーヴィラ女子寄宿学校の全校生徒は十二人。下は七歳から上は十八歳までの少女たちのための寄宿学校だ。
 これほどまでに人数が少ないのは、この寄宿学校があるのが南国ジュナーガル帝国内にあるディルディーア人共同租界の中にあるからだ。また、租界の人口構成は男性の方が圧倒的に多い。

「コーディアもついに結婚かあ。いまいくつだっけ」
「十七になるわ」
「ならついに、ってほどでもないか。むしろ遅い方? ラーラも去年学校やめてお嫁に行ったし」
 一人用の椅子に座ったコーディアの背後から話しかけるのは二つ下のミルファナ。
 ラーラというのはコーディアの一つ上の先輩で、去年軍人の元へ嫁いでいった。

「さみしいっ! さみしい。さみしい。さみしい。さみしい!」

 突如手足をばたつかせて大きな声を出し始めたのはディークシャーナだ。
 コーディアと同じ年で同室の親友だ。
 南国ジュナーガルの現地人である彼女はコーディアとは違い、この地方特有の浅黒い肌に黒髪黒目をしている。また、彼女はジュナーガル帝国を形成する藩王国のひとつでもあるカルーガナ藩王国の第一王女でもある。

 対するコーディアは俗に西大陸と呼ばれるディルディーア大陸人らしく白い肌をしている。髪の色は金色でムナガルの海と同じ濃い青色の瞳を持っている。

「シャーナ……。あなたそれでも十七?」
 ミルファナが半眼で突っ込みを入れた。
 ディークシャーナはぶすっと頬を膨らませてご機嫌斜めだ。

「だぁぁぁってさみしいんだもん! コーディアが帰国しちゃうのよ。みんなはいいじゃない、いずれ西大陸に帰国するかもしれないんだから。わたしなんて国から出ることだって難しいんだから!」

 ジュナーガル帝国では女の地位は男のそれよりはるかに低く、女性は基本的に男性に従属するものだとされている。ディークシャーナのような高貴な生まれの女性の場合、結婚前は父に従い、結婚後は生涯夫の屋敷や宮殿から出ることなく過ごす、ということが大げさでもない。
 今ディークシャーナが租界で暮らしているのは彼女の父がリベラル思考の持ち主で、娘にディルデーア大陸風の教育を施したいと考えたからだ。それでも外国への旅行を許すかどうかは別問題だ。

「シャーナ、わたし手紙を書くわ」
「当たり前じゃない。私も書くし。毎日だって書くわよ」
「シャーナ」

 コーディアとディークシャーナは互いに手を取り合い見つめ合う。
 ディークシャーナがこの寄宿舎にやってきた当初こそ喧嘩もしたけれど、今では気の置けない大切な親友だ。
 彼女と別れることを考えるとすでに涙が溢れてきてしまう。

「コーディアのお相手はお貴族さまなんでしょう! しかも侯爵家の跡取り! コーディアが将来の侯爵夫人になるのよ!」
 しんみりした場の空気を破る様に話し始めたのはケイシーだ。彼女はコーディアの一つ下。

 みんなコーディアの縁談に興味津々なのだ。
 なにしろ西大陸は船でゆうに二か月はかかるほど遠い場所にある。
 逆に船で二か月もかけてこなければならないほど、ジュナーガル帝国は本国から遠いのだ。その遠い地にディルディーア大陸の人々は茶や香辛料、宝石などを求めてやってくる。

「わたしたちの仲間が将来の侯爵夫人!」
 きらきらした瞳で天を仰ぐマーガレットをミルファナが「はいはい」と呆れ声でなだめている。

「でも貴族ってお高くとまっているんでしょう。コーディはおとなしいからいじめられないかな。ほら、意地悪な貴族のお嬢様が出てくる話とかあるじゃない」
「あら、コーディだって貴族の血を引いているんだから大丈夫よ」
「でもコーディはぼんやりさんだし」
「わたし、ぼんやりさんではないけれど」
 コーディアは苦笑した。

「あら、あちらの生活について質問があるのであれば、わたくしドロシーが懇切かつ丁寧に答えて差し上げますわ」
 と、ここで赤毛のドロシーが話に加わった。
 十四歳の彼女は去年までディルディーア大陸にあるフラデニア王国で育ったのだ。

「でたよ、ドロシーの故郷自慢が」
 みんな生まれも育ちもムナガル、もしくは幼少時にこちらに連れてこられたため故郷については本で読んだり、人に聞いたりしか知識がないのだ。
 かくいうコーディアも生まれも育ちもムナガルの租界の中。この暑い南国以外世界を知らない。

「なんとでもお言いなさい。コーディ、あなたもあちらのすばらしさにすぐに虜になるわ。ムナガルとは違って、ドレスも本もお菓子もレエスも可愛い小物もなんでもそろうもの! とくに王都ルーヴェの華やかさといったら」
「つか、コーディが帰るのはそのお隣、インデルク王国だしね」
「あーらっ。西大陸の流行の発信地でもあるルーヴェではないなんて、可哀そうだこと!」
「けっきょく自慢じゃん」
 マーガレットがけっとそっぽを向いた。

 女の子が何人も集まると話題はすぐにそれてしまう。ドロシーを中心に言い合いを放っておいてケイシーがコーディアの袖をつんつんと引いた。

「こうして一緒に話せるのもあとわずかなんだよね」
「ケイシー」
「わたしも手紙書くね」

 ケイシーがコーディアにきゅっとしがみつく。ついでにディークシャーナもその二人を覆うように両腕を絡みつける。
 みんな祖国から遠く離れたこの地で、家族とも別れ一緒に勉強し寝食を共にしてきた仲間。

「どのみちわたしも次の九月で最終学年だったんだもの。卒業がちょっとだけ早まただけよ」

 一年早かったけれど、どのみち来年の今頃には寄宿学校から去らねばならなかった。
 だから縁談が決まったと聞かされたとき驚きはしなかった。今の世の中、コーディアの周りの女の子たちは年頃になると縁談が舞い込み、問題が無ければそのまま結婚へという流れになる。

「わたしだけ仲間外れー」
 三人がぎゅっとくっついていると最年少のアドリーヌがぱたぱたと駆け寄ってきた。
 アドリーヌがぷうっと膨れ面をつくった。

「アドリー、いらっしゃい。ご本を読んであげる」
「本当? コーディおねえさま」
「ええ、いいわよ。持ってらっしゃい」

 コーディアが笑顔で応じると小さなアドリーヌはぱたぱたと駆け出し部屋の本棚からお気に入りの一冊を抜き取って戻ってきた。
 コーディアはアドリーヌを膝の上に乗せて、もう何度読んだか分からない絵本の項をめくりだす。

「この光景も見納めか」

 ディークシャーナがそう言えば、ほかのみんなもしんみりと顔を見合わせた。

< 1 / 72 >

この作品をシェア

pagetop