再び訪れる幸せは、あなたの温もりの中にある【優秀作品】
生い立ち
 私の母は、16歳の時に私を産んだ。本当は産みたくなかったのに、叱られるのが怖くて親に相談もできず、祖母が気付いた時には、もう安定期に入っていたらしい。

 そんな母は、私が1歳の時に、私を祖母に預けたまま、いなくなった。それでも、祖母は、私を可愛がってくれたし、幸せな幼少期を過ごしたと思う。あの頃が、私の人生で一番幸せな時だった。

 私の人生ががらりと変わったのは、7歳、小学1年生の時だった。1月、寒い中を学校から帰ると、祖母がキッチンにうずくまるように倒れている。どうしていいか分からない私は、そのまま家を飛び出して、近所の佳奈(かな)ちゃんの家に駆け込んだ。

「佳奈ちゃんのママ!
 おばあちゃんが、おばあちゃんが……」

半ベソで叫ぶ私に、何か異変を感じたおばさんは、すぐにうちに来てくれて、救急車を呼んでくれた。


 だけど……

祖母はそのまま家に帰ることなく、3日後、煙となって空へ昇っていった。


 祖母は、何かあった時には……と、母の連絡先を親友に預けていた。私が知らなかっただけで、祖母は心臓に持病を抱えていたんだそうだ。そうして私は、初めて会う母に引き取られることになった。


 母のアパートに引っ越したものの、母は、たまにしか帰って来なかった。冷蔵庫にある物を食べ尽くした私は、1日1食、学校の給食だけで命を繋ぐ生活が始まった。洗濯をしてくれる人もいない。私は仕方なく、毎日、同じ服を着て学校に行く。お風呂はシャワーで済ませていたが、そのうち、シャンプーやボディソープもなくなり、お湯を掛けるだけの日々が始まった。

 春休み、食べるものがない私は、生まれて初めて、スーパーで万引きをした。お弁当を一つ、ドキドキしながら、レジを通らず、そのまま持ち帰る。7回、万引きをしたが、店員に見咎(みとが)められることはなかった。

 そうして、2年生の1学期が終わり、夏休みになった。私は、食べ物がなくて、毎日、スーパーで万引きしたお弁当を食べていたが、さすがに、15日目に、店員に捕まった。

 私は、そのまま児童相談所へと連れて行かれ、18歳まで児童養護施設で過ごした。


 だから、私は決めている。

一生、結婚はしないし、子供も産まない。

あの母親の血が流れてる限り、私も同じように育児放棄をするかもしれない。虐待するくらいなら、産まない方がいい。

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