氷の貴公子は愛しい彼女を甘く囲い込む
過去の傷
「間宮さん!すみませんでしたっ!」

 テーブルに頭が付かんばかりの勢いで頭を下げて謝罪に入る綾に、目の前に座る間宮は目を眇めて笑う。
 
「綾さん、まずはお腹を一杯にしようか。ここのパスタは美味しいんだよ」
 
 今ふたりが居るのはヒルズのオフィスビルにあるレストランだ。
 あれから、つまらない事に巻き込んでしまった事を謝ろうとした綾に『夕食でも食べながらゆっくり話をしよう』という間宮に誘われるまま訪れたのは、名立たる高級店だけが展開している54階のレストランフロアだった。
 
 自分の場違い感に思いっきり躊躇する綾だったが『イタリアンだからカジュアルだよ』と慣れた様子の彼に連れて来られたのは世界的にも有名で日本にもここにしかないイタリアンの超有名店。ちっともカジュアルではない。
 しかも、通されたのは窓際の個室である。

『仕事の関係で、急に頼んでも取りやすいんだよ』と言っていたが、そういうものなのだろうか。
 綾の服装は白いブラウスに黒いセミタイトスカート、要は仕事着だ。
 それにモスグレーの薄手のカーディガンを羽織ると通勤着に早変わりという正直このフロアにそぐわない服装なので、個室だと人目を気にしないでいいのは正直助かるのだが。
 
 ウェイターに椅子を引かれ、座るなり綾はとにかく謝って事情を話そうとしたのだが、まあ、まず一息つこうという彼は『適当に頼んでいい?』と綾の好き嫌いを聞くと、流れるように注文を済ませてしまう。
(さっきのお詫びに夕食くらいご馳走させてもらおうと思ったけど……)
 いったいお幾ら万円になるんだろうと恐ろしくなったが……一回忘れる事にした。
  
 景色は低層のショッピングモールから見上げる普段のものとは違い、超高層階から夜景を臨むものに変わっている。
 ヒルズ内の建物はもちろん、都内が一望出来、改めてここの立地の良さを実感する。

「なんか、不思議な感じがしますね。いつも見上げてるビルから逆に見下ろしているなんて。あ、でも間宮さんはオフィスビルに勤めているから似たような景色をいつも見ているんですよね」

「そうだね、でも階が違うから少し見え方も変わるかな、綾さんは高所恐怖症では無い?」

「大丈夫です、ここからの景色も気分が良いです」

「飛行機とかも大丈夫なタイプ?」

「修学旅行で沖縄に行ったときにしか乗った事無いですけど、楽しかったのでまた乗りたい位です」

「それなら良かった」

 まあ、なかなか飛行機に乗る事も無いんですけどね、などといつもの昼休みのように他愛の無い会話をしながら食事が進む。
 
 さすが高級店。出てくるものはどれも上品で美味しい。
 中でも彼が注文してくれたポルチーニとクルミのクリームパスタは絶品だった。
 パスタのアルデンテ具合も完璧でホワイトクリームは見た目よりアッサリしているし、ポルチーニと砕いたクルミの歯ごたえが堪らない。
 クルミをパスタに入れるなんて発想無かったわ……と感心しながら食べ進める。
  
 ふと視線を感じパスタから顔を上げると、間宮が微笑ましそうにこちらを見ていた。

「す、すみません美味し過ぎてつい」

 あまりの美味しさに『パスタと私』状態になって、黙りこくって食べてしまっていた。
 
 間宮は全く気を悪くした様子も無く「クルミは好き?」などと聞いてくる。
 確かにこのパスタに入っているクルミはとてもいいアクセントになっている。はいと答えると、満足そうな顔で頷いていた。
  
 お腹も満たされ、赤井に遭遇した衝撃と、緊張も多少ほぐれて来た。
 もしかしたら、彼は敢えて綾が落ち着くように、このような場所を提供してくれたのかも知れない。
 
「……お察しだと思いますが、恥ずかしながら先ほどの彼は、前に付き合っていた人です」

「事情を、聞いても?」
 
 デザートのフルーツとジェラートの盛り合わせを頂き、コーヒーを飲みながら綾は当時の事を話し始めた。
< 16 / 72 >

この作品をシェア

pagetop