バーテンダーは夜を隠す

第二話 希望


 女性は、店に入るなり、カウンターに座った。
 マスターが目を向けるが、女性は気にした様子は見せない。

「マスター。おすすめを頂戴」

 マスターは、女性をちらっとだけ見て、頷いて、ゴールドラムとレモンジュースをシェイカーに注ぎ込み、オレンジキュラソーとアロマティックビターを入れる。シェイクしてグラスに注ぎ込んで、カットオレンジを添えた。

「カサブランカです」

「ありがとう」

 女性は、カサブランカをゆっくりと喉に流し込んで、目を閉じる。

「マスター。同じものをお願い」

「かしこまりました」

 店の中には、マスターがシェイクする音だけが響いている。
 女性は、マスターの手元を見ながら、”甘く切ない思い出”を感じている。

「カサブランカ。甘く切ない思い出」

「そうね。思い出なのよね」

 女性は、マスターが置いたグラスを持ち上げて、一気にカサブランカを煽る。
 一度に飲み干すには、度数が強いカクテルだが、女性は”切ない”思い出を忘れるために、喉を熱くしたかった。

「チェイサーです」

 マスターは、女性の前にチェイサーを置いた。
 女性は、マスターの優しさを感じながら、熱くなった喉を冷やすために、チェイサーを流し込む。

「マスター。あの人・・・。結婚だって・・・。私の前で、笑いながら・・・。私に、結婚式に来てくれだって・・・。笑っちゃうよね。自分が捨てた女を・・・。捨てたことさえも忘れているのよ?」

 マスターは話を聞きながら、ペルノを用意する。

「もう一杯、飲まれますか?」

「お願い」

「かしこまりました」

 シェイカーに、ペルノとオレンジキュラソーとアンゴスチュラ・ビターズを入れてシェイクする。
 クラッシュアイスを入れたタンブラーに、シェイクした液体を注ぎ込む。冷えたソーダで満たして、軽くステアをした。

「キス・ミー・クイックです」

「?」

「幻の恋を飲み干してください」

「そうね。あの人は、幻」

「違います。恋が幻だったのです」

「マスター。私、どうしたら」

「私にはわかりません。でも、せっかく来てくれと言っているのです。幻を確認してみるのもいいと思いますよ?」

「そうね・・・。私は、確かに、あの()に恋をした。でも、幻だったのよね」

「どうでしょう。私にはわかりません。それを決めるのは、あなたではないのでしょうか?」

「ありがとう・・・。彼女の幸せな顔を見てくる。マスター。帰ってきたら、マスターのおすすめを飲ませて!」

「お待ちしております」

 キス・ミー・クイックを飲み干した女性は、店から出ていく。来たときとは違って、前を向いて歩いていけるようになっている。

 マスターは時計を確認する。
 店を閉めるのにはまだ時間が早い。

 マスターのスマホに、一つのメッセージが届いた。

”夜に行く”

 マスターは、メッセージを読んでから、ため息を吐いて、店じまいを始める。
 何時に来るかわからない客を待つためだ。

 バーシオン。
 始発から昼過ぎまで営業する変わったバー。夜の街で働く人たちが、心を癒やすために訪れる店。

 深夜2時。
 バーシオンの扉を叩く音が店内に響く。

 1人の男と、1人の女性が扉を開けて店に入ってくる。

「マスター。僕には、ジンバックを、彼女にはダイキリをお願い」

「ジンバック?」

「ジンリッキーでもいいよ」

 男は、マスターに笑顔を向ける。マスターは、手で合図して二人を座らせる。
 マスターは座った二人の前にコースターを置いた。

 ちらっ女性を見て、ホワイトラムとライムジュースとシュガーシロップを氷が入ったミキサーに注いだ。ミキサーでシャーベット状にしたダイキリを、大きめのシャンパングラスに移して、カットしたライムとミントの葉を添える。太めのストローを挿して、女性の前に出す。

「フローズン・ダイキリです。こちらの方が、気にしないで楽しめると思います」

 男が注文したダイキリでは、ショートグラスを持ち上げて、首筋を見せなければならない。深夜だと言っても、夏が近づいている時期にマフラーをしている女性は珍しい。

「ありがとうございます」

 うつむきながらマスターに謝意を伝えた。

「さすがは、マスター!それで、僕のジンバックは?」

「ライムでいいな?」

「任せるよ」

 ドライ・ジンとレモンジュースを、氷を入れたロンググラスに注いで、ジンジャエールで満たす。軽く見るビルドしてから、ライムを添える。

「ジンバック。辛口で作った」

 男はグラスを持ち上げて、女性の前に置かれたフローズン・ダイキリに軽く合わせる。

「マスター。彼女の希望を探してよ」

 男の言葉で、テーブルの上に重ねられていた手を少しだけ動かした女性は、初めて顔を上げて真っ直ぐにマスターを見る。

「希望?」

「そう、奪われた希望を探し出して欲しい」

「子供・・・。私の子供・・・。希望」

 女性は呻くように呟いて、フローズン・ダイキリを手に持った。

「おい。大丈夫なのか?」

 マスターは、男に確認をする。男は、大丈夫だとポーズで示すだけだ。

「ふぅ・・・。それで?」

「情報は、これ、それから、これは、別口での依頼」

「は?」

「あとで見てよ」

「わかった」

「僕は、彼女を送っていくよ。表に、足が来ているはずだから・・・」

「わかった」

 男と女性がドアから出ていくのをマスターは見送った。
 階段を上がる足音が店まで聞こえてきてからマスターは、渡された資料の紐をほどいた。

 10分ほど経って、裏口から男が店に入ってきた。

「マスター。何か飲ませて」

 マスターは、カラント・ウォッカとオレンジジュースを氷が入ったグラスにそそぎ、ビルドを行う。液体が混ざりあったのを確認して、グレナデン・シロップを鎮める。

「カラント・サンライズ」

「希望。誰にとっての希望なのだろうね」

「・・・」

「マスター。資料を読んでくれた?読んでくれたから、これなのでしょう?」

 男は、グラスを持ち上げる。

 マスターは、資料を2つに分ける。

「返したのに、奪うのか?」

 資料には、女性の事情が書かれている。女性に子供を帰すのは、それほど難しくはない。旦那の所にいる子供は、虐待されている可能性が書かれている。そのために、児相のフリをして忍び込めばいいと資料には書かれている。
 しかし、女性に子供を返した後で、女性から子供を奪い返す必要がある。これが二つ目の依頼だ。旦那の所ではなく、女性の両親の元に届けるのだ。

 女性に”子供を託せない”というのが両親の考えだ。
 ”託せない”。この言葉を、両親が口にした。マスターは、女性にも両親にも子供を渡すのを躊躇ってしまっていた。

「マスター?」

「・・・」

「彼女には、希望が必要だけど、両親にも希望は必要だよ?」

「両親の希望?」

「そう、”娘と孫と一緒に暮らす”と、いう希望くらいは持っていいいと思わない?」

「そうか・・・」

 マスターは、文章を眺めながら、男の話を吟味する。

「わかった。サポートを頼む」

「了解。話は通しておくね」

 マスターは、カウンターに3つのグラスを置いた。
 カラント・サンライズを作って、3つに分ける。

「・・・」

 中央のグラスを残して、マスターと男はグラスを持ち上げる。

「希望を」

「誰にとっての希望なのか・・・」

 二人は、各々の気持ちを口にしてから、カラント・サンライズを喉に流し込む。




 マスターは、男が運転する小型車で、冬には雪が降り積もる場所に来ている。
 新幹線が開通したばかりの都市は、これからの発展を期待する雰囲気がある。

 マスターは、車から降りて、車により掛かるようにして、新幹線の改札を見つめている。マスターから、50メートルくらい離れた改札の前では、小学校に上がる前くらいの男の子が、老夫妻に手を握られて、改札を見つめている。

 東京発の新幹線がホームに滑り込んできた。子供は、真剣な表情で改札から出てくる人を見つめている。
 15分くらいして改札から出てくる人も少なくなっていた。子供は目的にしていた人物を見つけたのだろう。老夫婦の手を振り切って、1人の女性に駆け寄る。

 女性は、新幹線を降りてから不安で押しつぶされそうだった。ホームのベンチで、不安な気持ちが消えるのを待っていた。しかし、時間が立て不安は消えるどころか増大した。女性は、階段を降りて、改札に向かう。顔が上げられなかった。怖い。何もかも失う可能性を考えるだけで震えてきた。

 改札を出て、足に抱きついてきた男の子を見て、手荷物を床に落としてしまった。
 両手で男の子を抱きしめて、流れ出る涙を止めることができないでいた。老婦人は、にこやかな笑顔で女性と子供に近づいて、床に落としてしまった荷物を持ち上げて、女性を立たせた。

 マスターは、女性が立ったのを見つめてから、助手席に戻った。
 男は、マスターの顔を見つめる。

「これから、大変だろうな」

「そうだな。でも、もう大丈夫だろう」

「そうだね。もう、夜に怯えないでくれるだろうね」

「あぁ」

 マスターは、目をつぶって、助手席を倒した。
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