恋愛タイムカプセル
 最終的に、私は二十分強待った。彼を待っていたおかげで待たせられたという感覚はなかったが、やってきた彼は《《待たせた》》ような顔をしていた。

「ごめん。行こうか」

 彼が歩き出したので私もついて行く。図書館の敷地を出て、そのまま隣にある公園に入った。公園といっても草も茫々(ぼうぼう)で手入れもされていないような公園だ。多分、この地区の自治会が管理しているものだろう。

「今日は見に来てくれてありがとう」

 彼は改めてお礼を言った。私は「さっきも聞いたよ」と返した。

「鈴野さんは大学生のバイトなんだ。保母さんを目指してて、ああいうことも手伝ってくれてる」

 そんな情報いらないのに、と私は心の中で悪態をついた。

 彼女の情報なんて全然知りたくなかった。興味もない。どうして彼はそんないらないことを私に教えるのだろう。

 好きな人の前で嫌な態度なんて取らない方がいいのにコントロールが効かない。彼女がなぎさちゃんに似てる、なんて思うから余計にだ。

「フレンドリーだから人との距離感がわりと近いけど、悪い子じゃないから」

「別に、気にしてないよ」

 私はだからなに? と言おうとする唇を精一杯閉じた。

 涙がじわりと滲んで溢れ出しそうになる。泣きたくないのに止まらない。彼がまるで鈴野さんを庇っているみたいに見えてしまう。

 私にわざわざそんなこと言うなんて、私が怒ってるとでも思ったのだろうか。私ってそんなに嫌な女に見えてるの?

 嫌われたくないのに嫌なことばかり考えてしまう。

 彼はしばらく黙った。大して奇麗とも呼べない景色の中をぐるぐると歩きながら、何か考えているようだった。

 私は自己嫌悪で相変わらず喋ることが出来ない。彼が次の言葉を発するまでずっと黙っていた。

「篠塚さんはあの時、なんで俺に連絡してくれたの?」

「え?」

「突然連絡来たから、ずっとなんでかなって思ってた」

 春樹くんはいつになく真剣な瞳で私を見つめた。どくどくと脈打ち始めた心臓は警鐘のように私に語りかけた。

 ────なんで今更そんなこと聞くの?

 ────まさか私の気持ちがバレてるの?

 彼がそれを尋ねたことはなかった。思えば、今までなぜ聞かなかったのか。

 ただ私は飲み会の罰ゲームがきっかけで彼に連絡を入れた。昔好きだった人に連絡するという罰ゲームだったから、春樹くんに連絡した。それだけだ。

 けれど尋ねられても答えられない言葉だったから、今までは逆に聞かないで欲しいと思っていたし、それに安心していた。

 それを、なぜ、今。

 そんな間柄なら「たまたま懐かしくなっちゃってサ」とか言って笑って誤魔化すのだが、彼はそれが通用しない人だ。少なくとも、この質問においては駄目だ。

 私が黙りこくっていると、彼は言葉を続けた。

「篠塚さんにとってはすごく嫌な思い出かもしれないけど……俺に告白したこと、忘れてないよね」

 その言葉で体温が一気に上昇した。私は顔がかあっと熱くなるのを感じた。

 やっぱり覚えてる。彼は忘れていない。それはそうだ。小学生の時のことを細かく覚えているのだから、高校生のことなんて覚えていて当然だ。

「君から連絡をもらった時、すごく驚いた。それにすごく嬉しかったんだ。高校の最後の方はほとんど話せなかったし、篠塚さんも俺を避けてたみたいだったから」

「────ごめんなさい」

 私は堪えきれずに涙を流した。一つ、また一つと滴が地面に落ちる。彼はようやくやっと、足を止めた。

 せっかく《《友達》》に戻れたのに、また《《面倒な女》》になってしまう。彼と一緒にいるには宝物だった過去の思い出が邪魔になる。

 そう思っていたけれど、彼はそうではなかったのだろうか。私はあの時のように彼と話しても良かったのだろうか。

 私にとって、あの思い出は辛いものだった。好きでいることを無理やり諦めた。そして彼を傷付けた。それがどれだけ心の足枷になっていたことか────。

「……春樹くんはどうして、私に返事をくれたの……?」

「篠塚さんのことがずっと気になってたから」

 また、私の息が止まる。この空間に、彼の声以外の他のなにものも入れたくなかった。外界をシャットアウトした私の耳に、再び彼の声が聞こえた。

「俺、本当は優しくないよ。王子様なんて言われてたけど、そんなにいい人じゃない。奉りあげられるのが鬱陶しいってずっと思ってた。けど、篠塚さんはこういう俺でも受け入れてくれた。いい人は俺じゃない。君の方だよ」

「そんなこと、ない。私は卑怯だし、臆病なくせにどっちつかずで、逃げてばかりで……春樹くんにだって、たくさん嫌な思いさせたでしょう」

「過去のことなんてもういいよ」

「私だってみんなと同じだよ。あなたを王子様扱いしてた。優しい春樹くんのことが────好きだった」

 言ってしまった。ついに、言ってしまった。本当は言うつもりなんてなかったのに。
 都合のいいことばかり考えて、また彼の気持ちを勘違いしてしまったらどうするの、と内心慌てている。今更どうにもならないのに。

「俺は優しくないよ」

「そんなことないよ」

「俺は、君だけにしか優しくない」

 時々彼は私が驚くようなことを言ってみせる。私の価値観を覆すようなこと。勘違いを心地よく否定して、すっかり彼色に染めてしまう。小学生の時から、度々そういうことをした。

 だから私は、彼のように過去のことがどうでもいいなんて思えない。私にとっては辛くても、それを全て含めて彼のことが好きだからだ。

「もう、君だけにしか優しくしないって決めたんだ。だから俺はもう王子様にはなれないし、呼ばれないと思う」

「……嘘」

「嘘じゃないよ」

 彼の(てのひら)が私の手の先っぽをそっと握る。少し冷たかった。そして、すごく乾燥していた。多分、本ばかり触るからだろう。

 私は彼の手の《《しわ》》を感じながら不安げに揺れている彼の瞳を見つめる。

 彼の瞳は狐みたいに細い目をしている。でもツンと尖っていなくて、穏やかで優しい瞳だ。私は彼が笑う時、その目尻が垂れて、ますます細くなるのが好きだった。今もそう思う。

「春樹くん」

「なに」

「もう一回、好きになってもいい?」

 彼の腕が私の背中に回る。そうしてこの体は昔身長百六十七センチぐらいだった彼の中にすっぽり収まった。

 彼の服装も髪型も、相変わらずダサいままだったけれど、「いいよ」の一言を聞いてそんなことなどどうでも良くなった。
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