札幌市内で行われていたシンポジウムの昼休憩を利用して、
彩夏は区役所まで走った。
離婚届の書類を準備しておこうと思ったのだ。

 ついこの前までは、結婚している事など忘れていたと言ってもいい。
18歳の時に書類にサインはしたが、具体的には生活自体何も変わらなかった。
祖父母が健在の間は賑やかに牧場で暮らしていたし、支配人の久保田夫妻や
スタッフたちとの関係も良好だった。
 大学には大勢の友人や先輩がいたし、動物に関わっていくうち
長谷川綾音のような魅力的な知人も増えた。
彩夏の世界は樹がいなくても充実していたのだ。
ただ、祖父母を亡くして血縁者がいなくなったことを除けば…

 祖父の順三は、経済的支援より、実際はこの点だけを心配して
親友の高畑雄一郎に(さやか)を託したのだと今なら判る。
孤独な人生より家庭を持つことを願ったのだろう。
しかも、牧場にとって高畑家と縁戚になるのは心強い。
すべて、祖父の希望通りに行くはずだった。

樹が彩夏との関係を無視しなければ…
その事に、彩夏も意地を張って同調しなければ…
何か違う関係が築けたかも知れない。

だが、今となっては遅すぎると彩夏は思った。