心の刃 -忠臣蔵異聞-
第12章 一念通天
          一

 江戸に到着した内蔵助は、安兵衛と奥田孫太夫ら急進派たちと芝三田松本町の前川(まえかわ)忠太夫(ちゅうだゆう)宅で会談する。
 前川忠太夫は、浅野家出入りの口入れ屋であり人足の斡旋を生業としていた。この情報は当然のことながら、江戸の口入れ屋の元締めである長兵衛のところに入っていた。多都馬は安兵衛に気付かれぬよう、この会議の様子を長兵衛たちに監視させた。
 内蔵助はこの会議の中で、仇討の早期決行を促す安兵衛に長矩の弟/長広を藩主として、お家再興を第一に考えていると伝える。
 長広のお家再興の沙汰が下されるまで、仇討は思い留まるように説得をする。内蔵助の考えに安兵衛たち急進派は猛反発している。安兵衛等が長広のお家再興の沙汰が下されぬ時は、いかがかと内蔵助に詰め寄る。 
 内蔵助は長広のお家再興を待って、その後義央への仇討を決行すると一同に話す。そして漸く仇討決行日は、三月十四日と決まった。この江戸での会議は、お家再興を第一に考える穏健派と仇討ちを遂行せんとする急進派で意見が二つに分かれたことを再確認する会議となった。
 会議を終えた内蔵助は山科へ戻るため、瀬尾孫左衛門と潮田又之丞、近松勘六を連れ街道を歩いていた。
 内蔵助が前川忠太夫宅を出たと連絡を受けた多都馬は、街道を先回りして内蔵助たちが来るのを待った。
 やがて供を三人引き連れた内蔵助が現れ、多都馬は行く手を塞ぐように道に躍り出る。
 突然現れた多都馬を警戒して又之丞が内蔵助の前に立つ。
「何者だ!」
「又之丞。よい、知り合いだ。」
 内蔵助が又之丞の肩を掴んで落ち着かせる。
「先日は、名も名乗らず失礼いたしました。」
「いや、それはお互い様。」
 内蔵助の温和な表情は、いつも変わらない。
「拙者、日本橋で調達屋を営んでおります。黛多都馬と申します。」
「元赤穂藩士、大石内蔵助です。」
 多都馬は内蔵助が素性を知られていながらも名乗る太々しさに笑みを浮かべる。
「大石殿。供周りが三人と陰働き一人というのは、いささか無警戒が過ぎるのではありませんか。」
「陰働き?」
 多都馬は大木の陰に隠れているもう一人の存在を、目配せで内蔵助に伝えた。
「大石殿の行動は、日本国中の民衆が注目しておるのです。」
「そうなのですか・・・。」
 内蔵助が笑みを浮かべながら答える。
「その中には、大石殿を邪魔だと思うておる連中もおりますれば・・・油断なきよう。」
 内蔵助は多都馬の忠告に頭を下げる。
「数右衛門、もうよい。出て参れ。この方は敵ではない。」
 内蔵助がそう言うと木々の陰から不破数右衛門が現れる。
「黛殿。この者は不破(ふわ)数右衛門(かずえもん)と申しまして、元は赤穂の禄食んでおりましたが、今は訳あって赤穂の禄から離れておる者。なれど此度は、某の警護などを陰日向にとしてくれましてな・・・。いやいや、某如きが何様あってこのような。」
 内蔵助は、恥ずかしそうに頭を掻いた。
― 裏向きの警護か。―
「大石殿。道中くれぐれもお気をつけて・・・。予期せぬ手練れが現れる場合もございます。」
「ご心配かたじけない。しかし、黛殿ほどの手練れはそうはおらぬ。問題はござらん。」
 忠義から内蔵助暗殺の命も受けていた事を悟り敢えて言ったのかと、その言葉に多都馬は自分の心を見透かされ少し動揺してしまった。
 内蔵助は、多都馬に一礼して山科へと続く街道を歩いて行った。
― 大石内蔵助、やはりなかなかの男だ。―
 多都馬は内蔵助の一行が見えなくなるまで見送っていた。

                 二

 仇討決行日が決まった最中も、江戸在住の赤穂浪士たちは吉良家の動向を探っていた。浪士/岡野(おかの)金右衛門(きんえもん)は、前原(まえばら)伊助(いすけ)が身をやつす米屋の手代に扮し吉良家を監視していた。その金右衛門のところへ足しげく通う大工の娘/お(つや)がいた。二人は、いつの間にか互いを想い合う仲になっていた。
「お艶ちゃん、今日はどのくらい必要なんだい?」
 前原伊助は、米屋(こめや)五兵衛(ごへえ)と名を変えていた。
「お父っつぁんの大工仲間がたくさんがいるから、後で家に届けて欲しいの。」
「わかりやした。後で伺うよ。」
 伊助=五兵衛がお艶に返事をする。
「お艶ちゃんは、九十郎さんに届けてもらいたいのだろ?」
 小豆屋(あずきや)善兵衛(ぜんべえ)と名を変えている神埼(かんざき)与五郎(よごろう)がお艶を冷やかしている。
「もぅ~。善兵衛さんなんて知らない!」
 そこへ米俵を担いで九十郎(くじゅうろう)と名を変えている岡野金右衛門が入って来る。
「九十郎さん!」
 お艶は金右衛門を見つけるなり側に寄って行く。
「お艶ちゃん!」
 お艶を見つめる金右衛門の眼が一段と輝く。
「明日からお父っつぁんの大きな仕事が始まるの。おにぎりをたくさん作らなきゃいけないから、後で家に届けて欲しいの。」
「お艶ちゃん、アッシじゃ駄目かい?」
 与五郎がお艶をからかう。
「善兵衛さんは、小豆屋の商売があるでしょ。」
 お艶は愛らしい顔で与五郎に舌を出した。
 金右衛門は、与五郎とお艶のやり取りを見て笑みを浮かべる。
「この仕事が終わったら届けるよ。そうしたら、一緒に行こう。」
「わーっ、ありがとう!」
 伊助ははしゃぐ二人を尻目に、金右衛門の様子を案じていた。仇討の盟約を結んだものの脱盟した者が後を絶たないからである。

          三

 山科での内蔵助の動向は長兵衛の配下の者たちに任せ、多都馬は刃傷事件の背後に絡む陰謀を探り始める。
 刃傷事件まで義央と長矩は、対面する機会は少なく両家老が情報のやり取りを行っていたはずであった。義央は幕府御用で京都朝廷へ出向いていたし、代わりとなり役向きの所作指導を奥高家/畠山(はたけやま)義寧(よしやす)に任せていたと言っている。
 多都馬は長兵衛と二人、口入れ屋の離れで思案を巡らせていた。
「山科での大石様の動向にお変りはありません。ま、遊廓通いは相変わらずで・・・。」
「不思議な男だ。」
 長兵衛の報告に多都馬が苦笑いする。
「しかし、御本家様の命に背かれても大丈夫なのですか?」
「命に背くとはなんだ。」
「そもそも御本家様が多都馬様に依頼したのは、大石様の監視と後は・・・。」
 長兵衛は暗殺の言葉を口にしなかった。
「大石という男が、広島藩の存続や安兵衛たちに害を及ぼすと確信すれば、斬ることも止むを得んが・・・。まだ何も此度の事、分かってはおらん。」
「刃傷事件のことをお調べになるおつもりで・・・。」
「腑に落ちぬこともいくつかあるのでな。」
「するってえと多都馬様は、浅野様はご乱心ではないとお考えで?」
「いや、安兵衛が言っていたが。痞えが発症し精神的に追い込まれていたのは確かだ。以前、その状態を見たことがある。乱心といえば乱心だ。」
「では、何か仕組まれたものだとお考えで?」 
「探ってみなければ分からんがな。」
「手始めにどっから探って参りますか?」
 多都馬は、暫く考えて一言呟く。
「高家/畠山(はたけやま)下総守(しもつけのかみ)義寧(よしやす)。」
「畠山様・・・。」
「この男が吉良様の指示を浅野家に伝える役目をしている。」
「では、畠山様が何か刃傷事件に一枚噛んでおられると?」
「うむ。」
「では、配下の者を畠山様のお屋敷に忍びこませ・・・。」
「いや、ワシが直接参る。」
「また、そんな無茶なことを仰って・・・。正直に話すとは思えませんよ・・・。」
「任せておけ。」
 多都馬の不敵な笑いは、これで二度目だと不安にかられる長兵衛だった。

          四         

 多都馬は木挽町築地にある義寧の屋敷内に潜入した。
 当時の大名屋敷は、男性が住んでいる表側と女性が住んでいる奥側が区別されていた。また敷地面積が非常に広く閑散として警備が手薄であったのだ。この赤穂事件の約百二十年後、(ねずみ)小僧(こぞう)が各武家屋敷合計九十九箇所に忍び込んでいる。武家屋敷内をよく知る多都馬は、容易(たやす)く忍び込むことが出来た。
 寝静まった夜、多都馬は寝所で義寧が来るのを待っていた。
 部屋の前で気配を感じた義寧が立ち止まる。
「誰じゃ?気配を消さぬ賊など初めてじゃ。」
 部屋の中から義寧に返事はない。
「吉保様の使いの者か?」
 寝所内の多都馬は答えなかった。
「私を斬りに参ったのか?」
 覚悟を決めた言葉だった。
「・・・お入り下さいませ。」
 多都馬の声が中から聞こえる。
 義寧は、障子戸を開け室内に入った。月明かりに照らされ、部屋の暗がりにいる多都馬の姿が映し出される。
「夜分にこのように参上仕り・・・。」
 義寧は手を上げて多都馬の口上を制する。
「心にもない事は申さずともよい。そちは何者じゃ?」
 多都馬は、一呼吸して答える。
「何者か気になりますか?」
 多都馬の凄みのある声に義寧は戦慄する。
「い、いや。よい。」
「ご安心ください、柳沢の手の者ではありませぬ。」
 多都馬は、そのまま座り込む。
「畠山様、お座りくださいませ。」
 義寧は周囲を警戒しながら、多都馬の言うとおりに座り込む。
「畠山様。此度の刃傷事件。長矩様の乱心故、起こされたものとされておりますが。ここに至るまでの経緯を改めて考えてみますと、腑に落ちぬ点がいくつかござりまする。特に畠山様については・・・。」
 義寧は観念したかのように目を閉じて話を聞いている。
「どのような仔細があってこのような・・・。」
 長い沈黙と張り詰めた空気が、夜のしじまに溶け込んでいた。
 義寧は観念したように、多都馬に語り出した。両者の確執を煽るように、指示に手心を加え伝えていたと説明する。
「ワシが上様の小姓としてお使いしていた頃、生類憐みの令が制定された。」
「天下の悪法でござる。」
「いや、上様を擁護するわけではないが、生類憐みの令の理は決して悪法ではない。ただ、それを遵守するのが極端だったのだ。」
「悪法は悪法でござる。」
 多都馬の頑なな主張に、義寧も思い直し頷く。
「・・・そう思い、上様をお諌め申した。小姓の身でありながら弁えず愚かであったと思う。」
「愚かではありませんよ。御立派であったと存じます。」
「しかし、それでワシは上様から拝謁禁止を言い渡されておるのだ。次に許されるまで十年もかかってしまった。それまで、家臣たちにはいろいろと苦労をかけてしもうた。」
「・・・まさか、その一件を柳沢に?」
「相手の弱みを握るというのは、兵法の極意のひとつではないか。」
「卑劣な・・・。」
「吉良様からの指示が下されれば、それとは違うことをお伝えいたし。また、浅野様からお伺いを立てられれば従来とは違う指導をお伝えいたした。」
 義寧は浅野家への指導は従来とは違ったもので行うように、取り計らっていたことを告白したのだった。これにより浅野内匠頭長矩は痞えの病が発症し凶行に走ってしまったのだ。
「御家の為とはいえ、陰謀に加担したのは事実じゃ。」
 義寧は多都馬の手にかかることを覚悟していた。
「分かり申した。」
 多都馬は、義寧に背を向け出て行こうとする。
「待て、斬らぬのか?」
「あなた様を斬ったところで死んだ者が戻るわけでもありませんよ。」
 多都馬は闇に紛れて義寧の屋敷を出て行った。

          五

 義寧の屋敷を後にした多都馬は、先刻より感じていた何者かの気配を背後に捉える。
「おい、いつまでそんなことをしている。」
 そう言い放つ多都馬に、背後から刺客が襲い掛かってくる。降りかかる刃を撥ね退け刺客を捕らえる。腕から伝わる体の感触が男ではなかった。
「何だ、女子(おなご)か。」
 多都馬の腕の中で美郷は必死に抵抗する。
「兵衛の配下か?」
 美郷は尋ねる多都馬に顔を背ける。
「わかりやすい女子だ。」
 身のこなしといい、よく鍛練されているが殺気というものが足りず踏み込みに鋭さがない。
「何故、大石に味方をする。」
 美郷は多都馬を睨みながら言う。
「大石の味方などしておらん、ただ安兵衛は友でな。ま、安兵衛の味方ではある。」
 美郷は逃れようと必死にもがく。
「これ、暴れるでない。」
 多都馬が押さえ込んでも諦めずに四肢をばたつかせる。
「厳密に言えばな・・・まだ、浪士たちにも吉良にも味方はしておらん。」
「ならば、先日はどうして?」
「何だ?お前あの時、見ておったのか。」
「大石を守っていたではないか!」
 言葉を聞き流した多都馬は、美郷の顔をマジマジと覗き込んだ。
「ほう~っ。お主、なかなか器量良しではないか。」
「離せ!」
 多都馬は組んでいた腕を解いた。開放された美郷が小太刀を構える。
「こら、騒ぐでない。そろそろ人が来るぞ。」
 多都馬が美郷に向けて静かにするよう口に手を当てる
 自由になった美郷だが、隙のない多都馬の身のこなしに逃げることが出来なかった。観念した美郷は悔しそうにうなだれる。
「斬れ!」
 強情な美郷の様子に、多都馬は呆れている。
「殺気のないものは、斬れぬなぁ。それに、これほどの器量良し・・・斬るなどもったいないわ。」
 まるで童をあやすように、美郷の額を小突いた。
「斬れ!」
 美郷は小突かれた額をこすりながら叫んだ。
「そうか・・・。お主、兵衛に惚れておるな?」
「ば・・・馬鹿な!」
 多都馬に言われて美郷の体が火照りだした。
「まぁ、よい。行け!」
 多都馬はそう言って、美郷を追い払うように手を振る。
「兵衛様の邪魔をする奴は私が許さない。」
 美郷は、多都馬にそう言い放ち去って行った。多都馬は、夜空に浮かぶ月を見ながらそのまま歩いて行った。
 解放された美郷は暗がりから多都馬の様子をじっと見つめていた。多都馬の姿が見えなくなるまで美郷は目で追っていた。
―なんという奴だ・・・。堀部安兵衛と懇意にしながら、吉良様の情報は一切伝えておらぬ様子。兵衛様は敵視しておられるが・・・。―
 考え込む美郷は、ふと水が張られた桶を見る。水面に月明かりに照らされた自身の顔が映しだされる。美郷は暫く水面に映った自身の顔を眺めていた。

          六

 そんな折、内蔵助たちの下へ新たな知らせが舞い込む。怨敵/吉良義央が養子の義周に家督を譲り隠居をするというのだ。これで義央は、幕府から永遠に罪に問われることがなくなった。しかし、隠居ということで幕府のお役目もなくなった。江戸城への登城も必要ないのである。つまり正式に幕府の庇護がなくなったのである。
 一学の取りなし以来、多都馬は義央との目通りが容易に出来るようになっていた。本所の吉良屋敷を訪ねた多都馬は、畠山義寧調査の報告と義央隠居の真意を問い質しに来ていた。
 義寧が陰謀に加担していたことを聞き、義央は激しく動揺していた。一学は目に涙を浮かべ、義央の側で体を震わせて悔しがっている。
「畠山様も已むに已まれぬ御事情があったようでございます。」
「・・・そうか。」
「はい。」
 押し黙る多都馬と義央の横で、一学が立ち上がり部屋を出て行こうとする。
「どこへ参る。」
 義央が一学の背中に話しかけるが、肩を震わせたまま言葉を発しない。
「義寧を斬るというのか。」
 一学は返事をする代わりに、血涙が滴り落ちそうな顔を向けた。
「無駄な血を流すでない。必要なら多都馬が斬っておったわ。」
「恐れ入ります。」
 多都馬が義央に頭を下げる。
 一学は無念さを堪えながら座った。
「吉良様・・・。」
「ん。」
「何故、公儀へ隠居願いを・・・。」
 義央は多都馬の問いに即座に答えず、黙したまま目を閉じていた。
「本所への屋敷替えの一件から考えまするに、公儀は吉良様を見捨てなさる所存かと・・・。」
 黙したまま聞いている義央に、多都馬は声を強めて言い重ねた。
「自ら討たれることを望んでいるようでございます。」
 そのような真意でいたのかと一学が驚いて義央を見る。
「そうかの・・・。」
 義央は、多都馬の問いかけに細い声で答えた。
「隠居などすれば、公儀からの正式な庇護は受けられませぬ。」
 側に控えている一学も悲痛な表情を浮かべている。
「何故です。」
 多都馬が、さらに義央に問いかける。
「此度のこと、振り返れば腑に落ちぬことがあるにはあったのだ。」
「しかし、それをあの頃に気付けとは・・・。」
 多都馬が言い終えぬうちに義央は言葉を続けた。
「慢心していたのだ。多都馬。」
 多都馬は黙したまま、義央を見つめている。
「役儀上、皆低頭して教えを請うてくる。高家肝煎などと持てはやされ、我を見失っておったのかも知れん。」
 義央の言葉は重く多都馬の心に響いた。
「それは違いまする!」
 一学が堪らず口を挟む。
「まぁ、聞け一学。」
 義央は一学を宥めるように言う。
「ワシはの、上様の腰巾着ごとき輩の策略に(はま)った己が口惜しいのだ。結果あたら罪のない者たちを巻き込んでしまった。その責は負わねばならんと思うておる。」
 義央は、死んでいった長矩の無念さを思いめぐらすかのように呟いた。
「筆頭家老の大石という者が頭目よな?」
「いかにも。」
「会うたことはあるか?」
「はい。」
「どんな人物じゃ。」
「はい、昼行燈と呼ばれておりまする。」
「何と。」
 義央は驚き落胆している。
 多都馬は、義央に希望を持たせ付け加える。
「しかし・・・。用意周到で肝っ玉の据わった、なかなかの男ではございました。」
 義央は、暫く黙ると厳しい顔を多都馬に向ける。
「多都馬、わしの願いを聞いてはもらえぬか?」
 義央の覚悟を多都馬は感じる。
「大石の手助けをしてほしい。」
 多都馬は暫く考え込んでいた。
「これからは、ワシの動向を逐一赤穂の者たちへ流すのじゃ。」
 義央の思わぬ言葉に一学が声高に叫んだ。
「殿、何という事を!」
「これも何かの縁。存分に利用するがよい。」
 義央の言葉にどう返答するのか、一学は悲痛な表情で多都馬を見つめる。
 多都馬は義央を見据えたまま答える。
「吉良様。確かに拙者は赤穂の者たちに助力をしております。しかし、彼等は拙者がこうして吉良様へ拝謁していることも知っております。」
「そうなのか。」
 義央は、これまで多都馬が自分の情報を赤穂の者たちへ流していると思っていた。しかし、多都馬はそれをしていなかったのだ。
「助力はしておりますが、所詮拙者は赤穂の者ではござりませぬ。そして、彼等が吉良様の情報を拙者から聞かぬということは、板挟みに遭わせぬための心遣い。」
「そうであったか。苦労をかける。」
 義央は浅はかだった自分を恥じて頭を下げた。
「ですが・・・。彼等に降り掛かる火の粉は、出来る限り拙者が払いまする。それでよろしければ吉良様の願い承ります。」
「頼む。」
 一言呟いた義央の顔は、憂いを帯びて寂しげだった。
 義央の願いを聞き入れた多都馬は静かに部屋を出て行った。
 門の外まで見送りに来た一学が、去ってゆく多都馬の背中に自らの意思を伝えた。
「多都馬様。拙者、殿をお守りするため存分のお手向いいたしまする。」
 多都馬が振り返った時、一学の姿は屋敷の中に消えていた。

          七

 多都馬は、長兵衛の家に立ち寄り山科での内蔵助の様子を聞いていた。
「ご心配には及びません。大石様の周囲には万全の警護がなされているようで、軍勢でも差し向けぬ限り襲うのは無理でございます。」
「上方の浪士たちにも、剣術に長けている者がいるということだな。」
「はい。潮田又之丞様は槍、近松(ちかまつ)勘六(かんろく)様は山鹿流兵学に長けている軍略家。それに大石様ご自身は東軍一刀流の遣い手でございましょう。間違っても刺客などに討たれる隙は与えないと思いますが。」
「不破という男はどうだ。」
「大石様の側をつかず離れずという感じで、一定の距離を保ちながらお守りしているようでございます。」
「襲う側からすると、一番厄介だな。」
 長兵衛が多都馬の言葉に頷く。
「しかし、赤穂の方々は、お強い方が多ございますなぁ。」
「不破という男は、安兵衛や孫太夫殿と同等の腕を持っていそうだ。大石の周囲にまだあのような男が居ったとはの。」
「私共の調べでは、死後間もない遺体を墓から暴いて試し斬りをしたとか・・・。」
「墓を・・・。」
「はい。それが長矩様の勘気を被った理由であると聞いております。」
「あの狂気にも似た殺気は人を斬った事があるものにしか出せぬ。やはり、そうであったか。」
「しかし、ちょっと気味が悪いですね。墓を暴くなんざ。」
「剣術を学ぶと、まず己の実力が知りたくなる。ある程度その実力が分かると日々の鍛錬の成果を、人を斬って試したくなるものだと聞いた事がある。」
「冗談じゃありませんよ。」
「そこは己の理性で抑えておるはずなのだが・・・。」
 理解出来ない人間の性に思わず苦笑してしまう多都馬だった。
 店先が突然騒がしくなり、おみよの甲高い声が聞こえて来る。
「あの声は、三吉か?」
「そのようで・・・。」
「旦那!」
 三吉が息を切らし、襖を開けて飛び込んで来る。
「騒がしいな、何でぇい。」
「あ、すいやせん!実は、一刻も早くお伝えしなくてはと思いやして。」
「どうした?」
 三吉の慌てぶりから嫌な予感が漂ってくる。 
「仲違いですよ。赤穂の浪士たちの!」
「何だと!」
「仲違いしているお人は誰と誰でぃ。」
「堀部様と高田様でございます。もう今にも斬り合いが始まりそうで・・・。」
「馬鹿野郎!それじゃ、仲違いなんて悠長な事を言ってられねぇじゃねーか。」
「わかった、行こう!場所は?」
 多都馬は、三吉と共に長兵衛の店を出て行った。
― 全く世話の焼ける連中だ。―

          八

 三吉に案内され多都馬は、安兵衛宅に駆け付けた。
 そこには家の外から中を窺うように、キチが不安そうに立っている。
「あ、多都馬様!」
「安兵衛は中か?」
「はい。」
「キチ殿は、三吉とここで奉行所の役人がこないか見張っていてもらいたい。」
「わかりました!」
 多都馬は、怒号が漏れ聞こえてくる室内へ入って行った。
「裏切ってはおらん、わかってくれ!」
「郡兵衛!貴様、己の立場がわかっておるのか!」
 多都馬と長兵衛が入ってきても誰も気づいていない。
 そこにいたのは安兵衛と郡兵衛の他に、弥兵衛と孫太夫、中村清右衛門。赤埴源蔵、橋本平左衛門、倉橋伝助、矢田五郎右衛門がいた。
 郡兵衛に斬りかからないよう弥兵衛と孫太夫は安兵衛を羽交い絞めにしていた。
 安兵衛と共に江戸在住の浪士たちを牽引していた高田郡兵衛が一党から脱盟するらしいのだ。
「わかっておる。わかっておる故、仇討ちの盟約から抜けさせて欲しいと申しておるのだ!」
「わかってはおらん!」
― 何が密約だ。部外者のワシの前で派手にやりおって。―
 多都馬は安兵衛たちの血気にはやる行動に呆れてしまっていた。
「安兵衛。郡兵衛の申す通り盟約から抜けないと、内田殿が主である村越伊予守へ駆け込むというのだ。仕方があるまい。」
 清右衛門が逆上している安兵衛を宥めようとしている。
「そのようなこと安兵衛殿もわかっておられるのだ。しかし、何故ここに来てかような私儀に相成ったか納得できないだけ・・・。」
 五郎右衛門は、安兵衛を擁護して言う。
― 堂々巡りだ。―
 多都馬が呆れて見ていると、安兵衛がいきなり奇声を上げる。
「郡兵衛!」
 安兵衛が弥兵衛と孫太夫を振り払い、成り行きを見ていた清右衛門の刀を掴んで郡兵衛に振り下ろす。
 郡兵衛は振り下ろされる刀を見て絶叫する。
 “斬られた!”と思われたが、寸前のところで多都馬の刀が受け止める。
「多都馬!」
「声が大きいぞ。外まで筒抜けだ。」
「退け!」
 安兵衛が多都馬を睨みつける。
「退かぬぞ。」
「多都馬!」
 部屋中に安兵衛の声が響き渡る。
「どうしても斬るというのなら己の刀で斬れ。それは清右衛門殿の刀ではないか。」
 多都馬の言葉を聞き、安兵衛は握っている刀を見つめた。そして気が抜けたのか、脱力感でその場に座り込んでしまう。
 安兵衛の様子を見て多都馬は刀を納めた。
「済まぬ!」
 郡兵衛は、そのまま家を出て行った。郡兵衛が去った後、室内は安兵衛を始めとする浪士たちの絶望感が漂っていた。
「全く!お主たちは何をしているのだ。」
 怒鳴りながらも多都馬は分かっていた。
 藩を失い日々の困窮に抗いながら、亡き主君の無念を背負い仇討ちする事だけを心の拠り所にしているのだ。
「安兵衛。先ほど、郡兵衛殿に立場がどうのと申していたな。そっくりそのまま返してやる。お主たち、赤穂の連中はそれぞれが今、自分がどんな立場に置かれておるのかわかっているのか。」
 一同、多都馬の言葉に俯いたまま顔を上げられない。
「今、お主たちは国中の注目を一身に浴びておるのだ。江戸城内においては大名旗本から茶坊主に至るまで赤穂浪士の討ち入りで持ちきりだ。」
 多都馬はうなだれている一同を見渡す。
「そのような時に、周囲も警戒せず大声で喚き散らしおって。」
 キチが心配そうに多都馬たちの様子を覗き込む。
 多都馬はキチへ視線を向け、安心させるため微笑んで見せる。
「これでは何を企て盟約を結んでいるのか筒抜けもいいところだ。」
 三吉が小走りで入ってきて多都馬の耳元に囁いている。
 多都馬に囁いた後、三吉は再び部屋を出ていく。
「安心いたせ、奉行所の役人などおらぬようだ。」
 多都馬の言葉に少し冷静になった一同は胸をなでおろした。
「ここまで苦楽を共にした郡兵衛殿が抜けるのは辛いかも知れぬが・・・。郡兵衛殿には郡兵衛殿の進むべき道があるのだ。その事に誰も口を挟むことは出来ん。」
 多都馬の言葉に誰も頷く者はいなかった。
「何にせよ、冷静になって話を進めるのだ。・・・よいか?」
 出ていこうとする多都馬に弥兵衛は静かに頭を下げた。
 安兵衛の様子がいささか気にはなるが、部外者である多都馬は安兵衛宅から出て行くことにした。
「多都馬様。何とお礼申し上げてよいのか・・・。」
 多都馬たち三人を玄関まで送りに来たキチの目から涙がこぼれる。
「キチ殿。我等のことを気に病むことはない。それより、ずっと安兵衛の側に寄り添って頂きたい。」
 多都馬はキチを気遣って言った。
「さて、少々ひっかけてから帰るか。」
「いいですねぇ~。」
 キチは去って行く多都馬たちをいつまでも見送っていた。

                  九

 孫太夫は、深川黒江町(現福住、永代、門前仲町)に医師/西村清右衛門と名乗って養子の貞右衛門(さだえもん)と潜伏していた。
 安兵衛宅で起きた郡兵衛の脱盟について、孫太夫は持筒頭(もちづつがしら)四百石/多川(たがわ)九左衛門(くざえもん)赤埴(あかばね)源蔵(げんぞう)、矢田五郎右衛門と話をしていた。
「郡兵衛までも脱盟とはの・・・。」
 安兵衛同様に孫太夫にとっても、郡兵衛の脱盟は衝撃を受けていた。
「戦力的な点から見ても郡兵衛の抜けた穴は大きい。」
 源蔵も落胆の色を隠せない。
「源蔵殿。途中から我等の間に割入ってこられたあの御仁は何者なのだ。孫太夫殿や源蔵殿は、ご存知のようだが・・・。」
「うむ、話せば長くなるが・・・。」
 源蔵が孫太夫を見る。
「案ずるな。我等の味方じゃ。」
 多都馬の事を話す二人の表情を見て、五郎右衛門は安堵の息を漏らした。
「しかし、多都馬殿の話には驚いたぞ。」
「幕閣から茶坊主までも、我等の事を話しているとは・・・。」
「多都馬殿の申された通り、公儀への対処も考えねば。」
 孫太夫は眉間にしわを寄せ言った。
「孫太夫殿、源蔵殿。既に世情が我等の味方をしておるのです。となれば公儀、恐るるに足らず。一刻も早く殿のご無念を晴らし、あの世でご褒美をいただきたいと存じまするが・・・。」
「それもそうじゃの・・・。」
 孫太夫、源蔵、五郎右衛門は互いに笑みを浮かべる。
「九左衛門殿。如何なされた?」
 五郎右衛門は、一人笑わぬ九左衛門を見て言った。
「ワシはお主たちとは違う。殿のご無念を晴らした後、此度の働きを土産に他家へ仕官するつもりじゃ。」
「何!」
「お主、何を血迷うておる。」
 孫太夫と源蔵は、驚いて言った。
「何も血迷うておらんわ。」
「仇討ちなどしてご公儀が許すはずなどありませぬ。」
 五郎右衛門が九左衛門にはっきりと言う。
「お主たちは知らぬのか?二十九年前、宇都宮藩で起きた仇討ち事件を・・・。」
「存じておる。宇都宮藩の奥平(おくだいら)内蔵允(くらのじょう)奥平(おくだいら)隼人(はやと)が口論となり刃傷事件となったことであろう。内蔵允はお預け先で切腹し嫡子・源八(げんぱち)(当時十二歳)、ならびに内蔵允の従弟・伝蔵(でんぞう)は家禄没収の上、追放が申し渡された。一方、隼人とその父・半斎は改易となり追放という処分を受けたが、道中藩から物々しい護衛を付けての送り出しだったという。」
 孫太夫が記憶を辿って話し始めた。
「随分な沙汰だな。」
「藩内でもかなりの同情論が出て藩を見限って脱藩する者までいたという。」
 孫太夫の話に源蔵も五郎右衛門も尤もな話だと頷いた。
「結局、三年の(のち)嫡子・源八は同志四十数名と共に隼人への仇討ちを成し遂げ幕府に出頭するのだが・・・。」
 孫太夫は、そう言い終えて九左衛門の顔を見る。
 九左衛門は、孫太夫から引き継ぐ形でその後を話し始める。
「当時の幕府は、この行為をゆるさず武士の私闘を悪として封じ込めようとしたのだ。しかし、源八の殊勝な態度に感銘を受けた大老・井伊(いい)直澄(なおずみ)が幕閣へ働きかけ、結果としては死一等を減じて伊豆大島への流罪という処分に落ち着いた。」
 源蔵と五郎右衛門は、身を乗り出して九左衛門の話を聞いている。
「流罪から六年後、天樹院(てんじゅいん)様十三回忌追善法要にともなう恩赦によって赦免された源八は、彦根藩井伊家に召抱えられたのだ。仇討ちの助太刀をした他の者も、他家へ召し抱えられておる。」
 九左衛門は高揚しながら話していた。
「だからというて我等もそうなるとは限らんぞ。」
 孫太夫は、九左衛門に判然とした態度で言う。
「孫太夫殿。ワシは諦めぬぞ。此度の仇討ちに賭けておるのだ。」
 
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