吸血鬼は永遠に

夕食

 ドレスに着替えたローラは、クローゼットの脇にある姿見に全身を映してみた。大きく開いた胸元から引き締まったウエストにかけて、ドレスは美しいラインを描き、そこから緩やかに裾までスカートが広がっている。トレーニングで鍛えた筋肉質の脚が隠れた事で、ローラは見違えるように女性らしくなった。艶やかなシルクの深い赤が、白い肌をより一層艶かしく引き立てている。突然自分も一流のレディになった様な気がして、ローラは鏡に向かって微笑んだ。これなら、この荘厳な屋敷にもひけを取らないというものだ。

 ローラは満足して、隣の伯爵の部屋のドアをノックした。すぐにドアが開いて、ディナージャケットに身を包んだ伯爵が現れた。
「素晴らしい。思った通りだ。似合うじゃないか」
「ありがとう。でも着慣れてないから、粗相をするんじゃないかと不安だわ」
「フフフ。大丈夫さ。よし、行こうか」
伯爵はローラの腕を取ると歩き出した。

 二人は階段を下りると、食堂へ入った。中央に二十人程が座れる長テーブルが置いてあり、上座とその斜め脇の席にディナー様の食器が並べられている。暖炉の火が、既に部屋を暖めていた。
「では姫、席へどうぞ」
伯爵が椅子を引く。
「ありがとう」
ローラはゆっくり席に着席した。伯爵が席に着くとすぐに執事が現れた。まずはシェリー酒を小さなグラスに注ぐ。
「よろしい。では私達の再会を祝して乾杯しよう」
二人はグラスを持つと、小さく乾杯した。クリスタルの澄んだ高い音が食堂に響く。
「伯爵、貴方のその……特殊な過去については、召し使い達は知っているのかしら?」
「ドナルドだけが知っている。他の者は知らんよ。知る必要も無いしな。どうしてかね?」
「ええ。その話題を出すのに、誰も居ない方が良いのかと思っただけなの」
ローラはチラリと執事を見た。
「そういう事か。まあ、彼以外の者が居る所では控えてもらいたいな」
伯爵はそう言うと、シェリー酒を一気に飲み干した。ドナルドがコーン・ポタージュスープの入った樽を運んでくる。ローラの脇に立つと、丁寧な手付きでスープを皿に注いだ。
「ありがとう」
ドナルドは軽く一礼すると、伯爵の皿にも同じ様にスープを注いだ。

「ところで、何故私なんです?」
「どういう意味かね?」
「貴方は貴族で、財力もあるわ。女性なら他に釣り合う人も沢山居るでしょうに、何故平民の私なんです?」
「人を好きになるのに理由が必要かね?」
伯爵は片方の眉毛を上げると、お茶目な顔で笑ってみせた。ローラはプッと吹き出す。確かに伯爵の言う通りだ。恋は理屈では無いのだ。伯爵の愛を全て受け入れられるかはまだ分からないが、今の所自分は伯爵から厚待遇を受けている。今は素直にその好意を受け取ろう――ローラは決心してスープを口に運んだ。

 夕食を済ませると、伯爵は部屋までローラをエスコートした。途中、ローラはこのままベッドまで連れ込まれたらどうしよう? まだ心と体の準備が出来ていないわ……とドキドキする。だが、部屋の前まで来ると、
「今日は色々あって疲れただろうから、早めに休むと良い。バスルームは廊下の突き当たりにあるから、先に使いなさい。それでは、お休み」
そう言って伯爵は自分の部屋へ入っていった。

 バスルームにはローラ用のバスローブとナイトドレスが用意されていた。獅子脚付きのレトロなバスタブが豪華だ。既にお湯が張られ、バスタブ一面に薔薇の香りのバスソープの泡が立っている。ローラはドレスを脱ぎながら、伯爵から肉体関係を迫られなくて良かったわ、と思った。伯爵の事は嫌いでは無いが、まだ早すぎる。自分が伯爵へ寄せている思いに何か特別な物があるのは認めるが、それが恋愛感情なのか、はっきりしないでいた。そんな気持ちのままでは、ベッドイン出来ない。
「多分、彼もそれを分かっているのだわ」
ローラは呟くと、体をバスタブへ横たえた。薔薇の香りのお湯がローラの体を優しく包む。自分の気持ちが定まらないとは言え、こんな風に男から優雅に扱ってもらうというのは中々気分の良いものである。伯爵の正体が化け物――いわゆる吸血鬼だったとしても、その事に違いは無かった。

 伯爵は暖炉の前のソファーに座り、独り物思いに耽っていた。前の妻を失って以来とうとう愛する女性を見つけたのだ。向こうにとっては突然の事だろうから、真の意味で結ばれるにはまだまだ時間がかかるだろうが、それは問題ではない。少なくとも、彼女が居てくれれば、あのおぞましくも魅惑的な吸血行為から離れて居られるのだ。伯爵は今まで自分の牙の餌食となった女を思い出していた。皆魅力的でそそる女達だったが、愛するとまではいかなかった。美しい女の白い首筋に残酷にも牙を突き立て、命を吸いとる快楽――伯爵はローラのドレス姿を思い出した。突如暗い欲望とそれに対抗する嫌悪の念が吹き出す。
「駄目だ」
彼女の柔らかな首筋に噛みつきたい衝動を伯爵は必死に抑えた。もしそんな事をすれば、永遠にローラは伯爵を嫌悪する事だろう。吸血する事によって、彼女の自由意思を奪い、傀儡の様にする事は可能だが、心の片隅で、彼女は伯爵を憎み続けるに違いない。それでは伯爵に救いはやって来ないのだ。

 伯爵は溜め息をつくと、窓に目を遣った。金色の満月が明るく夜空を照らしている。とにかく、ゆっくりやる事だ。
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