白衣とブラックチョコレート

腹黒医師

「本日ERからリリーフで来た入山です。まだ一年目なのでお役に立てるか分かりませんが精一杯頑張ります。よろしくお願いしますっ」

雛子の同期である入山悠貴(いりやま ゆうき)は、そう言って深々と頭を下げた。

リリーフというのは、人手の足りない部署が他の部署に要請してスタッフを借りてくるというシステムである。

「そういうわけで、今日は納涼祭もあって人手が必要なので入山君に来てもらったの。雨宮さん、同期のあなたから朝のうちに病棟の説明してあげてくれる?」

「はい、分かりました」


納涼祭当日。朝礼にて師長から病棟案内を請け負った雛子は、病室や物品の場所など手短に説明を行う。

「へぇ〜ここが噂の『激務の8A』ねぇ〜」

普段ERに在籍してる悠貴は、初めての病棟で物珍しそうにきょろきょろしている。

「まぁね、分からないことがあったら教えてあげるからね〜」

「何だよ偉そうに〜」

一方で同期のいない雛子もまた、一日だけとは言え同じ病棟で悠貴と働ける事が新鮮に感じていた。

こんな風にたわいもない冗談で笑いながら仕事が出来たら、毎日楽しいだろう。

幸いにも病棟の人間関係は良い方で充実した日々を送れているとはいえ、やはり同期がいれば心強いに違いない。

そんなことを考えながら一通りの説明を終え、雛子と悠貴が戻ってきた時だった。

ツカツカとはばかる様子もなく革靴を鳴らしながら、白衣を纏った長身の医師がステーションへ入ってきた。

「げっ!? お、俺は清潔ケアに回るんで……何かあったら声掛けて下さい!!」

それを見た悠貴はぎょっとしたような表情をして、慌ただしくステーションを後にする。

(え、逃げた……?? あの先生は、えっと……)

「この前の血培を採ったスタッフは誰です? とんでもないコンタミで危うく誤診しかけましたよ」

背が高くクールな顔立ちのイケメン。カルテでよく名前を見掛ける人物。

(この前の急変の時にもいた……)

「あ、たかみね先生」

ぽん、と手を打ち、雛子はやっとその人物の名を思い出す。間髪入れずその人物は雛子に鋭い視線を向けた。

「た、か、が、み、ね、です。雨宮さん」

「うっ……す、すみません……鷹峯(たかがみね)先生。それと、血培を採ったのは私です……」

雛子は無意識に自分のネームプレートを覆い隠しながら白状する。

すかさず傍にいた真理亜が走り寄り、一緒に頭を下げてくれた。

「すみません、彼女はまだ一年目で……採血の時は私が監督をしていました」

謝罪する二人に対し、まるで馬鹿にするかのような大袈裟な溜息が降ってくる。

「はぁ〜まったく、血培もマトモに採れないんですかぁ? こっちは信用して任せるしかないんですから、勘弁してくださいよ……」

鷹峯の嫌味ったらしい物言いに、雛子は下唇を噛んだ。自分のせいで真理亜まで頭を下げ暴言に晒されていることがとてつもなく悔しかった。

鷹峯は底意地悪そうな笑みを浮かべて人差し指を真理亜の顎にかけると、無理矢理上げさせた顔を覗き込む。

「……清瀬さん、貴女周りから『白衣の天使』とか言われて少し酔ってません? 見た目じゃなくて働きぶりで評価されるようになってくださいね?」

「……」

……これは、とんでもないパワハラなんじゃないのか。

(ていうか顎クイまでしてるし……セクハラ??)

「ふむ……随分と生意気な目ですねぇ」

侮辱された真理亜は何も言い返さない代わりに、怒りを抑えたような表情で鷹峯を見返していた。一方の鷹峯は、そんなことは意に介さず飄々とした胡散臭い笑みを貼り付けたまま雛子に目を向けた。

「それから、雨宮さん?」

「は、はいっ!」

射すくめられた雛子は、びくりと肩を揺らした。緊張し過ぎて返事の声がひっくり返る。

「コンタミはいつどこで起こるか分かりませんし、検査キットが破損していて最初から汚染されている場合もあります。こういう時は物品の準備、点検から検体提出まで責任持ってご自分で行って下さいね?」

「は、はいっ! 以後気をつけますっ!」

相変わらず嫌味な笑みを浮かべる鷹峯の鋭い瞳が、一瞬金色に光ったような気がして雛子は目を瞬かせた。

その後は雛子には目もくれず、鷹峯は言うだけ言って患者のところへ行ってしまった。

「すみません真理亜さん……私のせいで真理亜さんまで……」

雛子はしゅんとして詫びる。

「……良いのよ、見てた限り雛子ちゃんの手技に問題はなかった。あれはたぶん、元々ボトル内汚染があった可能性が高いわ……それよりも」

真理亜は抑えたトーンで話し始めたが、みるみるうちに怒りのオーラが漏れ始める。

「……っアイツ、ほんっっと〜〜〜に最低!!!!」

真理亜がその整った顔を歪め、鷹峯への嫌悪感を顕にした。

「一見物腰低そうに見えて実は慇懃無礼(いんぎんぶれい)な感じとか! 糸目ニンマリ顔のくせに目の奥はまるで獲物を狙ってる蛇みたいなところとか! 嫌いなのよ私!!」

(たしかに。さっき目が光ってたもんなー)

自分がミスをした手前口には出せないものの、雛子も心の中で同意する。

「確かにちょっと顔と腕は良いかもしれないけど! 言ってることは正しいのかもしれないけど! 言い方ってものがあると思わない!?」

雛子はうんうんと頷く。

真理亜は見た目はもちろんのこと、優しくて頭も良くて仕事ぶりから見ても誰もが認める正真正銘『白衣の天使』だ。

「あの先生、真理亜さんの何を見てあんなこと言うんでしょう?」

「本当にねぇ……なぁんか前々から嫌われてるのよね。ま、私も好意は一切ないけど」

真理亜がここまで清々しく人を嫌うことなどそうそうないだろう。物珍しさに雛子が目を丸くしていると、真理亜は一つ溜息を吐いて業務に戻るよう促す。

「さ、あんな奴のこと考えてたって時間の無駄よ。雛子ちゃん、バイタル回り終わったら納涼祭の準備を手伝いに行くって張り切ってなかった?」

はっとして時計を見ると、すでにこのやり取りで貴重な時間を消費していた。

納涼祭の段取りは二年目の二人がメインで行うとはいえ、下っ端の雛子も当然準備に参加しなければならない。

「そうでした! 私ちょっと行ってきますね!」

ただでさえ朝はやることも多く、一分たりとも時間を無駄には出来ないのである。

雛子は棚に置いてあるバイタルセットを掴んでワゴンに乗せると、できるだけ大股で受け持ち達の病室へと急いだ。









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