ダメな自分を変えたくて、私がした『おいしいパスタの法則』
ジェルネイル

 朝、会社へ行く準備を済ませて家を出ると自宅の近くのバス停ではバスに乗らずに家の近くのコンビニへと歩いて向かった。

コンビニに入ると窓側にあるファッション雑誌を眺める。

ーーモテる髪型特集! 彼女にして欲しいファッション三選! 私は雑誌のそのキャッチフレーズに目を丸くしながらキョロキョロと辺りに人がいない事を確認しながら雑誌を手に取りパラパラと中を確認した。

ファッション雑誌などを買うのなんていつぶりだろうか……
多分最後に買ったのは十代の頃くらいだ。
私は雑誌の中の着回し特集というページで手を止めた。
『——私の出勤前』という吹き出しのセリフと共に写るその女性はスカーフで少し明るめの髪を後ろで束ね、ふんわりとしたキャメルのニットを着て下には薄いベージュの広がったスカートを履いていた。
そしてワインレッドのような濃いめの赤のネイルがとても輝いて見えた。

『……可愛い』私はそう呟いて
窓に反射して映る自分のスーツ姿が目に入った。
同じ出勤前なのにこうも違うのだろうか……
そして私は本を片手に持ち替えて自分の何の色もない爪を眺める。
……このままじゃダメだ。
私は何の努力してもいないのに結果だけを求めているんだ。
自分に手間をかけなさ過ぎている。

私は『よしっ』頷いてその少し厚めの雑誌を持ってレジの方へと向かった。

ーー私は変わりたい。

出来る事から少しずつでいいから始めてみよう。

ヘコむのはそれからだ。 何もしていない今じゃない。

今の自分に出来る事をしてから悩もう。




 コンビニを出て私は最寄りのバス停へと向かう。
バス停に着き、次のバスを待っている人たちが並んだ横に伸びた少し長い列の後ろの方へと私も並んだ。
そして前に並んでいるスマホを操作しながら耳にイヤホンをつけた大学生のような女の子とチラッと目が合いその子に笑顔で会釈される。
私は誰だろう。と思いながらその子の顔をあまり見ずに会釈をし返した。

『——ゼリーのお姉さんですよね?』とその子は耳のイヤホンを外しながら笑って言った。

『あー、そこのコンビニで深夜にいつも働いてる人?』

彼女はそうそうと頷き歯を出して笑った。

『お姉さんもここのバス停使ってるんですね』

『うぅん、いつもはもう一つ前のバス停使っているんだ。 今日は仕事行く前に買い物してて』と私は本の入ったレジ袋を少し上に上げて見せた。

『へぇー』と彼女は頷いた。 そして彼女は私のスーツを見て
『スーツっていいですよね。 なんか出来る女って感じがしてカッコいいです』と言った。

私は彼女の言葉にアハハと声を出して笑うと彼女は不思議そうな顔をして私は見つめた。

『ごめん、さっきね雑誌見ながら私服で出勤っていいなぁって思ってたから』

『無い物ねだりですよね』そう言って彼女は腕を組みながら頷いた。

そんな事を話しているうちにバス停にバスが到着した。

『へぇー、美咲さんって中央大出身だったんですね。 めっちゃ頭いい所じゃないですか!』と私の隣の座席に座る彼女は少し大きい声で驚いた。

『うーん、どうだろう。 けど今自分がしたい仕事をしてるか?って言われたらちょっと悩んじゃうかも……
千佳《ちか》ちゃんって学生?』

『はい、美容の専門学校に通っています』

『へぇー』と大きく頷く私に彼女は続けた。

『高校の頃、いとこのお姉ちゃんの結婚式に出席した時に式が始まる前に準備しているお姉ちゃんに会いに行ったんです。 その時ちょうどウェディングドレスを着たお姉ちゃんがスタイリストさんにヘアセットをしてもらっている最中でその光景を見て私声もかけるのも忘れて見入ってしまったんです、とても綺麗で。 その時に私のやりたいのはコレだ!って思っちゃったんです』

彼女は真っ直ぐ前を見つめてそう言った。
その幼さが少し残る彼女の顔には一切の迷いがないように私には見えて素直に凄いなと感じた。
そして彼女のあまりの気迫に私は言葉を失った。

彼女はそんな私に気が付いて少し首を傾げた。

『千佳ちゃん、なんかすごくカッコ良いなぁって思って。 まだ若いのにしっかり将来を見据えてて』

『美咲さんが花嫁になったら私がメイクしてあげますね。 ってかスタイルいいからウェディングドレス似合いそうですね!』と彼女はくしゃっと目を細めて笑った。

『うーん、それはいつになるだろう……』と私は笑いながらわざと少し下を向いて答える。

彼女は私の第一印象とは全く違う人だった。
その容姿から私は今時の将来の事など考えていないような子だろうなと思い込んでいたが、彼女は太く揺るぐことのない芯のある強い子だ。

しばらくするとバスは駅前に着き私は彼女に手を振ってバスを降りた。




 私はオフィスに着くと自分のデスクの上に鞄と本の入ったレジ袋を置こうとした時に昨日、岡田先輩が手伝ってくれた会議の資料の束がデスクの上に綺麗に並べられている事に気づき、その資料の一部を手に取りパラパラとめくり軽く中を確認した。
私はその資料束を持ちオフィスを見渡して愛沢のデスクの方へと向かった。

『愛沢さん、これ今日の会議の資料できたから』

愛沢は私に気が付きニコッと笑った。

『ありがとう、本当に助かった……』そう言って愛沢は資料を受け取った。

私は軽く首をふりながら『うぅん』と言って自分のデスクに戻ろうとした時、愛沢に『鳴海さん?』と言って呼び止められる。

『実はね、昨日彼氏との記念日だったんだ。 だから鳴海さんが帰っていいよって言ってくれた時すごく嬉しくて……本当にありがとう』と愛沢は私から受け取った資料を親指で軽くこすりながらそう言った。

私は愛沢の昨日が記念日だったという言葉に一瞬息が止まってしまう程強く反応してしまう。
亮太の部屋に置いてあるカレンダーにも昨日が記念日だと書いてあったのを覚えていたから。
頭が真っ白になって何も話す言葉が見つからなかったけれど
動揺していることが愛沢に悟られないように私は口角を上げて頷いた。

『そうなんだね。 彼氏さんと付き合って長いの?』

『うん、学生の頃から付き合ってるから今年で付き合って3年になるんだ』

私は愛沢のデスクにあるメモ用紙のような物に目を向けて
その用紙に愛沢が書いたであろう文字を見る。
そして亮太の部屋のカレンダーに書いてあった文字を思い出していた。
亮太の部屋で彼女の文字を見た時に平仮名の『ろ』と数字の3の見分けがつかないような印象が強く、愛沢の書くその丸文字が前に見たものととても似ているような気がした。

愛沢は私から少し目線をズラして『あっ、圭さんだ』そう言いながら私にまたねと、軽く手を振ってオフィスの奥の方にいる岡田先輩の方へと早足で向かっていった。

私はその後ろ姿をずっと見つめていた。




 就業時間が終わってみんなが一斉に帰る準備を始める夕方に私は胸ポケットに入れているスマホのメッセージの受信音に気が付き。
手帳型のケースに入ったスマホを取り出しメッセージを確認した。

亮太: 明後日空いてるかな? 美咲の誕生日遅れちゃったけれどお祝いしたくて。

私はそのメッセージに返信はせずに両手でスマホをそっと閉じたその時。

『鳴海さん……それ……』と後ろから誰かの声が聞こえて
私はビクッと肩を上げながら素早く振り返ると
そこにいたのは目を丸くして後ろに立つ愛沢だった。

私は慌ててスマホの画面を隠すように両手でスマホ覆った。
その瞬間私の頭によぎったのは今スマホの画面を愛沢に見られていないかどうかそれだけだった。

『あ、愛沢さん……どうしたの?』私は動揺で少し声を震わせながらそう言った。

『……鳴海さんも好きだったの?』
愛沢は特に動揺する様子もなくいつも通りの平常心で私にそう話した。
そして、愛沢のその視線の先が私ではなく私より少し後ろであることに気づき
私はその目線の方へと顔を向けると
私のデスクの上で倒れたバックから今朝買ったファッション雑誌が表紙を上側にして出ていた。

『これのこと?』と私はその雑誌を指差す。

『そう、私もね毎月買ってるんだ』
そう言って愛沢は自分のカバンから私と同じファッション雑誌をチラッと出して見せた。

『今日発売日だったからさ、出社前にね駅の売店で買ってきたんだー』

『そうなんだ……』そう言って肩を撫で下ろす私。

『そういえば、雑誌に載ってたパンケーキ屋さん、うちの職場の近くなんだよ』

『へぇー』と少し興奮気味の愛沢とは対照的に私は苦笑いで頷いた。

『昨日の資料のお礼に奢ってあげるよ』
愛沢はそう言って戸惑う私の手を引いて二人でオフィスを出た。




 会社を出て駅前の大型ショッピングモールやお洒落なカフェが建ち並ぶ中に愛沢が雑誌に載っていたという目的のパンケーキを出しているお店があるらしい。
愛沢は雑誌でその住所を確認しながら店内が見渡せる程の大きい窓ガラスのあるお洒落なカフェの前で立ち止まる。

『鳴海さん、ここだよ。パンケーキのお店』

私はその大きな窓から見える店内のお洒落な雰囲気に圧倒されていた。
白をモチーフにした清潔な店内。そして可愛らしいエプロンをつけた眩しい笑顔の店員さん。
そして店の外にあるテラス席でパンケーキが届き笑顔でスマホでそれを撮影するキラキラするような女性たち。
そのどれもが私には不釣り合いに見えて
思わず私は少し後退りをして歩いて来た道を戻ろうとする。

『ん? 鳴海さんどうしたの?』
愛沢はそう言って私の服の袖を掴んだ。

『キラキラし過ぎてて……ちょっと入り辛いかなぁ……』

愛沢は『何それ』と笑いながら半ば強引に私の手を引いて店内へと入った。

店内へ入ると可愛らしい女性に二人がけの席へと案内された。
案内されたのは真ん中の席で周りには仕事帰りの私たちと同じくらいの女性たちや、まだ学生のような若い子達で賑わっていた。
その店内の騒がしさに少しキョロキョロと周りを見渡す私。

『——何にしよっか?』と愛沢はテーブルに身を乗り出してテーブルの上にある小さめのメニュー表を見た。

少しすると若い女性の店員さんがお冷を持って私たちのテーブルへと来た。
そして、私達を見て『お決まりになりましたか?』と言った。

『鳴海さんどれにする?』

『うーん、どうしよう……』
私はそう言いながらその小さいメニュー表を見た。
そして、そのメニューの丸文字のような字体がとても見づらいな。ときっと愛沢は共感してくれないであろう事を思いながら何を頼もうか選ぶ。

愛沢はメニューを見ながら『私、抹茶オレとパンケーキにしようかなー』と両頬を押さえながらそう言った。

『……じゃあ、私も同じもので』私は店員さんの方を見てそう言った。

店員さんはオーダー表に何かを書いてキッチンの方へと向かって行く。

そして、愛沢は自分のバックから雑誌を取り出してそれをパラパラめくりながら話した。

『鳴海さんがこの雑誌好きだったなんて意外だったなぁ。 何か好きなブランドとかってあるの?』

『あまり無いかなぁ……でも、爪のヤツ…可愛いなぁと思って……』私はそう言ってお冷を喉に流し込んだ。

『爪のヤツ?』と愛沢はじぶんの爪を眺めながら少し首を傾げて考えた素振りをした。

『……爪のヤツってネイルの事?』と愛沢はひょんな顔をしながら私の顔を見つめる。

『うん』と少し照れながら頷く私に愛沢は笑いを堪えきれずに吹き出す。
そして、愛沢は笑い涙を人差し指で拭きながら
『鳴海さんって面白いね』と笑い疲れながらそう言った。

何が一体そんなに面白いんだろうと私は愛沢の顔をじっと見つめた。
そんな事を話しているうちに注文していたパンケーキと抹茶オレが二人分テーブルへと並べられる。
愛沢はその目の前のパンケーキを見て『わぁあ』と目を輝かせながら両手を広げて私の顔を見て『美味しそうだね!』と笑顔でそう言った。
そして、バックから自分のスマホを取りだし、パンケーキにピントを合わせて何枚か写真を撮って『これ良いね』と呟きながら、何やらsnsか何かに画像を投稿しているようだった。

私は特に写真を撮ることもなく『いただきます』と一人呟いてフォークを手に取った。

フワフワのパンケーキの端の部分をフォークで切って、それにパンケーキの上に乗っている生クリームを少し取って口の中へと運んだ。

口の中で生クリームと一緒にパンケーキも溶けるような不思議な食感に私はパンケーキを二度見する。

『えっ、鳴海さんどうしたの?』と愛沢はそんな私を見て尋ねた。

『口の中で溶けたからびっくりして……』

『あぁ、美味しかったってこと?』と愛沢は少しホッとした顔をして私を見つめる。

『うん』と頷く私に愛沢は微笑みながら続けた。

『鳴海さんネイルに興味があるんなら、私の通ってるネイルサロン、駅前にあるから帰りに行ってみない?』

『……行きたい!』私は身を乗り出して答えた。




 パンケーキを食べ終え店を出ると私たちは愛沢が通っているというネイルサロンへと向かった。

『ここのショッピングモールの中に入ってるんだー』
愛沢は大きいショッピングモールを指差して私達はそこに入って行った。

入り口の案内を見るとここのショッピングモールは女性向けのものが多く、化粧品の専門店や一度は耳にした事のあるような有名ブランドのアクセサリーやバックなどが置いてある専門店やエステなどの店舗が入っていた。

私の住んでいる近くにはこういった所が多いとは思うが自ら入る事はあまりない。
まぁ、こういったきらびやかなキラキラしたような場所が苦手ということもあるけれど
24年間生きてきて必要性を感じた事はなかったし
その高そうなアクセサリーやバックを身につけなければいけないシーンもそんなにあるとは思わなかったからだ。

 そして、店内に入りエスカレーターで何階か上に上がりエステや美容室のあるフロアの一角にある可愛い壁紙のネイルサロンへと入った。
そこは店員さんと対面式で5席ほどの席が用意してあり
ほのかにアロマの良い香りのする落ち着いた空間だった。

愛沢とは席を二つほど離れて案内され
私は緊張しながら席へと着いた。

『ーー初めての方ですよね?』
柔らかな印象の店員さんに話しかけられ私は少し挙動不審に会釈した。

『……あの、私ネイルとかは初めてでして』

店員さんは優しく何度か頷いて色々と説明してくれた。

私は今日初めて知ったがネイルには何種類かあるようだった。
ポリッシュという、私が想像していたマニキュアを爪に直塗りしてもらえるものから
ジェルネイルと呼ばれる爪に合成樹脂を固めて長持ちするもの。
そして、スカルプチュアというパウダーと液体を混ぜたものを爪に塗り長さを出してくれるもの。
私は仕事に支障をきたさない程度の長さのピンク色のジェルネイルというものにした。
そして、薬指に白い花の装飾をつけてもらう。
大体付け替えの目安は三週間らしい。

爪の施術が終わると先に終わって店の外で待つ愛沢の元へと私は駆け寄った。

『愛沢さん、おまたせ!』

『鳴海さん、どんなのにしたの?』
愛沢はそう言って私の両手を手に取ってピンク色の綺麗に発光したネイルを眺めた。

『えぇ、すごく可愛い!』と愛沢は目線を上げて笑った。

私はこんな風にお洒落をして同性に可愛いね。って言ってもらうのは初めてかもしれない。
ただ爪が少し変わっただけ。
それだけのことなのになんというか、これだけで自分じゃない気すらしてしまう。
他の人から見たらとても小さい一歩に見えるかもしれないけれど
私にとっては世界が少し変わったようにも思える一歩だ。

『ありがとう』と私は笑顔で返した。




 朝、私はいつもより早く起きた。
出勤前にどうしてもしたいことがあったからだ。
昨日買った雑誌で一目惚れしたスカーフで髪を後ろにまとめたモデルさんのページを探しながら鏡の前へと向かった。

そして、そのモデルの写真をジーッと見つめながら見様見真似でスカーフの代わりに髪を止めるシュシュで代用して自分の髪を後ろに束ねた。

『うーん……なんか違う』

私はシュシュを外し鏡の中の自分の黒い少しペタッとした猫っ毛の髪を撫でた。

写真のモデルさんののような茶色い綺麗な髪色ではない事はわかってはいるけれど
それ以前になんというか髪質が違う感じがする。
私は雑誌のその写真の隣に書いてある説明文に見入ったが
着ている服や髪のスカーフのブランドや値段の記載はあるが髪型についての説明が全くない。

私はため息を吐いて本を閉じて、いつものように髪を一本にまとめてリビングの方へと戻った。

髪型の説明がどうしてないんだろう。
いや、説明不要って事だろうか……
世の女性はこの写真を見れば誰もがその手順が手にとるようにわかるような。
私が会社でパソコンを起動して何も考えずにエクセルを開いてしまう程に知っていて当然の知識なのだろうか。

……本当に。

本当にこういったお洒落なことの知識が無さ過ぎて不甲斐ない。
こんな事を他の人に今さら聞いたらとても恥ずかしいことかもしれない。

けれど、入社したての頃岡田先輩がよくいってた言葉を思い出す。

『わからない事を聞かずに、そのままにしておくのはもっと恥ずかしい事だよ』

……そうだ。わからない事をわからないままにしておくことの方がもっと恥ずかしい。

私は慌てて会社に行く準備を済ませて家を出た。

そして、家の前のバス停ではなく近くのコンビニのバス停へと走った。




『——ハァハァ、千佳ちゃんおはよう!』

突然私に話しかけられて彼女は驚いて振り返った。

『びっくりしたー…… あっ、美咲さんおはようございます』
そう言いながら彼女は耳につけているイヤホンを外した。

『実はね、千佳ちゃんに聞きたい事が——』

『——えっ、可愛い! 美咲さんネイルしたんですか!?』

彼女は目を輝かせて私の手を見つめた。

『うん、昨日ね人生で初めてしてみたんだ。 あとね、千佳ちゃんにどうしても聞きたいことがあって』
そう言って私はバックの中からファッション雑誌を取り出した。
彼女は私の隣で雑誌を眺めた。

『あー、スカーフでアレンジするヤツですかー』

『今朝ね、ちょっと試してみたんだけど全然出来なくって』

『美咲さん、髪真っ直ぐだからこんな感じにするなら少しコテで巻いてからの方がいいかもしれないですね』と彼女は私の髪の毛先の方を触りながらそう言った。

『コテ持ってないなぁ……』と私は雑誌を見ながら呟いた。

『アイロンとコテは必須ですね』と彼女は真面目な顔をして頷く。

私は彼女の顔を見て『そうなんだ』と頷いた。

『コテとかアイロンとかってすごく安く売っていたりするんですけど、その分使い勝手が良くなかったり……割と奥が深いんですよね』

『へぇー……なんか難しいそうだなぁ』と私は眉をしかめた。

『もし空いてる日があれば一緒に見に行ってみます?』
と彼女は少し首を傾げて私を見つめた。

『えっ? いいの?』と私は嬉しさのあまり少し大きい声でそう言った。

『もちろんです』と彼女は顔をクシャッと緩ませて微笑んだ。

それから私たちはバスへと乗り込んだ後にお互いの連絡先を交換して、早速いつ二人で買い物に行こうかという話になった。

『美咲さん、今日の夕方とかって空いてます?』

私は目線をズラして何か予定がなかったかどうか少し考えた。

『うん、夕方の6時には仕事終わるからそれからなら大丈夫だよ』

『じゃあ、6時過ぎに駅前に集合で!』

そして彼女は私の一本に縛った後ろ髪を見て
『ちょっと後ろ向いてもらっても良いですか?』と言った。

私は彼女に背を向けるように後ろを向くと彼女は私の髪のシュシュをはずして慣れた手つきで後ろ髪を何束かに分けて、その束をを根元の方で何度かねじってシュシュを付け直した。

『スマホで今見せますね』と言って彼女はスマホで私の後ろ髪を撮り、スマホの画面を私の方へと向けた。

『えっ、何これすごい……』

『美咲さんリアクションがいいなぁー』と笑って彼女は続ける。
『髪をねじって後頭部の方にボリュームを出したんです。 というか美咲さんの髪すごく綺麗な黒髪ですね』

『うーん、私の髪細くてすぐペタッとしちゃうし…… どうなんだろうね』と私は少し照れて笑った。

『いいと思います黒髪。 白いウェディングドレスにキレイな黒髪はとっても映えます!』

『千佳ちゃんって本当にドレスとか好きなんだね』と私は笑った。

『はい、大好きです。 私、誰かと話していたりする時もこの人はどんなドレスが似合うかなぁとかいつも勝手に考えちゃったりするんです。
この人は少しふっくらとしたお姫様みたいなドレスかなぁだとか……
美咲さんは初めて会った時からマーメイドラインのドレスが絶対に合うだろうなぁって思ってました』

『マーメイドライン?』と私は首を傾げる。

『すごく着る人を選ぶドレスなんです。 体にフィットするような細身のシルエットに裾が人魚の尾ひれのように伸びてるんですよ』

『へぇ、だからマーメイドラインっていうんだね』と私は頷いた。

『はい、私が一番好きなドレスです。 私がこの人は似合うだろうなーって感じる体型の人もそんなにいないんです。 だから尚更、美咲さんには是非着てほしいなぁって思ってるんです。 で、その時は出来れば私がスタイリストで付きたいです!』

そんな事を話しているうちにバスは駅前へと到着した。
バスが停車すると私は『じゃあ、またあとでね』と彼女に手を振ってバスを降りた。

 
 職場のビルへ入ると私はオフィスへは向かわず、大きい鏡のあるトイレへと入った。

そして鏡に映る今朝、千佳に縛りなおしてもらった髪を眺めた。
私が毎朝しているのと同じ、ただ髪を後ろで束ねているだけなのに千佳ちゃんがするとどうしてこうも違うんだろう。
自分が別人のように感じてしまう。

『千佳ちゃんすごいなぁ……』と私は鏡を見ながら一人トイレで呟いた。

そしてバックからスマホを取り出し自分の後ろ髪を何枚か撮った。
明日から自分でも出来るようになりたくて。
あとで千佳ちゃんにやり方をしっかり教えてもらおう。

『よしっ!』と、私は鏡を見つめて自分に気合を入れた。

 オフィスの中へ入ると何人かの人に挨拶されるが特に髪やネイルに触れられる事もなく、変に緊張していた自分は少し自意識過剰だったかななんて思ったりしていた。

『おっはよー!』

聞き慣れた岡田先輩の声が斜め後ろ辺りから聞こえて私は振り返って『おはようございます』と頭を下げた。
先輩は笑顔で一瞬私をチラッと見て通り過ぎようとしたが
立ち止まってもう一度私の方を向いた。

『あっ、鳴海か! 後ろから見たらいつもと髪型違ったから誰だかわからなかったよ』

小さな変化に気付いてくれたことが嬉しくて私はニヤケそうになる表情を必死で隠すように下唇を軽く噛んで会釈した。

『不得意だったことに挑戦してみようと思いまして……』と私は先輩の顔は見ずにそう言った。

『そっか、髪型とっても可愛いよ』
先輩はそう言ってオフィスの奥の方へと歩いて行った。

私は先輩が去った後もしばらくその場で立ち尽くした。

なんて人だろう。
こんなにも普通の日を素敵な一日にたった一言で変えてしまう。

たった一言でだ。

その一言で今までモノクロに見えていた日常が少し変わった感じがした。

いつも通りの何も変わらないオフィスの中をこうして眺めていても視点を変えれば全く別のものになる。
私は始業時間ギリギリに出社してきた愛沢の方に目を向けた。

きっと今までの私なら、もっと時間に余裕を持てばいいのに。
なんて事を思いながら呆れることしかしなかっただろう。
でも、少し見方を変えると彼女はしっかり髪型を整えてはいる。
そしていつも通り化粧もバッチリだ。
よく見ると彼女は手に何やら資料を持っている。

『愛沢さん、おはようございます』

『あっ、鳴海さんおはよう!』

私は愛沢の持つ資料に目を向けた。
そして愛沢はその視線に気付いて話し始めた。

『今朝ね、家でこの間鳴海さんが作ってくれた資料に目を通した時にすごく良く出来ててびっくりしてね。 同期の私も負けてられないなと思って、もう終わっちゃった会議なんだけど自分なりに資料作り終えようと思ってたらギリギリになっちゃって……今更頑張っても意味無いんだけどね』

きっと今まで私が気付けなかった、その人の頑張りや努力。
そういった人には言わずに努力していること、
他の人が気付いてくれたらとても嬉しいこと。
どれだけ気付かずに通り過ぎてしまったんだろう。

気付く事。 相手をわかろうとする気持ち。
きっと人と関わる事や繋がるにはすごく大切な事だろう。

『愛沢さん?』

『ん?』と愛沢は私を見つめる。

『意味無くなくなんてないよ。 手間かけたらかけた分だけきっと伝わるから。 おいしいパスタと同じだよ!』

『……お、おいしいパスタ?』と愛沢は不思議そうな表情をした。

『うん、おいしいパスタの法則! 仕事もパスタも手間ひまが大事だってこと!』

愛沢は『何それ?』と吹き出して笑った。

今までどれほどの頑張りを見逃してきただろう。
私、もっと視野を広げよう。

一方向からだけではなく、もっともっと広い範囲で周りを見渡して。
その人が頑張っているところ、悩んでいるところを少しでも見逃さないように。
全部は無理かもしれないけれど
自分の手の届く範囲だけは逃さないように。

きっとそこからだ。

相手を理解する事で初めて自分も理解してもらえる。
< 2 / 4 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop