午後の水平線

3、追憶

「 こちらに、おいででしたか 」
 ふいに、後から声がした。
 保科が、テラスに通じるドアを開けて、立っている。
「 あ、すいません。 勝手に出て来ちゃって… あまり、気持ち良さそうだったので 」
 そう言う里美に、保科は、笑って答えた。
「 普段こちらには、常連のお客様くらいしかお通ししないのですが、構いませんよ 」
 里美は、傍らにあったガーデンチェアーに座ると、汗をかいたレモネードのグラスを取り、ひと口飲みながら言った。
「 毎日、来れるのなら、あたし… この席を、リザーブさせてもらっちゃうな 」
 保科は、笑顔で答えた。
「 そう言って頂けると、嬉しいですね。 是非、そうして下さい 」
 里美も笑った。
 保科は、窓側にあったイスに腰を掛けた。 店内にいた客は、帰ったらしく、誰もいないようだ。 保科も、休憩するつもりなのだろうか。
 里美が言った。
「 お店の方、大丈夫なのですか? 」
「 ここからは、入り口も見えます。 今、他のお客様は、お帰りになられたので、大丈夫です 」
 保科は、ポケットからタバコを出すと、火を付けた。 里美も…

…とりあえず、控えた…

「 店名の、カティ・サークって、どう言う意味なのでしょうか? 」
 レモネードを飲みながら、里美は尋ねた。
 保科が答える。
「 大航海時代の、イギリスの船名です。 植民地から、本国のイギリスへ茶葉などを運んでいた帆船です 」
「 へええ~、そうなんですか。 聞いた事はある名前なんですけどね 」
 保科は説明した。
「 長い航海でシケに遭い、積荷だった茶葉が湿って発酵し、本国に着いた時、紅茶になっていたそうです。 それが紅茶の始まりだと言われています。 カティ・サークは、遠くインド・セイロンから茶葉を運び、また、本国から植民地へは、ウイスキーなどを運ぶ、大航海時代のイギリスを代表する有名な船だったんですよ 」
「 へええ~…… 」
 タバコを灰皿で消しながら、保科は続けた。
「 家内が、紅茶が大好きでしてね… 最初は、一緒にこの店をやっていました。 …亡くなってからは、紅茶は辞めました。 でも、店名は、変えたくないんです 」
「 …… 」
 思い掛けず、まずい方向に、話題が行ってしまったようだ… 確かに、メニューには、数点の紅茶しか載っていなかった。
 里美は、レモネードのグラスを、テーブルに置きながら言った。
「 …悲しい思い出に触れてしまったようで… すみません 」
「 いや、良いんですよ。 こうして、このテラスで、女性の方とお話しするのは久し振りですし… 何だか、嬉しいです 」
 保科は笑った。
( もしかして、このテラスは… 保科さんと、亡くなった奥さんとの、思い出の場所なのかしら。 あたし… 無断で、ズケズケと入り込んで… 悪いコト、したのかなぁ……? )
 少々、後ろめたい気持ちになった、里美。
 しかし、保科は、里美の遠慮とは裏腹に、笑いながら聞いて来た。
「 こちらへは、よく来られるのですか? 」
「 あ… はい。 い、いえっ…! 数回、来たくらいで… 篠浦にある、製紙会社が得意先でして、今日も、その帰りなんです 」
「 そうですか。 今度は是非、夕方においで下さい。 ここからの夕陽、きれいなんですよ? …あ、お帰りが、遅くなってしまいますね 」
「 いえっ…! 是非、寄らせて頂きます! 夕陽、あたしにも見せて下さい! 」
( ああ~ん、ナニあせってんの? あたし…! 『 見せて下さい 』じゃなくて、『 見させて下さい 』でしょうが。 意味、深げになっちゃったじゃ~ん…! )
 1人、顔を真っ赤にする、里美。

 入り口の鐘が、カランコロンと鳴る。 誰か、客が来たようだ。
 傍らの窓ガラス越しに、入り口を見やる、保科。
 里美を振り返ると、微笑みながら言った。
「 常連さんです 」
 再び、店内を振り返る、保科。
 入って来た客は、テラスから手を振る保科に気付いたようで、軽く手を上げると、こちらへやって来た。
「 どうしたの? マスター。 こんなトコで、お客さんと話し込むなんて… 珍しいわね? 」
 テラスにやって来たのは、里美と、同い年くらいの女性だった。
 長いストレートの黒髪で、白いポロシャツを着ている。 ジーンズに、ミュール履き。 薄いグリーン色のトートバッグを、肩から下げていた。
 保科が、里美を紹介した。
「 こちら、広告代理店の吉村さん。 今度、ウチのロゴのデザインをして頂くんですよ 」
「 吉村です。 こんにちは 」
 里美が会釈すると、彼女は、イスを引きながら座り、言った。
「 へええ~、マスター、やっとやる気になったんだ 」
「 吉村さん、こちら、私の友人の娘さんで、日高さんです 」
「 淑恵で~す。 宜しくぅ~ 」
 人懐っこく、小首を傾げて挨拶する、彼女。
 早速、トートバッグの中からディオールのタバコ入れを出すと、パーラメントを1本取り、火を付ける。
 保科と2人… 静かな雰囲気で語っていたのに、陽気そうな淑恵の登場で、どうかなってしまった。
 だが、里美は、この淑恵のような性格の持ち主は、嫌いではなかった。 親交を深めれば、打ち解けて、何でも相談し合えそうである。
 淑恵は、里美に尋ねた。
「 この辺の人? …違うよね? 」
「 市内です。 今日は、仕事でこちらに 」
「 ふ~ん… 広告の仕事をしてるんだ。 …そう言えば、ウチのジム、新しくパンフを作り直すとか言ってたわね。 ついでだから、おたくに頼もうかしら 」
「 ジム? 」
…これは、ツイている。 もう1つ、仕事が入りそうだ…!
 淑恵は言った。
「 あたし、ちょっと行った所にある、松浜町のスポーツジムでインストラクター、やってんだけど… ウチのパンフ、ダっサイのよねえ~? 今時さぁ、表紙に『 あなたもリフレッシュ! 』とか、文字入ってんの、信じられるぅ? 」
 煙を出しながら、眉間にシワを寄せて話す、淑恵。
 里美は苦笑した。
 続ける、淑恵。
「 そりゃまあ、こんな辺鄙なトコだけどサ。 会員も、オバサン連中が多いし… だけど、もうちょっとマシなヤツにして欲しいわ。 あたし、あのパンフ… 知り合いに渡すの、ヤだもん! 」
 灰皿に灰を落とす、淑恵。
 里美は言った。
「 大きさと、ページ数は? 大よその見積りは出せますよ? 」
「 今、あるよ? 見せてあげようか 」
 吸いかけのタバコを灰皿に置き、トートバッグの中をまさぐる、淑恵。
 保科は、立ち上がると、淑恵に言った。
「 いつものトーストと、ブレンドで宜しいですか? 」
「 あ、お願いね。 …あ、今日は、アイスがいいな、あたし 」
「 かしこまりました。 …では、吉村さん、納期などが決まりましたら、お電話下さい。別に、急ぎではありませんので、宜しくお願い致します 」
 店内に戻る、保科。
 もっと、話しがしたかったが、仕方が無い。 こちらの、淑恵の話しも重要だ。
( また、納品時にでも話せばいいか。 その時は、時間を夕時にして… このテラスで、夕陽など眺めながら……! )
 勝手な想像に走る、里美。
 どうやら里美は、紳士的で落ち着いた雰囲気の保科を、意識してしているようだった。
 短くまとめた、白髪混じりの髪も、妙に格好が良い。 人生の深みを帯びつつも、優しい瞳も気になる……
 店内にいる保科を、里美は、ボ~っと見つめていた。
「 コレなのよ~! 」
 パサッと、目の前に投げ置かれたパンフレットで、里美は、我に返った。
 置かれたパンフレットに目をやる。

 真っ赤なレオタードを着た、若い女性が印刷されている。
 頭には、白い鉢巻をして……

「 …… 」
 淑恵が指摘していた、キャッチコピーは、何と、漫画のように噴出しの中に入っていた。
「 …… 」
 言葉が出ない、里美。
「 カルチャーショックを受けたみたいね? 」
 里美は、淑恵の言葉に頷き、聞いた。
「 あの…… この、左端にあるバインダーの穴は… 必要なのかしら……? 」
「 ん? それ? ん~… 要らないんじゃない? あたし、必要性を感じたコト、無いわよ? 」
 表紙をめくり、里美は言った。
「 …何で、松浜町の名産が載ってるんですか…? 」
「 知らないわよ、そんなコト。 その、アサリの佃煮、美味しいわよ? 」
「 はあ… そうですか…… 」

 お洒落なカフェが、イッキに、寂れた漁村に変わった心境を感じる、里美であった。
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