午後の水平線

4、意中の人

 『 カティ・サーク 』

 パソコンのモニターに映る、タイプ文字。
 英文から和文まで、数点が様々な書体になって投影されている。
 「 う~ん…… 違うわねえ~…… 」
 里美は、傍らに置いてあった、マグカップを手に取った。 冷めたインスタントコーヒーを、ひと口、飲む。
「 まず~…! 」
 イスから立ち上がり、流し台の方へ行くと、コーヒーを捨て、新しく作り直した。
「 マスターの炒れてくれた、ブルマン… 美味しかったなぁ…… 」

 誰もいない、制作オフィス……
 10畳くらいのスペースの部屋の中央に、数台の事務机が並べられ、四方の壁には、資料や本・雑誌などが、棚にぎっしりと積まれている。
 各、机の上に置かれたパソコンや、ゼットライト…… それらの至る所に、メモ書きしたタックシールや小さなメモ用紙が張られ、いかにも広告代理店の、制作オフィスである事を認知させられる情景である。

 今日は、里美は、1人で残業をしていた。
 他の者がいると、何かと用事やら予定を聞かれ、デザインに集中出来ない。 1人で残業していれば、いるのは、自分1人だ。 思いのまま、制作作業に集中出来る。
 時計の針は、午後11時を回っていた。

 マグカップをすすりながら、デスクに戻る、里美。
 モニターを見る。
「 …… 」
 イマイチ、どのロゴも、しっくりと来ない。
 悪いデザインではないが、里美のイメージでは、あの店に、ピッタリのものが無いのだ。
「 もっとこう… 古いんだけど、新鮮のような…… 違うな。 そう、オシャレな感じなのよね~… どっちかと言うと、ブティックのような… ん~~~… でもないか。 あ~ん、分かんなくなっちゃった 」

 『 店の名前は、変えたくないんです 』

 先日の、保科の声が、里美の脳裏に甦る。
( 保科さん… 奥さんとの想い出を、大切にされてらっしゃるんだわ…… そんな、愛着のある名前なんだから、もっと、クラシックにした方が良いのかな? )
 そう言えば、店内には、クラシックが流れていた。
「 …そうだ! イタリックの書体から取ろう! サンセリフじゃなくて…! 」
 サンセリフとは、セリフの無い書体の事を指す。
 セリフとは… 英文書体のうち、書体の端にある、装飾の出っ張りの事である。 和文で言えば、毛筆で書く文字のように、筆を止めた所に作る、コブのようなものだ。 タイプ文字が、ローマン体と呼ばれる代表的な書体で、セリフが付いている。 このうち、筆記体のように、文字を斜めにして斜体をかけたものが『 イタリック 』と呼ばれる、ペン文字のような書体の総称である。
「 どうせなら、古い船の資料、無いかしら。 船の後尾にある船名って、当時は、ローマン体っぽいものが、多かったような…… 」
 自分の机の上を引っ掻き回して、資料を探す里美。
「 船の資料… どっかにあったハズ……! え~と、ドコだったかしら? 」
 イスから立ち上がり、資料棚の所へ行く。
 雑誌から統計、洋服から小物雑貨・車… ありとあらゆるコンテンツの雑誌や、写真集などの資料が置いてある。
 こんな本、ドコで購入して来たのか? とか、誰がこんな雑誌を読むのか? など、疑問にも思えるような書籍類も、数多くある。 現在は、インターネットが普及し、何でもパソコンから閲覧出来るご時世となったが、やはり紙媒体に印刷された写真は、形態を認識するには都合が良い。 視覚的な事なのだろうが、どこのデザイン事務所でも書籍類の資料は、膨大な数があるものである。
「 …あった! 」
 表紙が、取れかけている本を発見。
 『 はたらくふね 』
 …幼児絵本だ。
 コンテナ船やら、はしけ船など、細かい挿絵付きだが、見当外れだ。更に、旧日本海軍の、戦艦の写真集も出て来たが、これも参考にはならない。
( 船と言うより、帆船よね…! だって、大航海時代よ? クック船長や、マゼランがいた時代なんだもん…! )
 …これは、文明の利器を使った方が良さそうだ。
 里美は、傍らにあったパソコンを起動させると、インターネットにつなぎ、『 帆船 』を検索した。
 幾つかのサイトが紹介されている。 その内の1つをクリックした。
「 あった、あった! わ~、沢山あるぅ~~! 」
 海原を行く、美しい姿の帆船が、画像付きで紹介されている。

 白い帆に、風を一杯に受けて疾走する、白い船体の帆船…… 猛々しくも、かつ、優雅である。
 紺碧の海を渡る、帆船の雄姿…… 風を頼りに、大海原を駆けて行った、大航海時代……
 しばし、里美は、その太古のロマンに浸りつつ、画像に見入っていた。

「 …あっ! これだっ! 」
 1枚の画像に、里美は着目する。
 船名は分からないが、船尾を写した1枚の写真。 記録によると、現存する外国の大型帆船らしい。
 その書体に、里美は注目した。

 …想像通りの、ローマン体。 やや、ローマの宮殿柱のように、エンタシスになっている。
 色で装飾されているようだが、どうやら袋文字( 外枠がある文字:中抜き文字とも呼ぶ )のようだ。 多少に斜体が掛かっており、風格が感じられる。

「 コレよ、コレ~~……! 」
 画像をプリントアウトする、里美。
 プリンターから出て来た『 原画 』を入手した里美は、早速、デザインに取り掛かった。


 軽快に、海岸線を走る、車。
 今日は、『 ヒゲ親父 』の、再プレゼンの日だ。 ついでに、帰りには、あの『 カティ・サーク 』にも寄る。
 セカンドシートに置いたデザインバッグの中には、里美がデザインした、新ロゴタイプが入っている。
( 気合入れちゃって、4点も作っちゃったな。 保科さん、気に入ってくれるかしら…… )
 『 ヒゲ親父 』の方より、既に、ソッチの方に、心が行っている里美。
 淑恵の見積りも、持って来た。 保科の方が終わったら、連絡を入れて落ち合う事になっている。
( 保科さんに会える……! )
 里美は、ウキウキで車を走らせた。

「 ほう、なかなかイイじゃないか 」
 『 ヒゲ親父 』が、言った。
「 社長様のご意見を取り入れ、アレンジしてみました。 この辺りなどは、そのコンセプトを基に… 」
 デザインの説明をする、里美。
 わりと大きな、製紙工場の応接室…… 工場の一角を仕切り、小さなプレハブが設置してあり、そこが応接室となっている。 稼動する大型機械の騒音が、室内にも聞こえて来ていた。
「 ふ~む… 製紙工場の会社案内にしては、垢抜けているが… ま、時代が時代だしな。 若い人の感性を取り入れた方がいいだろう 」
 ニヤリと笑って里美を見る、ヒゲ社長。
 先日持って来たデザインは、ケチョンケチョンに批評したクセに、自分のコンセプトを取り入れたデザインであれば、多少、奇抜でも同意する所があると見える。
 これは、プレゼンの常套手段である。
 里美は、説明を続けた。
「 印刷代を抑える為に、色数は、特色の2色にしてあります。 フルカラーのような派手さはありませんが、御社のイメージを損なう事無く、この色数でも、充分にアピール出来ます 」
「 うむ、うむ 」
( 御社のイメージって、ナニ? しかも、ナニをアピールすんの? )
 自分で言っている説明に、自分で質問する、里美。 この辺りの説明は、かなり『 テキトー営業 』的な要素が入っている。 それらしい言葉を、もっともらしく並べているに過ぎない。 よく聞いたら、意味不明なレクチャーだ。
 だが、自分の意見が反映されたデザインに、ご満悦なヒゲ社長は、満足げに頷いている。
( あたしも、随分とディレクションが旨くなったわね… )
 本来、クライアント( 依頼主の事 )に、デザインコンセプトを説明するのは、アート・ディレクターの仕事だ。 だが、社員が少数の広告代理店やデザイン事務所では、里美のようなデザイナー自身が行っている。 里美の場合、デザイン受注もしているのだから、営業も兼ねている訳だ。
 うまく、説明がし難い場合、アート・ディレクターにデザイナーが同行する場合もあるが、里美の所属する広告代理店では、デザイナーが、全てを兼ねていた。 従って、営業中は制作オフィスでデザイナーとしての本来の仕事は出来ず、どうしても残業、という形になる……
 だが、里美は不満ではなかった。 時々、外出する事が出来、気晴らしになるからだ。

 ヒゲ社長が言った。
「 よし! コレで行こう。 何度も、ご苦労だったね。 どうだね? 昼食でも 」
「 有難うございます。 でも、この後… もう1件、別のプレゼンがありまして…… 次の機会にでも、ご馳走になります 」
 保科との、待ち合わせがあるのだ。
 この社長の事だ。 そこいらの定食屋で済ませるはずは無い。 それなりの期待が出来る昼食には、興味はあるが、今日は、それ以上の『 魅惑 』とも思える約束がある。
 ヒゲ社長の『 ご優待 』は、やんわりと断り、里美は、カティ・サークへと車を走らせた。

 先日、来た時と同じように、今日も良い天気だ。 おまけに、『 ヒゲ親父 』とのディレクションも、旨くいった。 燦々と降り注ぐ初夏の光の中、里美は、ルンルン気分でハンドルを握る。
 今日はまた、先日とは違う意味で、タイヤは軋んでいた・・・

「 こんにちは~♪ 」
 カランカランと、ドアの鐘が鳴る。
「 いらっしゃいませ… あ、吉村さん。 こんにちは 」
 カウンターの中で、カップを戸棚に入れていた保科が、里美の方を振り返りながら、言った。
 昼食時を過ぎているせいであろうか、先日と同じように、店内の客は、まばらだ。
 里美は、あえて、この時間を指定した。 保科にとっても、都合が良いはずである。
( 保科さんと、ゆっくり話しが出来る…! )
 思った通りの店内の様子に、里美は喜んだ。
「 自信作が出来ましたよ? 気に入って頂けると、嬉しいのですが… 」
 先日、来た時に座った一番奥のテーブルに腰を下ろしながら、里美は言った。
「 楽しみですね。 今、行きます 」
「 保科さん… この前の、ブルーマウンテンを下さい。 あれから、何を飲んでも美味しくないんです。 今日は、楽しみにしてやって来ました 」
「 かしこまりした 」
 にっこりと微笑みながら答える、保科。
( ああ~… やっぱり、シブイ人……! 笑顔も、魅力的だわぁ~……! )
 1人、悦に入る、里美。
( 保科さんって… ファーストネームは、何だろう? 年上のヒトを、『 さん 』付けで呼ぶのって… きゃっ、恥ずかしいっ……! )
 今度は、真っ赤になる里美。

 どうやら里美の中で、保科という男性像は、どんどんと、その存在感を大きくしていって
いるようであった。
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