瑠璃色の街

第8話、出逢いと、別れの定義

 翌日、犬小屋を完成させた幸二は、依頼主である中田に引き渡しをした。
 中田は、その出来栄えに満足し、約束通りの手間賃4万円と、友人の立て替え分、合計7万円を幸二に支払った。

「 いやあ~、さすが大工さんだ。 ワシが描いた、あんないい加減な図面から、よくもまあ、こんな立派なものが作れるモンだ 」
 感心したように中田は、幸二に言った。
「 外寸が出ていれば、たいていの物は出来ますよ。 色は、勝手に塗りましたが、いかがです? 」
「 うん。 あゆみちゃんから、大体の色設定は聞いておったよ。 ワシも、ある程度は想像しておったからね。 良さそうだから、何も村田さんには言わなかったが… こりゃ、いいね! 想像以上だよ 」
 屋根に手を触れながら、中田は答えた。
「 あゆみちゃんが、フランスの田舎にある農家のような形だ、って言っていたので、じゃあ、色はフランス国旗にしようって事になったんです 」
「 な~るほど…! ワシも、ニースには行った事があるが、確かに田舎に行くと、こんな形の農家があったな。 あゆみちゃんも、作業場の方には随分、足繁く通っていたみたいじゃないか。 いつも、村田さんの事を話していたぞ? 」
「 いい子ですね…… 目が見えないなんてハンデを、微塵も感じさせないですね 」
 中田は、かがんで、小屋の中を覗き込みながら言った。
「 そのうち、角膜の移植手術を受けるそうだ。 先天的な障害もある為、見えるようになる確立は、五分五分… ワシとしても、成功して欲しいとは思っておるのだがね… 」
 あゆみに視力が回復したら、こんな素晴らしい事はないだろう。
 しかしそれは、幸二があゆみに抱いていた淡い恋心の破綻を、決定的に示唆する事でもあった。
( あゆみちゃんは目が見えないから、こんな俺でも興味を抱いてくれたんだ。 実際の俺の姿を見たら、どう思うだろう? どこにでもいるような、くたびれた風体の中年男だ。 ある程度は想像をしているとは思うが、現実の姿を見て、その差に愕然とするだろうな )
 そんな、夢を壊すような事にはしたくない、と幸二は思った。 それには、今後、会わない事が一番であろう。 どのみち、今日でお別れである。

『 親切で真面目な、ジャズの好きな大工さん 』

 そのイメージのまま、別れの機会が来た事に、ある意味、幸二は嬉しく思った。
 これで、あゆみの記憶には、永遠にそのままの自分が存在するのだ。
 まあ、時が経てば、その記憶すら忘れ去られる事であろう。 それもいい…
 善人の記憶のまま、忘れられてしまうシチュエーションこそ、
 幸二が願っている、最善の情況であった。

 作業場に戻った幸二は、使った道具を片付け始めた。
( でも、やっぱり最後にもう一度、会っておきたかったな…… )
 今日、あゆみは、大原・辻井と共に、他区の介護施設へ出掛けており、不在との事だ。
( まあ、いいか。 このまま会わずに、ここを去ろう。 その方がいい )
 たった3日間ではあったが、幸二にとっては、今までに経験した事の無い、充実した楽しい3日間だった。

 道具一式を、工具箱に詰め、借りていた作業場を綺麗に掃除する。
 幸二は、ラジカセからテープを抜くと、それをしばらく見つめた。
「 …… 」
 工具箱の中からラインマーカーを出すと、テープのケースジャケットに書いてあった曲を確認し、数曲ある曲名の中から『 アズ・タイム・ゴーズ・バイ 』に、ラインを引いた。
 テープをケースに入れ、ラジカセの横に置く。
「 時の経つまま、か…… 」
 幸二は、そのまま、センターを去った。

 人と、人との出逢い……
 出逢いがあるから、別れがある。
 別れを恐れるのなら、出逢わない方がいい。
 だが、人間は、1人では生きていけない動物だ。
 まれに、孤島で暮らす人がいるが、生まれてすぐ、1人になった訳では無い。
 何らかの人生があり、その人が導き出した結果が、孤独なのだ。
 まあ、大人になれば、1人でも生きていく事は出来るだろう。
 もちろん、それは自給自足を意味する。

 しかし、1人で生きる道を選んだとしても、その人生は、何を意味するのだろう。

 本を読んでいたり、絵を描いていたりしているのであれば、
 それは孤独を求めているのでは無く、
 静かな環境に我が身を置いていたいだけの願望に過ぎない。
 孤独を求めると言う事は、草木になると言う事である。
 風に吹かれるまま、雨にうたれるまま、じっと時を過ごすのだ。

 嵐に体を折られ、雪の重みに潰され… また、崩れた土砂に埋まったのであるのなら、そのまま、そこで命を終えねばならない。 何の手記すらも残さずに……

 人は、人に出逢って、成長していくものだ。
 出逢いの無い人生ほど、つまらないものは無いだろう。
 成長が無いのだから。
 生来、自分の生きた足跡も残さずに、動物は死ねないものだ。

( いつか、人生の途中で『 そう言えば、こんな人がいたな 』と、思い出してくれればいい )

 幸二は、そう思った。
 もし、あゆみが、幸二の事をすっかり忘れてしまっていても、それは、それでいいのだ。 あゆみに必要なのは、過去の思い出ではなく、前途ある未来だ。 名前の如く、歩んで行ける、明るい未来なのだ。

 盲目である我が身を、憂慮しているようなあゆみではあったが、現に、辻井と言う男性の存在がある。 彼なら、あゆみを補佐してくれる事だろう。 年齢的にも、申し分無い。 これも、出会いなのだ。 行動し、求めた事により、結果が導き出されたのだ。

( では、俺の行動は……? )

 空き巣に入って、あゆみと知り合った幸二。 動機は、全く持って不純だ。
( だから、罪滅ぼしをした… 俺も、心を入れ替えて精進するんだ…! )

 これも、出逢った結果かもしれない。

 もし、あの日、あゆみの部屋に空き巣に入らなかったら、幸二は何の改心もせず、自分の不幸を正当化し、またどこかの家に侵入していた事だろう。 もしかしたら、警察に捕まり、刑務所に入る事態となっていたかもしれない。
( 出逢いとは、不思議なものだ…… )
 幸二は、つくづく思った。
 あゆみが言った言葉を、思い出す。

『 幸せが、2つもある、って思わなきゃ 』

 あゆみに出逢わなかったら、考えもしなかった観点だ。 これも、ある意味での『 成長 』なのかもしれない。
 いつも、前向きに物事を考えている、あゆみ……
 そんな、あゆみだからこそ、考えついた解釈なのだろう。 自暴自棄になっていた幸二には、思いもつかなかった解釈である。 また、あゆみから、そう言われた事も嬉しかった。 最も、そちらの方が正解かもしれない。 考えもしなかった解釈を受け入れる事となった要因の1つに、あゆみが言ってくれたから、という事実があるのは確かだった。

 幸二には、1つ、気になっている事があった。
( 万が一、もし、あゆみちゃんが、アパートに訪ねて来たらどうしようか…? )
 そんな事は、まず、有り得ないだろうが、確立は、ゼロでは無い。
 大原には、連絡先を教えていない。 犬小屋を受注させてもらった中田にも、何も言っていないし、集金の際も、個人的な支払いであった為、領収書も渡していない。
 幸二の連絡先は、誰も知らないはずだ。

 それでも、もし訪ねて来たら……

 幸二は、怖かった。
 素性が、知られてしまうような気がしたのだ。
 実は、空き巣の常習犯である事を……!

 喋らなかったら、誰にも分からない事ではあるが、幸二は、不安だった。

 あゆみの前では、これ以上、嘘はつけない。 いや、ついてはいけない… そんな想いが、幸二の心を占拠していた。 今度、あゆみを前にしたら、何もかも喋ってしまう… そんな、心境だったのだ。

 あゆみは、目が見えない。 それだけに、自分自身での行動範囲は、限られて来るはずである。 もし、幸二を探し出そうとしたならば、必ず協力者が必要であると思われる。 現時点での協力者の有力候補は、大原と辻井… それと、あの足の不自由な新見であろう。
 大原は、自分の仕事に忙しそうだ。
 新見に至っては、センターでは、幸二とは会っていないし、新婚、間も無い。
 一番の協力者は、やはり、辻井であると思われる。
 しかし、彼にとって幸二は『 邪魔な存在 』のはずだ。 そうなれば、精力的な協力は考え難い。
 幸二は、このまま、あゆみに逢えなければ良いと思っていた。

 ……二度と逢えない、永遠の思い出。

 幸二は、その追憶の中に、あゆみを封印したかったのである。
 楽しく、美しい思い出と共に……
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