エリート脳外科医は契約妻を甘く溶かしてじっくり攻める
 夜になり、部屋の中でスマートフォンを握り締めていた。
 意を決して、ディスプレイに指を滑らせる。【文くん】の文字を選択し、発信ボタンに触れた。

 コール音の回数が増えるたび、緊張が高まる。三コール目の途中で音が切れ、私はごくりと唾を飲んだ。

《はい》
「遅くにごめんなさい。今、電話していてもいい?」
《ああ。大丈夫だよ。なに?》

 優しい声音に少しだけ緊張がほぐれる。

 でも、どう切り出したらいいのかな。まずは今日、由里子さんと会ったって話をする? ああ、もう。ちゃんと頭の中でセリフを組み立てていたはずなのに。

《ミイ? どうした?》

 言葉に詰まらせていると、耳元で私を心配する文くんの柔らかい声が聞こえて、一気に胸が熱くなる。

「私と結婚してもらえますか」

 文くんの話し方や声質、いつでも私に寄り添うように気遣ってくれる態度に〝好き〟の想いが抑えきれなくなった。

 簡潔に要約した文言ひとつ口にできなかったくらい、ただ彼への感情がとめどなく溢れている。
 けれども、文くんからなんの返答もないのに気づき、ようやく我に返る。

「あっ、あの」

 やっぱり、勢い任せにありえないお願いをしてしまったから困らせているんだ。

 母の言葉を受けて勝手に調子づいた自分を責め、激しく後悔する。

 知らない間にスマートフォンを持つ手が震えている。
 もっと伝えようはあったはずなのに。あくまで『結婚前提に見せかけた同居』とか。完全に言葉選びを間違えた。

 慌てふためいていたら、スピーカーから《ふふ》と笑い声が届いた。

「ご……ごめんなさい。私」
《いや? ただ、ミイからプロポーズされる日がくるなんてと思っただけ》
「プッ……」

 文くんは今もなお、くすくすと笑っている。

 プロポーズ!? えっ! 無意識だった。指摘されれば……完全にプロポーズの言葉だったかも。

 急に大きな羞恥心に襲われて、口をパクパクさせる。
 恥ずかしすぎて逃げ出したいと、目をぎゅっと瞑った。その時。

《いいよ。結婚しよう》

 文くんの返答に耳を疑う。
 時間が止まった錯覚を覚え、固まっていたら電話の向こうから呼び出し音が聞こえた。

《あー電話だ。いつもごめん。詳しいことは今度でいい?》
「え、あっ、う、うん。全然……」
《じゃあな。おやすみ》

 通話を終えて、ふとスタンドミラーに映る自分と視線がぶつかる。

 鏡の中の私は自分で思っている数倍も顔が赤くて直視できず、すぐさまスタンドミラーに背を向けた。
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