偽装夫婦のはずが、ホテル御曹司は溺愛の手を緩めない
大丈夫。ただでさえ少ない家事を疎かにはしない。職場が変わればいずれ報告する事にはなるが、今はまだ猶予期間だし、響一に心配をかけることもしない。それに職を失うことで響一に離婚を言い渡されたらショックで立ち直れない気がする。だから。
今までと同じようにするから。
響一に迷惑を掛けないように頑張るから――傍に置いて欲しい。契約妻でもいいから、隣にいさせて欲しい。
口に出すことのない願いを密かに込めて頷く。今はまだ、気付かないで欲しいから。
胸の奥がぎゅうっと締め付けられる感覚を隠すように、さっと立ち上がる。そのまま食べ終わった食器を重ねて、洗い物の準備をする。
その横顔を見つめていた響一が、ふと何かを呟いた。
「あかり……まさか、他に……」
響一がぼそぼそと呟いた言葉は、上手く聞き取ることができなかった。だから食器を片付ける手を止めて響一の表情を確認する。振り返って首を傾げる。
「……? 何か言いましたか?」
「いや……」
あかりの問いかけに一瞬苦々しい顔をする。だが視線を逸らしてそのままそっぽを向いてしまう響一の感情は、上手く読み取れない。
しかしせっかく自宅ではリラックスしていたはずの響一が、その日をきっかけにまた緊張するようになってしまった。静かな表情で考えごとをする時間が増えてしまった。
その代わり、暇さえあればあかりの傍にやってきて無言で身体を抱きしめる。困ったような表情をするのに、何も言わずに触れられる。
響一の行動は謎だらけ。
そしてその行動に呼応するように、あかりの鼓動と緊張感も深さと大きさを増すばかりだ。