青に染まる

 ピンク色の花が咲いているビオラの鉢植えを手渡されながら、汀哀音は本心を心の奥に仕舞い込む。

「なんでも、ありませんから」

 努めて笑顔になる。けれど、おれはちゃんと笑えているだろうか?

 ……少なくともこの目の前にいる人物ほど、上手くはないだろう。おれの兄である相楽(さがら)のようには。

 これ以上いたら、惨めになるだけだ。もう帰ろう。

 背を向けて歩き出そうとすると、兄貴から声がかかる。

「あのっ」
「……なんですか」

 声に険が滲むのを抑えられなかった。お人好しの兄貴は、自分が覚えていないせいだと罪悪感を抱くだろう。

「大丈夫です。貴方のせいじゃ、ありませんから」
「あ、えと……」

 思っていることを先んじて言われたからだろう。兄貴が狼狽える。

「大丈夫ですから」

 ちゃんと笑えただろうか?
 自信は全くない。

 けれど本当にもうこれ以上は苦しくて仕方ないから、おれはお代を払って踵を返した。

 腹立たしくて、胸の奥がムカムカする。

 兄貴には何の罪もない。おれという存在を忘れてしまったことは悲しいが、仕方ないことだ。

 全部悪いのはおれでも兄貴でもなく、今もどことも知れない場所でのうのうと生きているあいつが悪いんだ。

 兄貴があいつともう二度と出会いさえしなければ、それでいい。兄貴がいつも通り笑顔で過ごせればそれでいいんだ。それ以上のことは望まない。

 笑顔を失っていたあのときのことなんて、覚えていなくていいんだ。兄貴は笑顔が一番似合う。あの鶯色の瞳が笑っている瞬間が、一番好きなんだ。

 それを守るためならば、おれ一人の犠牲なんか安いものだ。



 ビオラの鉢植えを抱きしめる。それでも、少しだけわがままを言っていいというのなら……。










ビオラの花言葉。
「私を忘れないで」
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