お風呂上がりの理子は、廊下へ続く扉を慎重に開いた。

(よし、異変なし)

 扉から顔を出して、キョロキョロ左右の確認をした理子は恐る恐る右足を前へ出した。
 廊下の床へ右足が突くと同時に、朱金の光を放つ魔方陣が出現する。

「くっ! またっ」

(今日は見たいテレビの特番があったのに! たまには一人で過ごしたいのに!)

 毎日毎日、異世界へと喚びよせてくれる魔王へ理子は苦情の念を送る。
 体に絡み付く光から逃れようと抗うが、呆気なく理子の体は魔方陣の中心部に吸い込まれていった。


 ぼよんっ

「ぶっ」

 何時も通り、ベッドへ顔面から着地した理子は情けない声を上げた。

 毎回毎回、ベッドへ着地するのはどうにかならないのか。
 マットレスのお陰であまり痛くは無いが、衝撃で鼻が曲がりそうになる。

「もー! 何でいつもこのタイミングなんですか!」

 勢いよく上半身を起こした理子は、召喚主である魔王に向かって叫んだ。

 視線の先では、椅子に腰掛けて長い脚を優雅に組んでいる美貌の魔王は口の端を吊り上げる。

「入浴中の方がよかったか?」
「入浴中っ⁉」

 ひいっと、理子は悲鳴を上げる。
 この、顔だけは引く程綺麗だけど実はドエスな魔王なら嫌がらせ、もとい面白がって入浴中に喚びかねない。

「そんなわけないでしょ! 意地悪! 変態っ!」

 全力で否定する理子を見て、魔王は愉しそうに笑う。
 目を細めて笑う魔王は、少しだけ可愛く感じられて理子は口をへの字に結んだ。

「リコ」

 名を呼ばれた理子は、四つん這いになってベッドの端へと移動して、両足をベッドの端から下ろして座る。

 ふわっ

 あたたかくて優しい魔法の風が、理子の体を包み込む。

 びちゃびちゃに濡れたままの髪は一瞬で乾き、艶やかに光を帯びる。お風呂上がりで汗ばんでいた肌も、サラサラでもちもちの状態になった。
 髪から仄かに香るのは、ローズの香り。
 甘く濃厚なフローラルな香りに、理子はうっとりと頬を緩ませた。

 Tシャツにリラクシングパンツというだらけた姿なのに、貴婦人の気分を味わえるのが魔王の術なのか。

「機嫌は直ったか」

 ご機嫌な理子に向かって、魔王は右手のひらを差し出す。

「ん?」

 魔王の意図が分からずに、理子は彼と同じように右手を伸ばした。

「来い」

 短く命じた魔王は私の右手を取り、ぐいっと引っ張り上げる。
 引っ張られて立たされた理子の右手のひらに、大きくて骨張った手のひらが重ねられた。

「え」

 驚きのあまり、理子はポカンと口を開けて固まる。

 思考がフリーズしたまま魔王に手を引かれて、小さな円卓と二脚の椅子の前へと歩く。
 円卓の上には、赤紫色の液体が入った硝子のボトルとピンク色液体が入った硝子のボトル、ワイングラスが二つ置かれていた。

「これ、ワイン?」

 フリーズが溶けた理子の問いに、魔王は「ああ」と頷いた。

「寝酒を飲んで寝たかったと、恨み言を言われたからな」

 以前、翌日が休日のため二日酔いしてもかまわない素敵な夜の飲酒タイム寸前に、嫌がらせのように召喚された事があった。勿論、魔王に抗議を言ったのだが。

(まさか、そのことを気にしてくれていたの?)

 魔王らしく言動の片隅に残忍片鱗は見受けられるが、彼は理子に対して優しいと思う。
 紳士な動きで椅子を引いて座らしてくれるし、頼まなくてもグラスにワインを注いでくれる。

「ありがとう」

 ピンク色の液体が注がれたワイングラスグラスを理子へ手渡し、魔王はもう一つのグラスへ赤紫色の液体を注ぐ。

 魔王に手酌をさせるのはどうかと一瞬だけ迷うが、鼻腔をくすぐる甘くフルーティーな香りに理子は堪えきれずグラスに口をつけた。