「はっ?」

 鋭利な刃物で刺されたような、痛みと呼吸が出来なくなるような息苦しさに襲われ、理子は胸を押さえて前屈みになる。

「な、に、これ……」

 感情が高ぶり過ぎて、心臓が壊れてしまったのか。
 
 マラソンを走り終えた後のような速さで、心臓は収縮を繰り返し鋭い痛みを放つ。
 全身へ送り出される血液と一緒に、心臓が得体の知れない何かを送り出して、痛みと苦しさに理子の意識は薄れていく。

「我とリコの感情の高ぶりに反応したか」

 胸を抑えて屈んだ体が仰向けになり、沈みかけた意識が浮上していく。
 魔王の顔が目前に迫り、彼の腕に乗る形で縦に抱かれている事に気付いた。

 荒い呼吸を繰り返す理子の胸の上に、魔王は手を当てる。

「……抑え込む。ゆっくり息をしろ」

 胸に当てられた手のひらから、理子の中へと何かが流れ込んでくる。
 流れ込んできた何かが作用したのか、心臓の収縮が治まり痛みと息苦しさも軽減していった。



(うう、動けない……)

 心臓発作のような状態が治まった後、理子は猛烈な疲労感のため体を動かせずに、ぐったりと魔王にもたれ掛かっていた。

 あんなに騒いだのに、嫌いと言った魔王の世話になっているとは。
 情けないやら恥ずかしいやらで、早く離れたいのに体が動いてくれないのだ。

「所有物扱いが嫌ならば、お前はどんな扱いなら納得するのだ」

 動けないでいる理子を放り投げる事もせず、魔王はベッドへと運んでくれる。

 垣間見える残酷な言動から、この世界ではとても恐いヒトなのだろう。
 寝室での様子しか知らないが、魔王は理子に対して甘い上に優しい。
 例え、所有物への執着でも物珍しさからでも、優しく扱ってくれている。だからこそ、モノ扱いは嫌なのだと気付いた。

 理子の体をベッドへ寝かせ、離れようとする魔王の寝間着の裾をそっと掴む。

「わた、しは、人だよ?」

 そう、異世界に住んでいるとはいえ、血の通った人なのだ。
 モノでも、抱き枕じゃない。

「魔王様のモノじゃなくて、友人とか、モノ以外の、一個人の扱いをして?」

 背を向けていた魔王がゆっくりと振り向く。

「わたし、魔王様にいっぱい助けてもらったから、魔王様が大変な時は助けたいし、寂しい時は傍に居る。貴方に大事な相手が出来るまでだけど、ずっと一緒に寝られる人が出来た時は、ちゃんとお祝いもしたいよ」

 ポロポロッ、理子の瞳から涙が溢れた。
 特別扱いはしなくていいから、山田理子として扱って欲しくてどうにか首を動かして魔王を見上げた。

「嫌いって言って、ごめんなさい」

 魔王の目が見開かれる。
 何かを噛み潰したような表情をして、魔王は深く息を吐いた。

「リコ、お前は本当に、想定外な女だな」

 片手で顔を覆い苦笑いを浮かべた魔王は、腰を折って理子の方へと顔を近付ける。

 ちゅっ

(えっ?)

 額を掠めた、微かにあたたかな感触に茫然としていると、目元に残った涙を長い指先が拭い取った。
 固まる理子の視線の先では、魔王が指先に乗せた涙の滴を舐める。

「塩味があると聞いていたが、案外、甘いものだな」

 なにをされたのか、ようやく理解した理子の頬が恥ずかしさで真っ赤に染まる。

 起き上がって文句を言いたいのに、疲労と眠気で起き上がることは叶わず。
 真っ赤な顔をした理子は、髪を撫でる魔王にされるがままになっていた。