モテ基準真逆の異世界に来ました~あざと可愛さは通用しないらしいので、イケメン宰相様と恋のレッスンに励みます!

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「その間、俺は芝居を鑑賞しているから、ゆっくりやってもらうといい。ちょうどよかった。仕事ばかりで、そろそろ息抜きが必要と思っていたところだ」
 私に気を遣わせまいとしてか、グレゴールはそんな風に言うと、さっさと出て行ったのだった。  
 メイク担当の女性は、剥げかかった私のネイルを、綺麗に落としてくれた。新しいデザインは、オレンジ色にゴールドの装飾をチョイスした。メルセデスからは、自分に似合うファッションを、と叩き込まれている。髪と目の色が茶系ということを考えての、コーディネートだ。
 仕上がった頃、まるで狙ったかのようにグレゴールが戻って来た。メイクの女性は、得意げに胸を張った。
「ハイネマン様、どうぞご覧くださいませ。完璧に、お仕上げしましたよ」
 会心の出来、といった表情だ。ほう、とグレゴールが目を見張る。
「いいじゃないか? ハルカによく似合っている」
「ありがとうございます!」
 私は、上機嫌で礼を述べた。グレゴールは、なぜか一瞬沈黙したものの、すぐに頷いた。責任者らしき先ほどの初老の男性と、メイク担当に礼を述べ、報酬らしきものを支払うと、彼は私を連れて、さっさと楽屋を出た。
 劇場の外に出ると、グレゴールはふと私を見た。
「すまなかったな。せっかく劇場まで来たというのに、鑑賞させてやれなかった。あいにく、今日はもう公演が終わってしまったんだ」
「いえ! こんな素敵な爪にしていただいたのですから」
 私は、うきうきと自分の手を見つめた。
「そうは言っても……。よく考えたら、この国へ来て以来、屋敷に閉じ込めっぱなしだった。勉強ばかりで、さぞストレスも溜まったことだろう。今日は残念だったが、次は是非見せてやるからな」
 確かに、缶詰状態だったのは事実だけれど。そこまで甘えていいのかな、と私はためらった。グレゴールが、クスッと笑う。
「気が引けるなら、場慣れのためと思えばいい。側妃はもちろん、貴婦人なら、外出時のマナーも身に着けないといけないだろう?」
 言いながら彼は、スッと手を差し出した。馬車へと誘う。
「男にエスコートされることにも、慣れねばな」
「……はい」
 言われてみれば、その通りだ。私は、おずおずとグレゴールに従った。彼は、優雅な仕草で私を馬車へ乗せると、自分も隣へ乗り込んだ。一連の動作は流れるようにスムースで、グレゴールが名門公爵家の当主であることを、今さらながら実感してしまう。
「……だが」
 グレゴールは、隣で不意に低く呟いた。
「そう案ずることはないだろう。先ほど、思った。お前はもう、この世界で男を惹きつける魅力を、十分に備えている」
「え、そうですか?」
 先ほどって何のことだろう、と私はきょとんとした。グレゴールが、じっと私を見つめる。
「爪を褒めた時のことだ。お前は心から喜んで、俺に礼の言葉を述べた。この前から感じていたが、最近のお前は、素直に感謝や感動の気持ちを示せるようになってきている。……とても、可愛らしい」
「ありがとうございます……」
 私の意識的な変化には、グレゴールも気付いていたらしい。目を見て礼を述べれば、彼はスッと視線を逸らした。
(このまま、クリスティアン殿下の側妃を目指して頑張ればいいのよね……?)
 自分で決めたことなのに、何だか心がもやっとする気がした。ハイネマン家の馬車は広々としているのに、グレゴールの香水の香りが、やけに近く感じる。違和感の正体をつかめないまま、私は黙って馬車に揺られ続けたのだった。
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