粉雪舞う白い世界で
形のない淋しさの欠片
その日は午後から店が混みあい、休む暇なくシフトに入ることが出来た。

予定通り仕事を19時に上がり、着替えをし、店を出るとママチャリで帰途についた。

冬の夜空は真っ暗で星一つ見えず、冷たい風を受けて、私はダウンジャケットの襟元をきつく合わせた。

夜の新宿は朝とは全く様相を変え、享楽を求める人達で溢れている。

あらゆる刺激的な欲望が怪しく蠢く街。

黄色いネオンと騒がしい音楽が真横で通り過ぎていく。

歌舞伎町は世界でも有数の危険な街だと言われているけれど、奥深く関わらず普通に通りすがる分には何も恐ろしい事などない。

ただの騒がしい繁華街だし、私には無関係な世界だ。

新宿駅近辺を抜け、青梅街道をひた走り、新宿区を跨いで中野区に入る。

細い路地を曲がると小さな商店街に入り、私はいつも寄るスーパーで買い物をする。

節約のためなるべく自炊を心掛けている私は、使いまわし出来る野菜や肉のお買い得品をスーパーのカゴに入れていく。

今日の目玉商品は玉子と小麦粉と鮭の切り身。

小麦粉はお好み焼きやクッキー、揚げ物やシチューにも使えるから安いときに買い置きしておく。

今日は嬉しいことがあったから自分にご褒美、ちょっと奮発して夕飯の献立は鮭のムニエルに決めた。

あとはもう少しで無くなりそうな調味料を買って、全部で1000円以内に抑えた。

スーパーには子供連れの主婦や若いカップルが楽しそうに食材を選んでいた。

小学校低学年くらいの男の子が、持っていた戦隊ロボの人形を落とし、私の足元まで転がってきた。

私はその人形を拾うと、にっこりと微笑んで男の子に差し出した。

男の子は何も言わずひったくるように人形を受け取ると、脱兎のごとく母親の元へ走っていった。

私は人形が落ちた床に目を落とし、笑顔を貼り付けたまま、小さくため息をついた。

お礼を言われたかった訳じゃないけど、心のどこかが軋んだ音を立てた。

左手で持ったスキマだらけの買い物カゴに目をやる。

自分の為だけの買い物は、少し味気ない。

時間が遅いからか、レジにはそんなに並ばずに清算を済ますことが出来た。

あらかじめ持っていたエコバックに買った食材を入れていく。

レジ袋もお金がかかってしまうから、エコバックは欠かせない。

スーパーを出て、自転車のカゴに荷物を乗せると、今度こそ自宅のあるアパートへ向かう。

商店街がある通りを右に曲がると住宅街になり、名前こそ「リバースカイ中野」などと洒落ているけれど、実際は川の近くにある築40年の木造アパートにたどり着く。

形だけの駐輪場に自転車を止め、自分の郵便受けを見ると少し扉が開いていた。

「・・・ちゃんと閉めたはずなんだけど。」

しかし大して気にもとめず郵便受けの中を確認する。

そこには水のトラブルに対応してくれる会社のマグネットやオープンしたばかりのフィットネスクラブのチラシなど、どうでもいいものばかりが溢れんばかりに投げ入れられていた。

それらを掴み取り、階段を上がると203号室のドアの鍵を開け、真っ暗な部屋の灯りを急いで点けた。

小さな玄関を上がるとすぐ横にガスレンジが一つだけあるキッチン、そして6畳しかない畳の部屋にある家電はテレビと電子レンジと掃除機、そして古いエアコンだけ。

誰もいなかった部屋の中はひんやりと寒々しくて、私はすぐにエアコンの暖房ボタンを押した。

「疲れたなぁ。」

荷物を置いて座布団にペタリと座り、リモコンを使ってテレビを点ける。

テレビ画面の向こうではクイズバラエティ番組の出演者が、世界遺産の名前を当てるのに必死に頭を悩ませていた。

「あ~これは、えっと、見ざる聞かざる言わざるの~、あっ日光東照宮!」

私はテレビ画面に向かってそう叫び、クイズ回答者よりも早く答えを言えたことに満足した。

けれど私と一緒に正解を喜んでくれる存在など無く、はしゃいだ自分の声だけが空しく壁に吸収された。

一人暮らしの人間の常で、私もいつの間にか独り言をいう癖がついている。

形のない淋しさの欠片が部屋中を満たしていた。

その直後にぐうと漫画のようなお腹の音が鳴る。

「ご飯、ご飯、と」

私はエコバックから買った食品を出すと、キッチンへ運び所定の場所へしまった。

そして鮭の切り身に小麦粉をまぶし、フライパンにバターを溶かし鮭のムニエルを料理した。

昨夜に作ったヒジキ煮と冷凍していた残りの白飯をレンジでチンして机に並べる。

豆腐とネギのお味噌汁もささっと作った。

本当はここにビール、いや発泡酒でもあれば最高なんだけど、お酒は特別な日にしか飲まないことに決めている。

「いただきます。」

両手を合わせ小さくお辞儀をしてから、箸に手を付けた。

「うん。まあまあかな。」

自分で作った、なんてことない、いつもの夕飯。

やっぱり少し味気ない。

窓には薄手の生地のチェックのカーテン。

部屋にはリサイクルショップで購入した小さな箪笥。

箪笥の中にはやはり古着屋で買ったシンプルな洋服の数々。

箪笥の上にはサボテンの鉢植えが置いてあり、私の目を慰めてくれる。

節約に努めるささやかな日々だけど、これが私の幸せ・・・。

そう思いながらぼんやりとテレビを眺めていると、スマホの着信音が鳴った。

誰からかなんて確認しなくてもわかる。

「はい、伊織です・・・うん、へえ。そうなの?え?うん・・・わかってるって。ちゃんとわかってるから、ママの言う通りにするから・・・だからそれまでは放っておいて。うん、うん・・・じゃあね。おやすみ。」

気まぐれに電話をかけて来て、私を操ろうとするママ。

そんなに娘のことが信用できないのだろうか。

約束を破ったことなんて今まで一度もなかったでしょ?

これまでだってママのいうことにちゃんと従ってきたでしょ?

少しぐらい私の好きなようにさせてくれてもいいじゃない。

私はスマホをみつめながら、大きくため息をついた。

ママからの電話で、私には自由な未来などないことを思い知らされる。

その時ドンドンと大きな音でドアが叩かれた。

驚きのあまり身体がビクッと震え、口元を手で押さえた。

「誰・・・?」

大家さんはそんな乱暴なドアの叩き方なんてしないし、そもそもこんな夜に家を訪ねてくる人間など思いつかない。

おそるおそる玄関に近づき、ドアスコープを覗いてみた。

しかしそこには誰も写っていなかった。

ふと郵便受けの扉が不自然に開いていたことを思い出した。

「え・・・誰なの・・・・・・?」

途端に黒い不安が心を埋め尽くした。

一人暮らしの心細さが、急激に身体の芯を冷たくさせた。

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