生々流転〜繰り返される夏休み〜

第七話 海斗のプロポーズ

 目が覚めると頭がズキズキと痛くて完全に二日酔いだった。どうやらソファでそのまま眠ってしまったようだが、なぜかタオルケットが掛かっていた、それにキッチンの方からいい香りが漂ってくる。味噌汁だろうか。


「あ、お目覚めですかー」


「うわあああー」 


 背後から突然声をかけられて思わず叫んでしまった、美波だという事はすぐに認識したが、一体どうやって入ったのだろうか、幽霊だから扉をすり抜けてきたのか。


「なによ人を化物みたいに、失礼ねえ」


 数秒思考を巡らせて昨日、合鍵を渡していたことを思い出した、とにかく今日も会えたことに取り敢えず胸を撫で下ろす。


「昨日は随分飲んでらっしゃったみたいですねえ」


 美波は冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取り出すとグラスに注いでテーブルに置いてくれた。


「ありがとう、取引先の人に連れ回されちゃってさ」


 グラスの水を一気に飲み干した。


「朝ごはん食べる?」


 正直二日酔いで何も口にしたくはなかったが美波がせっかく用意してくれたのならば頂こう、頷いてからダイニングテーブルに腰掛けた。手慣れた様子で目玉焼きとベーコンをフライパンで焼くと、ヒジキと味噌汁、炊きたてのご飯がアッという間に食卓に並んだ。


「いただきまーす」


 僕の前に座ると、顔の前で手を合わせて朝ごはんを食べ始める、箸と茶碗を持ったまま美波の顔を凝視するが幽霊かどうか判別する事はできなかった。


 思いのほか朝食を食べきることができた、どうやら腹が減っていたようだ、そう言えば昨夜は何もツマミを食べずにひたすら飲んでいたことを思い出す。美波が食器を片そうと席を立つ直前だった。


「美波、結婚しないか」


 なぜ急にそんな事を自分が言いだしたのか分からない、ただ思いつきにしては悪くないアイデアだと感じた。


「え、どうしたの海斗くん、まだ酔ってる?」


 立ち上がろうとして上げた腰を再び椅子に戻して心配そうな視線をコチラに向けた。  


「いや、いたって正常だ、美波を愛してるんだ」 


 まっすぐ彼女の目を見ていった、そう言えば女性にプロポーズ、いやプロポーズどころか告白をするのも初めての経験だ。


「え、ちょっと、愛してるって、あたしも海斗くん嫌いじゃないけど、そんな急に、えー」


 陶器のように透き通った白い肌に赤みがさしている、本当に死んでいるのだろうか、僕は無造作に美波の赤くなった頬に手を伸ばして触れてみた。温かい温もりが手に伝わってくる。


「ちょ、ちょっと海斗くん、そんな大胆な」 


 手に伝わってくる温度がさらに高くなった所で我に返って触れていた手を離した。


「あ、ごめん、でも本当の気持ちなんだ」


「海斗くんの気持ちは嬉しいけど、もう少し順序ってものがあるでしょ、いきなり結婚って……」  


「でも、美波以外を好きになる事もないし、十七歳なら法律的には結婚することは可能でしょ」 


「他に好きになることがないって、どうしてそんな事わかるの」


「わかるよ、自分の事だから」


「そんな事……、初めて言われたよ」


 生きていればきっと誰かから言われていたはずだ、彼女の夢と希望に満ちた人生はどうして途中で閉ざされる事になったのか。もし、今からでも取り戻せるのであれば自分が隣に。


「でもさ、まずはお付き合いからじゃないかな、普通はさ」


 下を向いたまま、モジモジしている美波は贔屓目に見ても可愛らしくてすぐにでも抱きしめてしまいたかった。


「そうか、じゃあまずは付き合おう」


 美波は静かに頷いた、こうして彼女と出会って一ヶ月、僕達は正式に付き合うことになった、残りの十日間で何ができるか分からない、それでも彼女との時間を少しでも大切に過ごそうと誓った。




    ※




  橘美穂は日に焼けた健康的な肌に短い髪が似合う活発そうな女性だった、高校を卒業し短大に進んだ後に就職、スポーツ用品を扱うメーカーで営業職をしているとのことだ。


「斉藤です、本日はお忙しい所大変申し訳ありません」


 偽の名刺を渡すと彼女は相好を崩して笑顔になった、営業途中のランチに無理やり時間を取ってもらったにも関わらず、嫌な態度をおくびにも出さない。喫茶店で待ち合わせた彼女は先に来てサンドイッチを齧っていた。


「いえ、久しぶりに田淵先生から連絡をもらったので何事かと思いましたけど、私もソフトボールの普及は心から切望しているのでお役に立てれば良いのですが」


 二日前に会った田淵に便宜を測ってもらい、当時のソフトボール部のキャプテンで美波の親友だったという彼女とコンタクトを取った、もちろん美波の自殺の真相を聞き出そうと呼び出したのでソフトボールの発展には無関係だ、少しだけ恐縮する。


「まず、全国大会に出場した時の事なんですが――」 


 当たり障りない取材をしながら時折メモをしているフリをした、彼女は当時のメンバーとのエピソードを冗談を交えながら話してくれる、初対面の自分を飽きさせないような処置であろう、きっと営業成績も優秀なのだろうと推察した。


「ところで……」


 声を潜めて本題に入った。


「当時のキャプテンだった星野美波さんですが……」 


 悲痛の面持ちで顛末を知っている事を表現してみたが彼女に伝わっただろうか。


「ええ、美波があんな事になるなんて、中学を卒業する時には思いもしませんでした」


 頭の回転も速いようで素早くこちらの意図を汲んでくれた、きっと賢い人間の周りには賢い人間が集まり、馬鹿の周りには馬鹿が集まる、結果、馬鹿はより馬鹿になり、賢い子は更に高みにいくのだろう。


「明るくて聡明な女の子だったと聞きましたが、原因はなんだったのでしょうか」 


 彼女が目線を上げると視線が交差する、正直に話して良いものかどうか推し量っているようだった。


「記事にするような事はしません、実は僕にも年の離れた妹がいるのですが、ちょうど亡くなった時の星野さんと同じ年頃なんです」 


「そうだったんですか……」


 彼女は唇を噛み締めながら苦悶の表情を浮かべている、同じ高校だった訳じゃないので、美波と同じ学校に通っていた中学の同級生に問い詰めて聞いた内容ですけど、と前置きをすると、ポツリポツリと語り始めた。


「イジメです、いや、イジメなんて生易しいものじゃありません、美波は暴行にあってたんです」


「ボウコウ……」


 高校生と暴行があまりにも結びつかずに聞き返してしまったが彼女は構わずに続けた。


「高校二年生になって突然始まったそうです」


 毎年クラス替えがある高校で新しいクラスにはどこにでもいるタイプの目立ちたがり屋、スクールカーストを勝手に作りあげて自分がトップにいると勘違している女がいたらしい、浅間と言う名の勘違い女は、二年になっても自分がクラスの中心になって女王様気分を味わう事を疑いもしなかった。


 しかし同じクラスには星野美波がいた、美しくて聡明、ソフトボール部ではすでにレギュラーのポディションを獲得、先生や上級生からの評判もすこぶる良い本物の逸材。当然クラスでは美波中心に輪が広がる、浅間は当然気に食わないが小学生の頃から大した能力も無いくせに女王気取りでいれたのにも理由があった。


 圧倒的に情報コントロールに長けている彼女にかかれば、真実の隠蔽はもちろん虚偽の捏造。人気者を一気に失墜させる事など朝飯前。この手のタイプは努力して自分を磨く事よりも相手の評判を下げることに全力を尽くす野党のような人種だ。


「でも、そんな事、すぐに周りも気がつくんじゃ」 


「はい、もちろん気が付いている人間もいたと思います、これはどんな学校でも一緒なんで分かるんですが」


「じゃあ、どうして」


「関わりたくないんですよ、もし余計な事をして矛先が自分に向くことをみんな恐れているんです」


 中高生にとって学校は全てなんです、比喩でも大袈裟に言っているわけでもなくて本当に全てなんです、と彼女は付け加えた。


「逃げ出してしまえば良い、死ぬほど嫌なら辞めてしまえば良いと言うのは大人の考えだと」 


「ええ、私も今の年齢になればくだらないと思います、でもあの時には他の選択肢がなかったんだと思います」


「我慢し続けるか死ぬか……」


 あまりに理不尽な二択だった。


「美波は一体何をされたんですか」


 興奮してうっかり名前で呼んでしまったが彼女は気にしてる様子はなかった。


「裸にされて写真を撮られたそうです」


 浅間の家で試験勉強をしようと誘われた美波は上級生や先生に媚を売っている、若い教師と寝ている、母親がソープランドで働いている等、根も葉もない噂を流されていて疲弊していた。そんな所に噂を流している張本人とも知らずに救いの神とでも思ったのか誘いに乗ってしまう。両親が留守の家に待っていたのは浅間の知り合いの大学生が三人、彼らは勉強を教えてあげる名目で呼び出されたが、浅間からはヤリマンだから好きにしても構わない、と言われたと後日警察に語ったらしい。


 抵抗する美波を無理やり暴行するとスマートフォンで撮影して同級生と共有した、ますます学校での居場所をなくした美波は休みがちになったまま夏休みに突入、休み明けの九月一日、校舎屋上から飛び降りて自殺した。これは当時の週刊誌にも掲載されている情報との事だ、自殺のニュースはとりわけ珍しくもないが、自校の校舎から飛び降りての自殺であった事、死んだ美波が世間の目を引くには十分すぎる美しい女子生徒だった事で一時はワイドショーを賑わしていたようだ、普段野球以外にテレビを見ない自分には預かり知らない出来事だった。 


 話しながら思い出してしまったのだろう、彼女の目は真っ赤に充血していた、辛いことを思い出させて申し訳ないことをした、その一方で腸は煮えくり返っていた。もうこの時には浅間という女を殺すことを決めていたかも知れない。


 店を出て心ばかりの謝礼を渡そうとするが断られた、彼女のことを風化させないで欲しい、メディアにはその力があるとも。最後にソフトボールの宣伝もよろしくお願いしますねと言った彼女は晴れ晴れとした顔をしていた。


 狭い世界か――。


 もし自分がその時の美波のそばにいたとして、彼女を護ることができただろうか、彼女は何故また現世に戻ってきてしまったのか、今度こそ救うことができるのだろうか――。




「おそい、おそい、おそいー」


 家に帰ると玄関に出迎えた美波が開口一番不満を漏らした。


「遅いって、まだ三時じゃないの」


「あー、海斗くんって釣った魚には餌をあげないタイプなんだー」


 まったく、どこでそんな言葉を覚えたのか、頬を膨らまして立腹する彼女を微笑ましく思っていると寝室に引っ込んでしまった。本当に怒らせてしまったかと猛省していると十分程で出てきた、いつも着ているオーバーオールではなく浴衣だった。


「じゃーん、今日は花火大会ですから浴衣でーす」


 その場でクルクルと回る彼女をみて、この世の中にはこんな天使のような女の子を暴行する人間がいるのかと心底うんざりした、美波以外の人間など無価値、全て死んでも構わないと本気で思った。 


「さらにー、海斗くんのもありまーす」


 紙袋から男性用の紺の浴衣を取り出すと僕の目の前に来て体にあてがった、あまりに愛おしくなりそのまま彼女を抱きしめた。 


「ごめん、怖いか?」 


 きっと暴行された事は死んでもトラウマになっているに違いない、彼女がいつもオーバーオールを着ているのは無理やり脱がせるのが困難な服装を無意識に選んでいるのではないだろうか。


「ううん、平気」


 五分程そのままの体勢でいた、体を離してしまうと赤くなった目元の説明をしなくてはならない。


「さっ、じゃあ出掛けますか」


 頃合いを見計らって体を離した。


「あれ?」


 美波が不思議そうな視線を向けている。


「どうした」


「チューしないの?」


 ズッコケそうになったが何とか平静を装う。


「今のは完全にチューする流れだったでしょー」


 手をバタバタさせながら講義する美波をみてオーバーオールの件は考えすぎだったかも知れないと改めた。


「いや、まだチューは早いよ、順序ってもんがあるだろう」


「結婚しようって言ったくせに、もう」 


 この日見た花火は、いや花火などマトモに見た事などなかったが、とにかく美しくて、上がるたびに遅れて聞こえる爆発音が心地よく胸に響いた。


 来年も再来年も――。


 美波の横で花火を見て生きたい、そうやって年をとりたい、それが叶わぬ夢だと分かっていても願わずにはいられなかった。
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