紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
第5章 『私』との決別
 都心へ戻るにつれて雨脚が強まる中、玲哉さんの運転するセダンは順調に高速道路を進んでいた。
 車内では、薔薇園再建のためのアイディアを出し合い、現実的な改善点から夢をかなえるための具体的な段取りまで様々なことを話し合った。
 私の考えたとりとめのないアイディアでも、玲哉さんはしっかりと耳を傾けてくださった。
 自分の意見を受け止めてもらえたのが嬉しくて、つい話しすぎていたのかもしれない。
 車はいつの間にか東京タワーの見えるところまで戻ってきていた。
 でも……。
 ――あれ?
 何かおかしい。
 車の向きが違う。
 東京タワーが逆方向にある。
 セダンは玲哉さんのマンションから遠ざかっている。
「玲哉さん、どこに行くんですか?」
「真宮ホテルだ」
 ――え、なんで?
「今朝からずっと何通もメールが来ていた。昨夜家に戻らなかった君を探していたらしい。ホテルの駐車場係が君を目撃していただろう。俺の車に乗ったこともバレていた。君を連れてホテルに来るようにと、君のお母さんからの命令だ」
 さっき薔薇園でお手洗いを借りたときだ。
 先に用を済ませて待っていた玲哉さんが、私の姿を見てとっさにスマホをしまっていた。
 あのとき、もうすでにメールを見ていたんだ。
 なのに、どうして教えてくれなかったの。
 黙って私を連れていくつもりだったの?
「嫌です。行きたくありません」
 私の意思表示を突っぱねるように、玲哉さんが冷たく言い放つ。
「逃げるな」
 どうして?
 逃げるしかないって言ってたじゃない。
 なんで私には反対のことを言うの?
 玲哉さんは私の味方じゃないの?
「逃げてばかりでは解決しない。立ち向かうべき時は戦うんだ」
 無理。
 そんなことできない。
 できるわけがない。
 今でもこうして手が震えているのに。
 あの人の前に出たら、私は息ができなくなってしまう。
 そんな私の手に、玲哉さんの左手が重なる。
「だけど心配するな。俺がついてる。そばにいる」
 冷たい爬虫類みたいな手だ。
「俺を誰だと思ってるんだ?」
 誰……なんだろう。
 本当に信じて良いのだろうか。
 一橋家の出資契約を破談にするために私は玲哉さんに身を委ねた。
 それはつまり、玲哉さんだって契約破棄に対する責任を負わされるということだ。
 私を大切にしているように見せかけて、実は自分が助かるために私を生け贄として捧げようとしているのかもしれない。
『俺も共犯だけどな』
 玲哉さんだって、今朝、そんなことを言っていた。
 罪の意識があるのなら、自分の立場が危うくなったときに、この人は私をあっさり捨てるかもしれない。
 そんな相手を信じる根拠は何?
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