甘く奪って、離さない

1話


1話ーencounterー


絶対に好きになるはずないって思ってた。

それなのに……


「俺の初恋はまりな先輩だから」


ずっと私を想い続けていた彼の、ちょっと重い一途な愛に私はもう落ちているーー




〇 コンビニ(三月後半、午後)

四月から高校三年生になる雪村(ゆきむら)まりなは今日もコンビニでバイト中。

カウンターでレジ打ちの仕事をしている。慣れた手付きで会計を済ますと、客に笑顔を向けた。


まりな「ありがとうございました」


まりなはバイト先の決まりもありセミロングの黒髪を後ろできっちりとひとつに結んでいる。同級生の中には化粧をしている子たちもいるがまりなはなにもしていない。それでも二重のくりっとした大きな目と、長くてくるんと持ち上がった睫毛のおかげで可愛らしい見た目をしている。


まりな「いらっしゃいませ」


店内に入店音が鳴り響き、まりなと同じ歳ぐらいの女子三人組が入店。派手な服装にばっちりとメイクを施し、髪型にも手を掛けている華やかな女子たちだ。


女子1「映画感動したよね」

女子2「めちゃくちゃ泣いた~」

女子3「あんたの鼻水啜る音がうるさかったんだけど」

女子2「マジで? ごめーん」


楽しそうに会話を交わしながら女子三人組がスイーツコーナーに向かう。


女子1「あっ、これ新作じゃん」

女子2「美味しそ~。私これにしよ」

女子3「じゃあ私も」


そんな彼女たちを羨ましそうに見つめるまりな。


まりな(いいなぁ、楽しそうで)
   (春休みだもんね)


そしてがっくりと肩を落とした。


まりな(私は毎日バイトだけど)


女子三人組がそれぞれ選んだスイーツを持ってカウンターに来た。まりなは会計を済ませていく。


まりな「ありがとうございました」


会計を終えた女子三人組が賑やかに会話をしながらコンビニを後にした。

彼女たちが去っていった扉をじーっと見つめるまりな。しばらくして、なにかを決意するように大きくうなずく。


まりな(決めた。今年こそ友達を作る!)



〇 路地(夕方)

バイトが終わり、まりなは通い慣れた道を歩いて自宅まで帰っている。


まりな(友達を作るといってもどうしたら……)


考えながらとぼとぼと歩く。


〇(回想)

まりな(中学の頃もーー)

中学三年生。休み時間、クラスメイトたちはそれぞれ仲良しグループで集まっているが、まりなだけは教室のすみっこの席にポツンと座っている。


まりな(高校に入ってもーー)

高校一年生。体育の授業前の準備運動でペアを作るように先生に言われたけれど、まりなは誰ともペアを組めずポツンと立ち尽くしている。


まりな(二年生になってもーー)

高校二年生。お昼休みの賑やかな教室のど真ん中にある自分の席で、まりなはポツンとひとり寂しくお弁当を食べている。

〇(回想終了)


まりな(友達がひとりもできなかったからなぁ……)
   (でも今年で高校生活もラスト。ひとりぼっちはもう嫌だ)


歩道の真ん中で立ち止まり、拳をグッと握り締めながら〝絶対に友達を作るぞ〟と気合を入れた。

そのとき、強い風が吹き荒れて隣接する公園の桜の木からたくさんの花弁が散ってくる。それを見上げるまりな。


まりな(わ~、きれい)


夕暮れ時の暗くなりつつある空を背景に桜の花弁が散っていく様子を見つめていると、公園の方から「最低っ」と女性の甲高く鋭い声が聞こえた。

まりなは驚いてビクッと肩を震わせる。


女「あの女とはもう会わないって言ったのに」


ちらっと公園に目を向けると、二十代前半ぐらいの男女がなにやら揉めている。

派手な身なりの女と背が高くスタイルのいい男だ。


まりな(こ、これは……大人の男女の修羅場)


見てはいけないと思いつつも気になってしまう。


女「あの女とはもう別れてよ。私のことが好きって言ってくれたじゃん。そうだよね、(はる)くん」


ヒステリックに叫んだ女が大きな胸を押し付けるように、〝晴くん〟と呼んだ男の腕に両手を絡めてぎゅっと抱き着く。

一方の男は両手をジャケットのポケットに突っ込んだまま、女に向かってにっこりと笑みを浮かべた。


男「じゃあ彼女とは別れるよ」

女「ホント⁉」

男「でも……」


男が女の腕を冷たく振り払う。高い背を屈めると、女の顔を覗き込んだ。


男「お前とも別れる」

女「なっ……」


男は先ほどまでの笑顔を消すと、冷淡な目つきで女を見つめた。


男「俺言ったよね。付き合ってもいいけど本気になるなって。もともと遊びから始まった関係だろ。めんどくさっ」


女は悔しそうに唇を噛みしめて、目に涙を浮かべた。


男「そういうことだから。じゃあね」


まるで作り物のようなきれいな笑みを浮かべて男が女のもとを去ろうとする。

けれど次の瞬間、公園内に〝パンッ〟と乾いた音が響いた。女が男の頬を思い切り平手打ちしたのだ。

まりなは驚いて目を丸くさせる。


女「やっぱあんた最低。このクズ男」


吐き捨てるようにそう言うと女は男に背を向けて足早に立ち去っていく。公園の出入口付近に立っているまりなの横を通り過ぎるときにお互いの肩がぶつかった。


女「じゃま」

まりな「すみません」


怒鳴られて、まりなは慌てて謝罪の言葉を口にする。

立ち去っていく女の背中をしばらく見つめていたが、ふと視線を公園に戻した。すると、頬を叩かれた男と目が合う。


まりな(やばっ。目が合った)


無造作な黒髪から覗く二重の大きな目。すっと通った鼻筋に形の良い薄い唇。そして口元のほくろ。中性的できれいな顔立ちをした男にまりなは思わず見惚れてしまう。

そして、男の頬が片方だけ赤く腫れていることに気付いた。


まりな(けっこう強く叩かれてたよね)
   (痛そう……)


なんとなくこのまま放っておくことができず、まりなの足は公園へと向かう。

手洗い用の水道の蛇口をひねって水を出すと、バッグから取り出したハンカチを濡らした。それから男のもとへ向かい、ハンカチを差し出す。


まりな「どうぞ」

男「……」


いきなりハンカチを渡してきたまりなに驚いているのだろうか。男はきょとんとした顔を浮かべている。

ハンカチを受け取ってくれないので、まりなは自分から男の手にハンカチを握らせた。


まりな「これで頬を冷やしてください」


すると突然、男がハンカチを持っていない方の手でまりなの腕を掴みグイッと体を引き寄せる。


まりな(え、なに!?)


男は高い背を屈めて端正な顔を近づけると、お互いの鼻先が触れそうになるくらいの距離でまりなをじっと見つめた。


まりな(近い近い近いっ!)


交際経験のないまりなは男性とこんなに近い距離で見つめ合ったことがなく、自然と胸がドキドキと高鳴る。

今にも唇が触れそうな距離まで近付くが触れることはなく、男はまりなの腕を離して距離を取った。

ゆっくりとハンカチに視線を落としてから男がまりなを見る。


男「使っていいの?」

まりな「ど、どうぞ」

男「ありがと」


男の口角が持ち上がりにこりと笑った。

モデルや俳優にも負けず劣らず端正な顔立ちをしている男に微笑まれて、ドキッとしたまりなの頬がほんのりと赤く染まる。


まりな(ビ、ビックリした)


どうして男はまりなの体を引き寄せて、顔を近づけてきたのだろう。その行動の理由がわからず、まりなはまだ動揺している。


男「さっきの見てたの?」


男に尋ねられてハッとなったまりながうなずく。


まりな「思い切り叩かれてましたね。大丈夫ですか」

男「平気。ああいうの慣れてるから」


男の言葉にまりなは小首をかしげた。


まりな(慣れてるって……女性に叩かれることが?)


まりなの中で男に対する警戒心が一気に強くなる。


まりな(女性関係で揉めてるみたいだったし、まともな人じゃないのかも)


これ以上は関わらない方がよさそうだ。


まりな「あ、あの。私はこれでーー」

男「ちょっと待って」


立ち去ろうとしたけれど、まりなは男に腕を掴まれて引き戻されてしまう。


男「連絡先教えてよ」

まりな「は?」


いきなり連絡先を聞いてくるなんてやっぱり危険な人なのかもしれない。

まりなが嫌そうな顔を浮かべると、男は手に持っているハンカチを振って見せた。


男「これ洗って返したいから」

まりな「ああ……」


まりな(そういう意味か)


けれど、今日初めて会った人――しかも女性関係があまりよろしくなさそうなこの男に連絡先を教えたいとは思わない。


まりな「使ったら捨ててください」

男「捨てないよ。ちゃんと洗って返したい」


本人が捨ててもいいと言っているのだからそうしてくれて構わないのに。意外と律儀な人なのかもしれない。


まりな「私すぐそこのコンビニでバイトしてるんでそこに届けてください」


連絡先を教えることなく、まりなは男に軽く頭を下げてからこの場を去った。


その背中をまるで愛しいものでも見るかのように男がじっと見つめている。


男「絶対にあの子だ」


口元にうっすらと笑みを浮かべた男の頭上ではピンク色の花弁が風に吹かれてひらひらと舞っていた。



〇 学校・まりなの教室(数日後の四月、朝)

新学期を迎えた三年生の教室は生徒たちの賑やかな声が響いている。

自分の席にポツンと座るまりなの前を同じクラスの女子生徒が走りながら横切っていった。その先には別の女子生徒がいてふたりはうれしそうに手を取り合う。


女子生徒1「やった。また同じクラス」

女子生徒2「ね。うれし~」


三年生に進級してクラス替えが行われた教室内は生徒たちのはしゃいだ声が響いている。

けれどまりなだけが誰にも声を掛けられず、自分からも声を掛けることなく、ひとりでポツンと席に座っていた。

すました顔をしているが内心はとても焦っている。


まりな(どうしよう。新しいクラスに馴染めそうにない)


今年こそ友達を作ると意気込んでおきながら早くも挫折しそうだ。

まりなは眉を下げてしょんぼりと肩を落とした。


まりな(またひとりぼっちなのかな)


すると突然、教室の扉がガラッと音を立てて勢いよく開いた。クラスメイトたちの視線が一斉にそちらに向かい、女子生徒たちからは「きゃっ」と黄色い声が上がる。

教室内がなにやら騒がしくなったことに気付いたまりなはゆっくりと顔を上げた。クラスメイトたちとは少し遅れて扉に視線を向ける。


まりな(えっ⁉)


まりなは驚いたように目を見開いた。

そこには数日前に会った男の姿があり、しかも同じ制服を着ている。


まりな(な、なんでここに⁉)


男「あっ、見つけた」


男はまりなを視界に捉えると、ニコニコしながら教室内に足を踏み入れる。

女子生徒たちからの熱い視線を受けながら颯爽と歩いてきた男は、まりなの席の前でぴたりと足を止めた。

その様子をクラスメイトたちが黙って見ている。


男「これ返しにきたんだけど」


男は着崩した制服のスラックスのポケットから見覚えのあるハンカチを取り出した。

数日前にまりなが男に貸したものだ。


男「俺、二年の吉野(よしの)晴史(はるふみ)。よろしくね、まりな先輩」


男がにこりと口角を持ち上げる。


まりな(うそっ。年下なの⁉)
   (それに、どうして私のこと……)


この前見たのは大人の男女の修羅場だと思っていたまりなは、男――晴史のことを自分よりも年上だと思っていた。

けれどまさかの年下で、同じ高校のひとつ後輩。

しかも前に会ったとき名乗らなかったはずなのに、まりなのことを知っている。

まりなは口をポカンと開けたまま呆然と晴史のことを見つめた。


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